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大酒神社について
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大酒神社は京都市右京区にある神社です。
もとは広隆寺の境内にあった神社で 明治時代の神仏分離令で現在地へ遷座したものです。
広隆寺の仁王門から歩いて2分ほどの場所にあります。
石鳥居は明神鳥居でした。
神明鳥居もシンプルで良いですが 私は明神鳥居の方が好きかな。
鳥居をくぐると 境内はL字型に広がっていました。
手水舎の隣には 少し変わった形の石碑がありました。
「皇紀2600年奉祝記念」と彫られていました。
こちらの本殿は 覆屋の中ではありませんでした。
屋根は反りのある銅板葺きで 千木・鰹木はありませんが立派なものでした。
本殿の梁に虫食いの跡があり 私はこういう部分に趣を感じてしまいます。
お酒と樒が置かれていました。
地域の氏子の方がお供えされているのでしょう。素敵です。
社務所はなく 御朱印はどこでいただけるか分かりませんでした。
ネット情報です。
祭神は5柱
主祭神は秦始皇帝・弓月王(ゆずきのきみ)・秦酒公(はたのさけのきみ)
相殿神は兄媛命(えひめのみこと)・弟媛命(おとひめのみこと)
大酒神について 広隆寺の縁起である『広隆寺来由記』(明応8年(1499年)成立)では 秦の始皇帝の祖神とし 日本に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔 秦氏遠祖)が勧請したとする。
伝承自体の真偽は明らかでないが 伝承に見えるように古くから太秦一帯を開発した秦氏の氏神であったと推測され 史書に見える秦酒公(はたのさけのきみ)と大酒神を関連づける説もある。
一方近世の『雍州府志』では祭神を物部守屋とし 一説に秦河勝とする。
また『都名所図会』では祭神を天照大神・八幡神・天満天神とし 別説に秦の始皇帝とする説や 秦河勝とする説を載せる。
これらとは別に近年の研究では 元の神名の「大辟(大避)」から 「災厄を避ける(遠ざける)」いわゆる道祖神とする説が挙げられている。
歴史
当社は、延喜式神名帳葛野郡二十座の中に大酒神社(元名)大辟神社とあり、大酒明神ともいう。
「大辟」称するは秦始皇帝の神霊を仲哀天皇八年(356年)皇帝十四世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、日本朝の淳朴なる国風を尊信し始めて来朝し此地に勧請す。
これが故に「災難除け」「悪疫退散」の信仰が生まれた。
后の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇十四年(372年)百済より127県の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、金銀玉帛等の宝物を献上す。又、弓月王の孫酒公は、秦氏諸族を率いて蚕を養い、呉服漢織に依って絹綾錦の類を夥しく織り出し朝廷に奉る。絹布宮中に満積して山の如く丘の如し。天皇御悦の余り、埋益と言う意味で酒公に禹豆麻佐(うずまさ)の姓を賜う。数多の絹綾を織り出したる呉服漢織の神霊を祀りし社が大酒神社の側にありしが明暦年中破壊に及びしを以て、当社に合祭す。
機織のみでなく、大陸及半島の先進文明を我が国に輸入するに努め、農耕、造酒、土木、管弦、工匠等産業発達に大いに功績ありし故に、其二神霊を伴せ祀り三柱となれり。
今大酒の字を用いるは酒公を祀るによって此の字に改む。
大酒神社の情報
| 住所 | 京都府京都市右京区太秦東蜂岡町30 |
|---|---|
| 行き方 | 京都バス:太秦映画村前 嵐電線:太秦広隆寺駅 |
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大酒神社の基本情報
| 名称 | 大酒神社 |
|---|---|
| 読み方 | おおさけじんじゃ |
| 通称 | 大酒明神 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 〈主〉秦始皇帝 ,弓月王, 秦酒公
〈相〉兄媛命, 弟媛命(呉服女、漢織女) |
|---|---|
| ご由緒 | 当社は、延喜式神名帳葛野郡二十座の中に大酒神社(元名)大辟神社とあり、大酒明神ともいう。
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