だいげんじしょうりんいん|天台宗|魚山
大原寺勝林院京都府 鞍馬駅
9:00〜16:30
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楽しみ方
魚山 勝林院(しょうりんいん, 天台宗, 835年) 本堂, 鐘楼, 石造宝篋印塔(重文), 梵鐘(重文), 慈覚大師円仁が開基, 本尊は阿弥陀如来, 別称 問答寺, 来迎院と共に天台声明の道場

京都市左京区のお寺です。
山号は魚山
宗旨宗派は天台宗
ご本尊は阿弥陀如来
です。
勝林院は 835年円仁(慈覚大師)によって開かれたと伝えられます。
円仁は唐で経典などに独特の旋律を付けて唱える声明を学び この地にそれを伝えました。
平安時代・鎌倉時代・江戸時代と 何度か衰退と復興を繰り返し 現在に至っています。
1186年 顕真の招請により勝林院で 法然が浄土宗義について明遍・証真・貞慶・智海・重源らと一昼夜にわたっての問答が行われました。これを「大原問答」と言います。
私は詳しく知りませんが 「大原問答」という言葉だけは聞いたことがあります。
僧侶にとって 自分の宗派の正当性を説くのでしょうから かなりきつい出来事ですね。
さて この勝林院 それほど広くない境内ですが この日は茶色い苔が目を引く とても美しい境内でした。
本堂も歴史を感じる古さが素敵でした。
撮影禁止の掲示が見られませんでしたので ご本尊も撮らせていただきました。

圓光大師二十五霊場第21番。今回の大原入りの主目的地。なぜかここにはあまり観光客は入ってこない。やっぱり庭園とかが無いとこないんですかね・・・😒本堂には丈六の阿弥陀様😊ようやくゆっくり拝ませていただけました🤗
参道入り口
鐘楼
歌碑
本堂前
墓所群
宝篋印塔
小堂
もひとつ
本堂
寺号看板
大原問答看板
本堂前から
魚山大原寺勝林院と号す。慈覚大師円仁が中国に渡ったとき、声明を持ち帰り比叡山で伝承された。長和2年(1013)寂源がその道場を現在の地に移し建立し、魚山流声明の根本道場とした。
文治2年(1186)の秋、この寺で後に天台座主になった顕真法印の発起により、南都、北嶺の名僧学匠三百余人を相手として、念仏の教えについて論議された大原談義(大原問答)が行われた所である。論議は一昼夜に及び、念仏が他の行よりすぐれていることを法然上人が述べられたところ、顕真や論議参加した者は法然上人の教えを信じ、阿弥陀仏の周りを三日三夜念仏行道したと伝えられている。
| 名称 | 大原寺勝林院 |
|---|---|
| 読み方 | だいげんじしょうりんいん |
| 通称 | 問答寺、証拠堂、丈六堂、勝林院阿弥陀堂 |
| 参拝時間 | 9:00〜16:30 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 電話番号 | 075-585-5177(代) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://shorinin187.wixsite.com/home |
| 法然上人二十五霊場 第21番 | 御詠歌: 阿弥陀仏に 染むる心の 色に出でば 秋の梢の たぐいならまし |
|---|---|
| 京都洛北森と水の会 第13番 |
| ご本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
|---|---|
| 山号 | 魚山 |
| 院号 | 勝林院 |
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
| 創建時代 | 承和二年(835年)勝林院:長和2年(1013年) |
| 開山・開基 | 大原寺:慈覚大師円仁、勝林院:寂源(大原入道少将) |
| ご由緒 | 魚山大原寺勝林院と号す。慈覚大師円仁が中国に渡ったとき、声明を持ち帰り比叡山で伝承された。長和2年(1013)寂源がその道場を現在の地に移し建立し、魚山流声明の根本道場とした。
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| 体験 | 仏像御朱印札所・七福神巡り |
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