だいほうおんじ(せんぼんしゃかどう)|真言宗智山派|瑞応山
大報恩寺(千本釈迦堂)のお参りの記録一覧

3年ぶり3回目の参拝。
北野天満宮から徒歩で向かいました。こちら桜の時期には本堂前の桜がよく取り上げられますが、蕾もなく授与者の方のお話では今年の見頃は4月の2週目くらいのようです。
御朱印は4種。3種は六観音、1種は観音菩薩。今回はいただいたいなかった観音菩薩の御朱印を直書で拝受。
本堂 重要文化財
山門
稲荷社
稲荷社

昨日に続いて京都、今日は御所周辺。
まずは大報恩寺(千本釈迦堂)。真言宗智山派寺院で、本尊は釈迦如来。1221年に求法上人義空によって創建で、本堂は1227年建立の洛中最古の建物。
また当時のおかめ伝説では、本堂建立の際に大工が柱を切り誤って困っていた際に、妻の傍目が新たな方法を提案、無事乗り切ったものの、お妻の助言でできたとあってと大工としての体面を気にして自害してしまいます。大工はこのことを悔やみ、塚を立てまたおかめの面を御幣につけて飾ったそうです。
境内は広くはないですが、穏やかな時間が流れています。また拝観に含まれる宝物館も一見の価値があります。
御朱印
国宝本堂
蔀戸。
本堂前の参道
徒歩での入り口。
稲荷社

北野天満宮さんや、お気に入りの漬物屋さんの本店へ行った後に、大報恩寺(千本釈迦堂)さんへ立ち寄りました。
参拝後、御朱印帳を預けて、本堂と霊宝殿も拝観しました。
1221年、大報恩寺は藤原秀衡の孫である義空上人によって創建されました。
1227年に建立された本堂(国宝)は、応仁の乱などの戦禍を逃れて、創建当時の姿をとどめています。
また『おかめ』伝説のお寺としても知られています。
本堂の造営の際、大工の棟梁が四本ある柱のうち一本を誤って短く切り、困っているときに妻のおかめが短い一本に合わせ全部の柱を切るよう助言をしました。
そして、夫の失敗を救ったのが女性であることを人に知られないように、上棟式を待たずに自害されたそうです。
実在されていた方だったんですね。
参拝客が少なく、本当にゆっくり拝観することができました!
まだまだ知らない京都を堪能しました。
おかめ桜を観に、是非また参拝したいです。
新西国三十三ヶ所 第16番の御朱印

とても静かで、落ち着けるお寺です。800年前の創建時そのままのご本堂。
気持ちの良い風が吹いていました。
六道のどこにいても私たちを救ってくださる六観音像は素晴らしいの一言。
敬虔な気持ちになれました。
ボケ防止の御朱印と悩みましたが(^_^;)、やはり六観音にしました。
古くて趣のあるお堂。
ずっと残ってほしいなぁ。
お堂の中からの景色

まだ小雪舞う肌寒い時期に京都の御朱印巡りをいたしました。 千本ゑんま堂から千本通を南下して通称、千本釈迦堂とも呼ばれる大報恩寺(だいほうおんじ)へ向かいます。 鎌倉時代初期の承久3年(1221年)に義空(ぎくう)上人によって創建された真言宗智山派の古刹で、応仁・文明の乱をはじめとして幾多の戦火を免れ創建当時の姿を留めている本堂は、国宝にも指定されています。 また、この本堂の造営に纏わる話として「おかめ物語」は有名です。 大報恩寺の本堂の建てる際に大工の棟梁を務めた長井飛騨守高次(ながいひだのかみたかつぐ)という人の妻、おかめ(於亀)は、代りのない大事な柱の寸法を切り誤ってしまい困っていた夫の高次に、素人ながらに的確なアドバイスをして、その結果無事に大報恩寺を竣工させることができたといいます。 しかし女性である自分の助言で事を成し遂げたと知れたら夫の恥になると考えたおかめは、上棟式を待たずに自害してしまったという悲しい話で、夫を想うよき妻の人柄を伝えるこのエピソードは「おかめ信仰」として大報恩寺に残されていて、境内にある「おかめ塚」や「おかめ像」は厄除・招福信仰のシンボルとして、縁結びや夫婦円満などのご利益があるとされています。 また本堂前には、この逸話から命名された枝垂桜「阿亀桜」があり、毎年春になると美しく咲き誇って参拝客を楽しませるそうです。
大報恩寺・寺院名碑と参道
大報恩寺・山門と参道
大報恩寺・稲荷社
大報恩寺・本堂
大報恩寺・おかめ像
大報恩寺・於亀桜
大報恩寺・北野経王堂
大報恩寺・不動明王堂
御朱印・六観音
京都府のおすすめ🎎
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
7
0