だいかくじ|真言宗大覚寺派本山|嵯峨山
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大覚寺の大沢池エリアにはもう一つ神社がありました。
大沢池の中の天神島にある天神社という神社で 御祭神は菅原道真公です。
こちらには御神木の「スダジイ」が植わっています。
大沢池は 1200年前 嵯峨天皇の信任を得ていた空海の進言により 中国の洞庭湖を模して作庭された林泉形式の日本最古の池です。
御神木の高さは20m 幹周りは490cm。
樹齢は推定450年から500年くらいと言われ 室町時代の頃からこの地を見続けてきたと思われます。
太い幹はしめ縄で飾られ 大きく張り出した太い2本の老枝が広く周りに張り巡らされています。
御神木の左半分には枝がありますが 右半分は裂けたようになっていて枝がありません。
そのせいもあって 自重で左に傾くのでしょう 枝を支えています。
資料によると カシノナガキクイムシの被害跡があるそうで 大覚寺では御神木を守ろうと樹勢回復に努めていらっしゃるそうです。
室町時代の古木 なんとか生きながらえてもらいたいものです。

大覚寺は京都市右京区にあるお寺です。
参拝するのは2回目です。
町の散策を続けていると たまに大きな観光寺院に参拝したくなります。
この日は大覚寺からスタートしました。
大覚寺は映画などのロケによく使われているお寺です。
境内はお堂エリアと大沢池エリアに分かれます。
どちらも拝観料がかかりますので 共通券を購入しました。
まずはお堂エリアから。
参拝入口から入ると すぐに式台玄関の内側を通って宸殿に行きます。
こちらには宇多法皇が使われた神輿がありました。
神輿ってこんなに小さいんですね。
私なら神輿に乗るより歩く方がいいです。
宸殿は後水尾天皇より下賜されたものだそうで 蔀戸を用いた寝殿造になっています。
宸殿には部屋が4つあり それぞれに立派な襖絵がありました。
狩野山楽の筆によるもので 複製ですが見事です。
続いて村雨の廊下を通って御影堂へ。
中庭には皇室の方々が手植えされた松が植わっていました。
御影堂も寝殿造の立派な建物です。
御影堂からは 勅使門と石舞台が見られます。
裏手には心経殿があります。
この日は霊宝館は公開されていませんでした。
続いて安井堂・五大堂(本堂)へ行きます。
この4つのお堂の前には広い庭があります。
一面に白砂が敷き詰められていて とてもきれいに整えられています。
右近の橘と左近の梅もありました。
3つのお堂は撮影禁止でした。
五大堂では御朱印や拝受品が頂けます。
五大堂からは大沢池エリアに出られます。
大沢池は一周500mほどのとても大きい池で 皇族や貴族の方々が月見を楽しんだと伝わります。
こちらにも多くの建物があります。
五社明神・閼伽堂・大日堂・聖天堂・蓮華殿・心経宝塔・護摩堂・天神社・望雲亭があります。
また 梅林と竹林もあり ゆっくり巡ることができます。
ちょうど紅梅と白梅が花をつけ始めていて うっすら匂いもしました。
結婚式の前撮りをしているカップルがいました。
良いですね♪
大沢池をぐるっとまわり 池横の参拝受付でも御朱印を頂きました。
歴史的にも見どころ満載のお寺で ゆっくり参拝すると90分以上かかります。
本当に見ごたえがあります。
次は桜の時期に参拝できたらなと思いました。
ネット情報です。
山号は嵯峨山
宗派は真言宗大覚寺派
寺格は大本山
ご本尊は五大明王(重要文化財)
創建年は貞観18年(876年)
開山は恒寂入道親王
開基は正子内親王(淳和天皇皇后)
正式名は旧嵯峨御所大覚寺門跡
札所等は真言宗十八本山第5番・近畿三十六不動尊霊場第13番・神仏霊場巡拝の道第89番(京都第9番)です。
嵯峨野の北東に位置するこの地には 平安時代初期に在位した嵯峨天皇が離宮を営んでいた。
嵯峨天皇の信任を得ていた空海が 離宮内に五大明王を安置する持仏堂の五覚院を建て 修法を行ったのがそもそもの起源とされる。
その後 嵯峨天皇が崩御してから30数年後の貞観18年(876年) 皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が離宮を寺に改めたのが大覚寺である。
嵯峨天皇には甥にあたる恒寂(ごうじゃく)入道親王(淳和天皇皇子、仁明天皇の廃太子)を開山(初代住職)とした。
しばらくして後 大覚寺は興福寺一乗院による兼帯が続いたが 文永5年(1268年)に後嵯峨上皇が落飾して法皇となり素覚と号し 第21代門跡となっている。
徳治2年(1307年)には後宇多天皇が出家して法皇となり 法名を金剛性と号して第23代門跡に就任し 翌徳治3年(1308年)に大覚寺を再興した。
法皇は伽藍の整備に力を尽くしたため 「中興の祖」と称されている。
また ここで院政を行ったため嵯峨御所(さがごしょ)とも呼ばれた。
法皇の父である亀山法皇から続く系統は当寺にちなんで「大覚寺統」と呼ばれ 後深草天皇の系統の「持明院統」と交代で帝位についた(両統迭立)。
この両系統が対立したことが 後の南北朝分裂につながった。
延元元年(1336年)に大火によってほとんどの堂舎が焼失した。
元中9年(1392年) 南北朝の和解が成立し 南朝最後の天皇である後亀山天皇から北朝の後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたのも ここ大覚寺においてであった。
応仁2年(1468年) 応仁の乱によりほとんどの堂宇が焼失する。
天文3年(1534年)からは東山にある安井門跡蓮華光院の門跡を兼帯するようになった。
天文5年(1536年) 木沢長政により放火されて堂舎が炎上している。
天正17年(1589年)に空性が門跡になってから復興にとりかかり 寛永年間(1624年 - 1644年)にはほぼ寺観が整えられた。
このように 皇室ゆかりの寺院であり 代々法親王が住職となった門跡寺院であるため 現在でも御所風の雰囲気がただよっている。
御所跡地が国の史跡に指定されている。




【旧嵯峨御所( きゅうさがごしょ)大本山大覚寺(だいほんざんだいかくじ)】
本尊:五大明王
宗派:真言宗大覚寺派
開基:正子内親王(淳和天皇皇后)
大覚寺は、京都府京都市右京区嵯峨大沢町に位置します。第52代 嵯峨天皇(在位:809-823)の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院です。遣唐使として中国へ渡った弘法大師(空海)は、20年と定められていた期間を2年に短縮して帰国したことをとがめられ、九州で謹慎させられていました。即位後すぐに、それを許して京へ招いたのが嵯峨天皇。ここから、お二人の交流がはじまります。本尊の五大明王は、嵯峨天皇の勅命による弘法大師の作です。
今回、大沢池エリアのみ参拝しました。大沢門から入りました。その後、北西山頂にある嵯峨天皇御陵に行ってみました。参道はきれいに整備されていました。ステップ幅の広いジグザグの石段が御陵までずっと続いています。疲れました。
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【旧嵯峨御所( きゅうさがごしょ)大本山大覚寺(だいほんざんだいかくじ)】
本尊:五大明王
宗派:真言宗大覚寺派
開基:正子内親王(淳和天皇皇后)
大覚寺は、第52代 嵯峨天皇(在位:809-823)の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院です。平安初期、嵯峨天皇は都の郊外 嵯峨野に、離宮嵯峨院を建立されます。嵯峨御所と呼ばれていました。嵯峨天皇の信任を得ていた弘法大師 空海が、離宮内に五大明王を安置する持仏堂の五覚院を建て、修法を行ったのが起源とされます。嵯峨天皇が崩御してから30数年後の876(貞観18)年、皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が離宮を寺に改め、大覚寺としました。
大覚寺の境内の東側に位置する大沢池と名古曽滝跡は、平安時代から残る遺構で国の名勝に指定されています。


京都市右京区にある真言宗大覚寺派の大本山の寺院。
平安時代初期に嵯峨天皇の離宮として建立されたため皇室とのゆかりが深く、明治時代初頭まで代々天皇や皇統の方が門跡を務めていたとのことです。いけばな発祥の花の寺でもあり、いけばな嵯峨御流の総司所となっています。

宸殿(重要文化財):江戸時代に後水尾天皇から下賜された、元は徳川秀忠の娘・東福門院和子が女御御殿として使用していた建造物

正寝殿(重要文化財):桃山時代建立の書院造建築。南北朝の講和会議はここで行われたとのこと



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