だいかくじ|真言宗大覚寺派本山|嵯峨山
大覚寺のお参りの記録一覧
【旧嵯峨御所( きゅうさがごしょ)大本山大覚寺(だいほんざんだいかくじ)】
本尊:五大明王
宗派:真言宗大覚寺派
開基:正子内親王(淳和天皇皇后)
大覚寺は、京都府京都市右京区嵯峨大沢町に位置します。第52代 嵯峨天皇(在位:809-823)の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院です。遣唐使として中国へ渡った弘法大師(空海)は、20年と定められていた期間を2年に短縮して帰国したことをとがめられ、九州で謹慎させられていました。即位後すぐに、それを許して京へ招いたのが嵯峨天皇。ここから、お二人の交流がはじまります。本尊の五大明王は、嵯峨天皇の勅命による弘法大師の作です。
今回、大沢池エリアのみ参拝しました。大沢門から入りました。その後、北西山頂にある嵯峨天皇御陵に行ってみました。参道はきれいに整備されていました。ステップ幅の広いジグザグの石段が御陵までずっと続いています。疲れました。
【心経宝塔】
【大沢門】
【大沢池】
【大沢池特設舞台】
【放生池】
【心経宝塔】
【嵯峨の竹林】
【聖天堂】
【心経宝塔】
【菊ヶ島】
【オオバン】
【護摩堂・心経宝塔】
【五大堂】
【嵯峨天皇御陵 参道】
【嵯峨天皇御陵】
【嵯峨天皇御陵】
【参道途中から見る大覚寺】
左奥に広沢池。
【旧嵯峨御所( きゅうさがごしょ)大本山大覚寺(だいほんざんだいかくじ)】
本尊:五大明王
宗派:真言宗大覚寺派
開基:正子内親王(淳和天皇皇后)
大覚寺は、第52代 嵯峨天皇(在位:809-823)の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院です。平安初期、嵯峨天皇は都の郊外 嵯峨野に、離宮嵯峨院を建立されます。嵯峨御所と呼ばれていました。嵯峨天皇の信任を得ていた弘法大師 空海が、離宮内に五大明王を安置する持仏堂の五覚院を建て、修法を行ったのが起源とされます。嵯峨天皇が崩御してから30数年後の876(貞観18)年、皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が離宮を寺に改め、大覚寺としました。
大覚寺の境内の東側に位置する大沢池と名古曽滝跡は、平安時代から残る遺構で国の名勝に指定されています。
【五大堂(本堂)】
【寺号標】
【表門】
【表門】
【式台玄関】
【宸殿】
国の重要文化財。
【宸殿】
【宸殿】
【牡丹の間】
【牡丹の間】
【柳松の間】
【紅梅の間】
【鶴の間】
【村雨の廊下】
【正寝殿】
国の重要文化財。
【正寝殿】
【霊明殿】
【心経前殿(御影堂)】
【石舞台・勅使門】
【勅使門】
【勅封心経殿】
【安井堂(御霊殿)】
【五大堂(本堂)】
【五大堂(本堂)】
【観月台】
【池舞台】
【放生池】
【天神社】
【大日堂】
【聖天堂】
【心経宝塔】
【名古曽の滝跡】
「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」藤原公任(きんとう)。平安時代末期には滝の水は既に枯れていたとされます。
【菊ヶ島】
嵯峨天皇は菊ヶ島に咲く菊を手折り、花瓶に挿されました。これがいけばな嵯峨御流の始まりで、いけばな発祥の地とされています。
【大沢池】
【五大堂(本堂)】
【望雲亭】
【大沢池の鴨】
【御朱印】
京都市右京区にある真言宗大覚寺派の大本山の寺院。
平安時代初期に嵯峨天皇の離宮として建立されたため皇室とのゆかりが深く、明治時代初頭まで代々天皇や皇統の方が門跡を務めていたとのことです。いけばな発祥の花の寺でもあり、いけばな嵯峨御流の総司所となっています。
宸殿(重要文化財):江戸時代に後水尾天皇から下賜された、元は徳川秀忠の娘・東福門院和子が女御御殿として使用していた建造物
正寝殿(重要文化財):桃山時代建立の書院造建築。南北朝の講和会議はここで行われたとのこと
式台玄関:江戸時代に京都御所より移築
村雨の廊下
勅使門:江戸時代後期に再建
五大堂(本堂):江戸時代中期に創建
心経前殿(御影堂):大正14年建造。大正天皇即位に際し建てられた饗宴殿を移築したもの
勅封心経殿:大正14年に法隆寺の夢殿を模して再建
明智陣屋:明智光秀が築城した亀山城から移築した書院
明智門:亀山城から移築した門
表門
大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗大覚寺派の大本山の寺院。山号は嵯峨山。本尊は不動明王を中心とする五大明王。開山は恒寂入道親王である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。大沢池は大覚寺境内の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉庭園です。平安初期、嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営の折作られました。
大沢池
天神島
護摩堂
大沢池
五大堂(本堂)
五大堂(本堂)
安井堂(御霊殿)
心経殿
勅封心経殿
心経前殿(御影堂)
石舞台
宸殿
宸殿
表門
弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876)である。いけばな発祥の花の寺でもあり、「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)でもある。
〜当寺HPより一部抜粋〜
平日だったからでしょうか?想像していた程、混雑していませんでしたね🙏
「村雨の廊下」の撮影を忘れてしまいました😣
寺号標
表門
案内板
納経所
式台玄関
宸殿(重要文化財)
江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造の建物
牡丹図
石舞台と勅使門
勅封心経殿
大正14年(1925)法隆寺の夢殿を模して再建
嵯峨菊展
日本三大名菊(江戸菊、肥後菊)の一つ嵯峨菊
大沢池と池舞台
御朱印(直書き)
日帰りバス旅行で、約40年ぶりに大覚寺にお参りしました。ここは真言宗で、ご本尊は五大明王像 「 五大堂にお祀りされている五大明王像(不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)」であることも初めて知りました。
大覚寺僧侶が丁寧なガイドをしてくださり、非常に分りやすく楽しかったです。
団体ツアーのみこの門から入ることが許されるのだそうです。
写真撮影許可があったふすま絵
大沢の池
【すべては光る〜京都・大覚寺の中秋の名月より〜】
1200年前、嵯峨天皇と空海さんが信仰を深めた大覚寺で中秋の名月を堪能しました。大覚寺の大沢池は日本最古の人工池で、当時から月が眺められていました。
見上げた満月のみならず、水面にうつる幽玄な月の光を楽しむのが、いとをかし過ぎますね。
後半は写真を頼まれたことがきっかけで、台湾の方を1時間半ほど英語でご案内とお見送りしたのですが、
僕の名前【亮】は「明るい」って意味と、いまさら知りました。笑
【月亮】で「明るい月」だそうです。
(昔、親に聞いたことあるようなないような、、、)
最後に、満月の法要の後聞かせていただいた、お坊さんのお話より、坂村真民先生の言葉を引用します。
光る
光る
すべては
光る
光らないものは
ひとつとしてない
みずから
光らないものは
他から
光を受けて
光る
すべての人々、神社お寺も光っている。
ホトカミを通じて、【お参り→参拝を記録する】ことで、それぞれが良いところを見つけて光を当て、そして人々も、みんなもさらに輝けるようになったら良いなと思った中秋の名月でした。
令和五年の中秋の名月ベストショット🌕
バスで大覚寺前まで
観月の夕べ
お船に乗れるチケットが当選しました
アツイ歴史の舞台
お舟に乗って、月を眺めます🌕
特別展チケットと引き換えました
満月の法要の舞台
切り絵の特別御朱印
大覚寺は全部で10種類の御朱印がありました。
特別チケットだけの抹茶の席🍵
舞台と満月、写真を撮る人々
水面に揺れる、幽玄な月の光
満月に向かってお経を読むお坊さん。
すべては光る、のお話の様子。感動しました。
嵐山、二つ目は大覚寺。
ずっと行きたかったのですが修復していたり池の水を抜いたりで、いけてなかったのですが、ついに念願叶いました。
お堂巡りでも広いのですが、大沢池もまた広大なのでめっちゃ歩きます。1時間以上はかかったと思います。池の景色が凄く綺麗でした。紅葉の季節もよさそうです。
五大明王の御朱印です。
寺号標。ここから入ります。
表門。
この左から入ります。入ったところが納経所。右は式台玄関。
手前が石舞台。奥の右が五大堂、左が安井堂。
宸殿。
正寝殿だと思います。多分。
村雨の廊下。
勅封心経殿。
宸殿を横から。
五大堂の裏から大沢池にでることができます。これは新経宝塔。
池沿いの道
一周廻って五大堂前へ。手前は池舞台というそうです。桟橋かと思った。
京都府のおすすめ2選🎌
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