いんじょうじ(せんぼんえんまどう)|高野山真言宗|光明山
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楽しみ方引接寺(千本ゑんま堂)のお参りの記録一覧
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京都市上京区にあるお寺です。
この辺りは北区と上京区の境目になっています。
引接寺には以前にもお参りしたことがありますが 前を通ったら無視するわけにはいきません。
しっかりお参りさせていただきました。
山門はないのですが 境内に入ると 左斜め上から閻魔様に睨まれます。
写真では反射して分かりにくいですが なかなかのお顔です。
「その油断火から炎へ災いへ」
んーーー人生のことなのか火災のことなのか。
本堂でご本尊を拝顔できなかったのですが お写真が貼られていますのでありがたいです。
御朱印をお願いしたところ 「そちらに座っておまちください。時間かかりますから。」 すごく丁寧に時間をかけて書いてくださいました。
この一言って 心に沁みますよね。「ありがたい」って思いますよね。
おみくじから一品物の念珠まで 授与品も多くあります。
紫式部の供養塔や像もあり ゆかりの地なのだと知りました。
山号は光明山 院号は歓喜院 宗旨は高野山真言宗 ご本尊は閻魔法王 創建は寛仁元年(1017年) 開基は定覚(小野篁とも) 中興年は文永10年(1273年) 中興は明善です。
ネット情報です。
そもそもは現世と冥土を行き来して 閻魔法王とも交流したという伝承のある小野篁(802年 – 853年)が 蓮台野の入口であるこの地に自ら閻魔法王の姿を刻んで祠を建立して祀ったのが当寺の始まりであるという。
その後 寛仁元年(1017年)に藤原道長の後援を得た恵心僧都源信の弟弟子・定覚により 「諸人化導引接仏道」の道場とすべく篁が建立した祠をもとに開山されたと伝える。
後に廃れたが 文永10年(1273年)に明善律師によって中興された。
天正2年(1574年)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられ 京の名所と町衆の姿を描いた国宝『洛中洛外図屏風』(米沢市上杉博物館蔵)の左隻右上に「千本ゑんま堂」が描かれている。
その境内では普賢象桜や十重石塔とともにゑんま堂狂言「閻魔庁」を演じている様子が描かれている。




まだ小雪舞う肌寒い時期に京都の御朱印巡りをいたしました。 船岡山から南西に10分ほど歩き、通称千本ゑんま堂とも呼ばれる引接寺(いんじょうじ)をお参りです。 現世と冥土を行き来して、地獄の閻魔法王の補佐役として執務したとの伝承が残る、小野篁(おののたかむら)が開基したとされる高野山真言宗のお寺です。 平安遷都まもなく、引接寺のある朱雀大路(現在の千本通り)の北側は、生者と死者の境となる平安京三大墓地の一つとされた蓮台野(れんだいの)と呼ばれていていました。 この時代の平安京内は、官寺としての東寺、西寺があるだけで寺院の移転や建設は一切認められていなかったこともあり、当時の平民を弔らう為の仏式儀式を行う場所は無く、身分の低い平民は埋葬供養されることもなく、至る所に屍が放置されていました。 この状態を憂いた小野篁は十王思想を取り入れ、人間界の裁きを司る閻魔法王像を祀る祠を建立して供養を行い、死者埋葬も行ったのが当寺の始まりであると云います。 寺号の「引接」とは「引導」と同義語で、仏が死者に迷いを去り悟りを開くよう説き聞かせ、浄土に往生させることだそうです。
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京都市上京区にあるお寺です。
山号は光明山
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は閻魔法王
です。
一般には千本ゑんま堂(せんぼん えんまどう)と通称されています。
引接とは仏が衆生を浄土に往生させることだそうです。
その名の通りこの寺は、かつての京都の3大墓地であった化野、鳥辺野、蓮台野(れんだいの)の一つである蓮台野の入口に立っています。
そもそもは現世と冥土を行き来して、閻魔法王とも交流したという伝承のある小野篁(六道珍皇寺でも有名)が、蓮台野の入口であるこの地に自ら閻魔法王の姿を刻んで祠を建立して祀ったのが始まりであるといいます。
お寺の境内に入ってすぐ左手に、大きな閻魔様が鎮座されています。
自分の罪を見透かされているような、そんな気分になるお寺です。



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