みずやじんじゃ
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水屋神社について
水送りの神事で有名なパワースポット。
緑が濃い壮大な境内には、どれも御神木に値するような大楠がたくさんある。
千数百年前、奈良春日大社より天児屋根命を奉祭したのを創始とし、その後大化四年(648)大和国三笠山から素盞鳴尊、龍神姫命を勧請。
和銅三年(710)奈良、興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり水を奈良へ運んだと残る。
三重県のおすすめ❄️
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櫛田川の山中近くにある神社です。かつてこの場所は春日明神さまが現在の春日大社に至るまでの道中に留まられたという地で、後に天照大神さまが同じく鎮座地を探してこの地に来たときに二柱が議り事を行い、大和と伊勢の境を決められたという伝承の濃い地域だと言われています。
《鳥居と社号碑》
《手水舎》
近づくと水が出ます。
《椋の木》
《外拝殿》
割拝殿式です。
《拝殿内部》🙏
奥の拝殿と橋で繋がっています。
《大杉》
谷間の地域であるため、緑が濃ゆい…
《鎮霊社》
《昇龍楠と欅》
《大楠社》
由緒に倣い、春日大神さまと稲荷大神様を祀ります。稲荷大神さまの勧請元は「山州紀伊郡本宮祠官」とあるので伏見稲荷大社からの分社のようです。
《大楠の由緒》
👁チェックポイント‼️
この場所は前述した通り春日明神四柱のうちの武甕槌神・経都主神さまが春日大社に至るまでに留まられた地の一つで、他にも名張市の春日奥宮の積田神社や宇留布志禰神社が挙げられます。
そして天照大神さまが4年ほど営んだ飯野高宮の比定地とされ、かつて元伊勢とされていた滝野神明社が当社に合祀されています。
この奥の櫛田川の大石のそばで二柱が両国の境を決めたと伝承されており、「元春日」と「元伊勢」の両方の伝承が重なっているのはとても珍しいです。
《社務所》
普段は無人のようで、開いている日はこの黒板に書かれている、のかもしれません。
道沿いに大きな赤い桶にしめ縄があり、何?と思いご参拝させて頂きました🙏
お水祭りが3/25.26日とあったみたいで〜1日遅かった😅
ですが、境内も綺麗で、水屋の大楠が本殿裏に立ちそびえ!迫力とパワーを感じれました!
結び桜🌸(枝垂れ桜)
本殿、大きな神木が沢山
水屋の大楠
迫力とパワースポットですよ〜!
道沿いに赤い桶!目を引きますよ^ ^
歴史
垂仁天皇25年(紀元前51年)天照大神が当地に巡幸された際、この地に鎮座しておられた春日の神と議って川中の巨石を以って伊勢・大和両国の境とした。
この話は、隣接する滝の郷が神宮内宮の御厨であるという「神鳳抄」の記事を考えあわせると、当社が興福寺領の西端を、滝野郷が内宮領の東端を示すものとして注目される。
里人は今もこの巨石を「礫石(つぶていし)」、また、その付近を「堺が瀬」と呼んで慕っている。柳田国男はその著書「日本の伝説」のなかでこの話を取り上げている。
神社名(水屋神社)・所在地(赤桶)・特殊神事・(水取り)祭神(龍神姫)などすべてにわたって水との関わりがあり、当社の西方約700メートルのところには「閼伽桶(あかおけ)の井」がある。
旧記・古文書の類にはこの「閼伽桶の井」の神水を二振りの桶に汲み、貞観元年(859)11月9日より春日大社への奉納を始め、天正5年(1577)の兵乱で中絶したとある。しかし、細々ながら神水はその後も当社へ奉納されてきた。
宮家のご信仰として、一品京極宮家仁親王の胡佐の宮誕生報恩の令旨が奉納されている。
今日のように賑々しく祭事が取り行なわれるようになったのは皇紀2600年(昭和15年)の奉祝を契機としている。
水屋神社の基本情報
住所 | 三重県松阪市飯高町赤桶2507 |
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行き方 | ○車
○バス
|
三重県のおすすめ❄️
名称 | 水屋神社 |
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読み方 | みずやじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0598-46-0932 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.mizuya.org |
詳細情報
ご祭神 | 天児屋命 素戔嗚尊 天照大神 龍神姫命 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
ご由緒 | 垂仁天皇25年(紀元前51年)天照大神が当地に巡幸された際、この地に鎮座しておられた春日の神と議って川中の巨石を以って伊勢・大和両国の境とした。 この話は、隣接する滝の郷が神宮内宮の御厨であるという「神鳳抄」の記事を考えあわせると、当社が興福寺領の西端を、滝野郷が内宮領の東端を示すものとして注目される。 里人は今もこの巨石を「礫石(つぶていし)」、また、その付近を「堺が瀬」と呼んで慕っている。柳田国男はその著書「日本の伝説」のなかでこの話を取り上げている。 神社名(水屋神社)・所在地(赤桶)・特殊神事・(水取り)祭神(龍神姫)などすべてにわたって水との関わりがあり、当社の西方約700メートルのところには「閼伽桶(あかおけ)の井」がある。 旧記・古文書の類にはこの「閼伽桶の井」の神水を二振りの桶に汲み、貞観元年(859)11月9日より春日大社への奉納を始め、天正5年(1577)の兵乱で中絶したとある。しかし、細々ながら神水はその後も当社へ奉納されてきた。 宮家のご信仰として、一品京極宮家仁親王の胡佐の宮誕生報恩の令旨が奉納されている。 今日のように賑々しく祭事が取り行なわれるようになったのは皇紀2600年(昭和15年)の奉祝を契機としている。 |
体験 | 祈祷御朱印お守り祭り札所・七福神巡り伝説 |
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