こまつだに しょうりんじ|浄土宗|清涼山
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| 名称 | 小松谷 正林寺 |
|---|---|
| 読み方 | こまつだに しょうりんじ |
| 通称 | 小松谷御坊 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-541-8388 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
| 法然上人二十五霊場 第14番 | 御詠歌: 千年経る 小松のもとを 住みかにて 無量寿仏の 迎へをぞ待つ |
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詳細情報
| ご本尊 | 圓光大師像 |
|---|---|
| 山号 | 清涼山 |
| 院号 | 光明眞言院 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 創建時代 | 1202年(建仁2年) |
| 開山・開基 | 法然上人・九条兼実 |
| ご由緒 | 当地(小松谷)は昔、小松内大臣・平重盛公の別邸(小松殿)で、四十八の灯籠を点して念仏行道された所処であったが、平家没落の後、九条関白兼実公の山荘となった。兼実公は月輪御殿造営の時、宗祖法然上人のためにこの地にお堂を建て、上人を招き、法談を聴き、ついに建仁2年(1202)剃髪出家された旧跡である。法然上人は建久9年(1198)、兼実公の願いにより「選擇本願念佛集」を著述し、鎮西聖光房にお渡しになる。また元久2年(1205)上人が病になられた時、兼実公は聖覚法印に命じて病の治癒を祈らせたと伝えられている。兼実公の師事とともに、上人にとって小松谷は最もご縁深き遺跡である。しかし、上人は弟子の住蓮房・安楽房の罪により、流罪の身となり建永2年(1207)75歳の老齢でこの地から配所四国に出立されることとなる。
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| 体験 | 仏像御朱印武将・サムライ札所・七福神巡り除夜の鐘 |
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