こうしょうじ|臨済宗興聖寺派本山|円通山
興聖寺京都府 鞍馬口駅
通常非公開
特別拝観時10:00~16:30(受付16:00まで)
興聖寺(織部寺)秋の特別公開での参拝。通常非公開ですが特別公開で年に数回拝観出来ます。もう山門からの景色が😍紅葉したらそりゃ絶景になるわ。山門にて受付と御朱印を拝受。楓たなびく参道を歩きまずは本堂へ。釈迦三尊と弥勒様、だるまさんとちょっと変わったラインナップ。だるま像は藤堂高虎公寄贈とのこと。本堂内は撮影不可です。方丈に向かうと青い襖絵が眼に飛び込んできて写真家杏橋幹彦氏が海中から撮影した写真を表装したもの。これだけの大寺院で写真を襖絵にしたものって全国的にも珍しいのではないでしょうか?そして中庭にある降り蹲居。深さは2メートルあるらしい。なぜこれを作ったのかはわからないらしいが・・・😅紅葉シーズン時間が取れたら再訪したいですね。夜間ライトアップとかあれば尚良しなんだけど・・・。
公開は12月8日まで。
京の冬の旅で40年ぶりに公開でした。
興聖寺は慶長八年(1603年)に、虚応円耳(きいんえんに)という僧を開山として、茶道織部流の祖でもある武将・古田織部により建てられました。
なので「織部寺」とも呼ばれています。
江戸時代に建てられた本堂(仏殿)には天井に「雲龍図」が描かれています。写真撮影は❌でしたが、鳴き龍で
龍さんの下で手を叩くと鳴いてくれました。
本尊・釈迦如来像。左には武将・藤堂高虎の寄進と伝わる達磨像、右には弥勒菩薩がおられました。
方丈には、杏橋 幹彦さん『青波の襖』(海中写真)が奉納されています。青が際立ち、私の寺院の襖絵のイメージを覆し斬新でした。天井画は梅やったと思います。
「降り蹲踞(つくばい)」
地面を深く大きく掘り下げ螺旋状の石段を降りた先に手水鉢を据えられています。隠れ石仏さんがおられました。
茶室の前のお庭には亀の形をした井戸がありました。
名称 | 興聖寺 |
---|---|
読み方 | こうしょうじ |
通称 | 織部寺 |
参拝時間 | 通常非公開
|
参拝料 | 大人1000円、高校生以下500円 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-451-4722 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.ko-sho-ji.jp/ |
SNS |
ご本尊 | 釈迦如来 |
---|---|
山号 | 円通山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗興聖寺派本山 |
創建時代 | 慶長八年(1603年) |
開山・開基 | 古田織部/虚応円耳(きいんえんに) |
ご由緒 | 興聖寺は慶長八年(一六〇三年)に、虚応円耳(きいんえんに)という僧を開山として、古田織部により建てられました。 |
体験 | 坐禅(座禅)仏像御朱印武将・サムライ |
Youtube | |
概要 | 興聖寺(こうしょうじ)は、京都市上京区にある臨済宗興聖寺派の本山の寺院。山号は円通山。本尊は釈迦如来。古田織部にゆかりがあることから「織部寺」とも呼ばれる。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 慶長8年(1603年)に妙満寺・日重上人の弟子である虚応円耳(姓は斎藤)が、法華(日蓮)宗の教えを広めるために東隣の大応寺(天正14年(1586年)に虚応が創建)から移って創建した。創建時は「興正寺」といった。現在、茶人・古田織部との関係がいわれているが、織部の妻セン(中川清秀妹)が隠棲した北野天満宮隣りの青霄院がセンの死後移転して同寺の塔頭となり、その後、豊後国岡藩の家老・古田家が織部と子らの墓を建てた関係で、昭和になってから「織部寺」と呼ばれるようになった。これは当時の住職・日種譲山の働きかけによるものである。織部は大徳寺住持・春屋宗園に参禅しており、日蓮宗の虚応に開基...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「興聖寺 (京都市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%88%88%E8%81%96%E5%AF%BA%20%28%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%29&oldid=100637864 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
0
0