みえけんごこくじんじゃ
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三重縣護國神社のお参りの記録一覧(5ページ目)

祓石に祓玉を投げて厄祓いしていただきました。
投げる前に、邪気や厄を全て祓って下さいませとお願いして、狙い定めて投げて…砕け散りました。
なんだかすっきりして、清々しい気分です。

月替り御朱印は、きれいな雪の結晶と可愛い雪うさぎです。


拝殿の奥のご神鏡にしっかり自分の姿が映って、身も引き締まる参拝でした。

境内に祓石がお祀りされています


祓玉は、社務所で授与していただきます

素焼の丸い玉に穴が開いていて、そこに息を吹いて「穢れ」を移します。

祓石に投げて、厄が砕け散りました。

2度目のお参りです。
時節柄、七五三のご家族をちらほらお見かけしました。

鮮やかな御朱印をいただきました

金属の鳥居が印象的です

石灯籠には鹿のレリーフがありました。


姿も表情も独特で印象的な狛犬さん




駐車場入り口付近の銀杏がきれいに色付いていました

今回はお守りをいただきました。
「祓石」というのが境内にあったので、次回はそちらへ願掛けしたいです。


御英霊をお祀りする神社への参拝は初めてです。
いつもの神社参拝とは違う空気感を感じながら境内に入りました。


万灯みたま祭ということで、数えきれないほどの提灯が奉納されていました。



奥が御本殿。
手間の両横にもまだまだ多くの提灯が。


珍しい青銅の狛犬さんです。
「阿」「吽」ではなく、左右とも口を開いた「阿」なのが不思議でした。
あとでパンフレットを見たら、戦禍に巻き込まれた逸話が記載されていました。
元々はどこかの神社に、二対の「阿」「吽」が存在していたと考えられます。
戦局が厳しくなり、物資となるべく召集された狛犬さんたちでしたが、その後、「阿」と「阿」だけが疎開先で終戦を迎えたようなのです。
その後、鋳物師の方により奉納されたのだとか。
由来記に「戦傷のまま復員せり」とあり、胸をつかれるようでした。
私にも戦禍により亡くなった身内がいるので、こちらへは躊躇いつつの参拝でした。
静かに降り続ける雨と夥しい提灯…今は安らかに眠られているであろうかと思いを馳せ、祈りながらお参りさせていただきました。

三重縣護國神社は、三重県津市にある神社。旧社格は官幣大社で、指定護国神社。現在は神社本庁の別表神社。御祭神として、禁門の変・戊辰戦争から第二次世界大戦までの三重県関係の戦没者6万3千余柱を祀る。
創建は1869年で、第11代津藩主・藤堂高猷が、戊辰戦争で戦死した藩士の霊を祀る小祠を津八幡宮の境内に建て、「表忠社」と称したことに始まる。
明治政府の法令改正に伴い、1875年には「招魂社」、1901年には「官祭招魂社」と改称。1909年に現在地に遷座、1939年に「三重縣護國神社」と改称。
新しい都道府県に行く時は可能な限り護国神社に参拝することにしているが、三重県・津に来たところ、駅前にあるというので参拝。
参拝時は平日の午後であったが、自分以外には地元風のおばあさんが一人参拝に来ていた。
※旅行サイト<じゃらん>において、津市で5番目に人気がある(口コミ数が多い)寺社仏閣。

境内の南側にある<鳥居>と<社号標>。津駅は境内北側にある。

鳥居をくぐると左手に<手水舎>。

広々とした境内。参道が拝殿までまっすぐに伸びる。

左方向を見ると<社務所・授与所>。

右方向を見ると<>。

拝殿と左右翼殿。神明造の端正なルックス。

参道右手に<慰霊塔>。

拝殿全景。

青銅製の<(阿形)狛犬>。

<(阿形)狛犬>の向かいには<(吽形)狛犬>が対になるのが普通だが、当社では両方とも<(阿形)狛犬>。戦時中に物資として供出され、戻って来たら両方とも<(阿形)狛犬>だったとのこと。御朱印のデザインにもなっている。

拝殿正面。広々としていて、ゆったりと参拝できる。

拝殿から振り返って境内全景。御朱印を拝受しに、右前方に進む。

境内西側にある<授与所>。御朱印はこちら。限定御朱印あり。

授与所近くの<奉納酒樽>。

授与所から<社殿>を望む。

津駅西口から見た当社境内(本殿裏)。

(おまけ)通過電車からこの看板を見ると、駅名が「?」に見えるらしい。確かにそうかも...笑
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