つかんのん|真言宗醍醐派|恵日山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方津観音のお参りの記録一覧
絞り込み


津観音は、三重県津市にある真言宗醍醐派の寺院。正式名は「恵日山(えにちざん)観音寺大宝院」。本尊は聖観音菩薩。東京の浅草観音、名古屋の大須観音と並んで「日本三大観音」の一つとされる。三重県で、本山専修寺に次いで2番目に参拝者数が多い寺院。
近世の地誌『勢陽雑記』等の伝承によると、創建は奈良時代の初め709年に伊勢麻生が浦の漁夫の網に聖観音立像が掛かり、これを本尊として開山したのが始まり。現存最古の明確な文献には1430年に将軍足利義教が朝命を奉じ当寺境内に三重塔と恵音院を建立したとある。当時の観音寺は津市柳山にあって伽藍を形成していたが、1498年の大地震で全地海水に没し、現在地に移転した。
戦国時代には織田信長の弟・信包が津藩主となり、観音寺塔頭・六大院ほか三ケ寺を観音寺境内に移し再興。同時に鈴鹿市国府の阿弥陀如来と両脇侍を六大院に移して本尊とした。六大院院家・法印長堯が豊臣秀吉の手習学問の師範であったことから六大院は秀吉から朱印地を受けている。ただし、1600年、石田三成軍が津城を攻めた兵火により全山焼失した。
江戸期に入ると、藤堂高虎が伊予国から転封され津藩主となり、津城の鬼門にあった観音寺を再建。1613年の観音堂再建以降、梵鐘、鐘楼堂、仁王門、阿弥陀堂、護摩堂が再建された。江戸期に伊勢神宮参拝が流行すると、参拝者が道中観音寺に立ち寄って、伊勢神宮天照大神の本地物である「国府の阿弥陀如来」を参拝するようになり、「津に参らねば片参り」と言われるまでになった。
明治時代になると、長年の津藩主や江戸幕府からの保護が無くなり、庶民の祈願所という本来の姿に戻り、津市の発展に伴って、信仰の中心、娯楽に中心として市民に親しまれた。しかし、1945年の米軍による津大空襲により伽藍をすべて焼失。戦後1949年から1968年にかけて再建された。
当寺は、JR紀勢本線・津駅、近鉄名古屋線・津駅の南方2kmに位置していて、公共交通機関だと国道23号線上にある京口立町バス停から徒歩数分。周りはほぼ住宅街で、近くに非常に古い繁華街のような建物がいくつかある。境内は街中の寺院らしくさほど広くはないが、大きな本堂に五重塔があって、地元で信仰される街の中心寺といった感じ。
日本三大○○に弱い自分としては、日本三大観音ということで以前からチェックしていたお寺。ようやく機会を得て参拝することに。参拝時は平日の午前早めの時間で、地元風のご老人数名が参拝に来ていた。
※旅行サイト<じゃらん>において、津市で1番人気がある(口コミ数が多い)寺社仏閣。
もっと読む
四天王寺を後にして、ホトカミ代表の吉田さんオススメの天むす発祥の店で天むすと、蜂蜜まん本舗の蜂蜜まんを購入するために津観音の近くに来たから、三大観音の一つとされる津観音にも訪れました。
三大○○好きとしては、津観音に興味が有りましたが、いつもの三大○○あるあるの、3つ目は諸説ありかなと思いましたが、東京の浅草寺、名古屋大須の大須観音、津の津観音で諸説は出てこなかったですね。そうすると、浅草寺、大須観音は観光客が沢山いて門前仲町は観光客で賑わっているが、こちらは殆ど観光客もいなくちょっと寂しい感じがしました。
廃藩置県により、三重県となった時は四日市市よりも津市の方が栄えていたから県庁所在地となったと思いますが、何か時代の移り変わりを感じたお詣りとなりました。


三重県のおすすめ2選🎏

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ

























































