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いまひえじんぐう

新日吉神宮
京都府 七条駅

新日吉神宮について

秀吉にゆかりがあり、また様々な神様を祀っている、とても静かな神社です。
境内はとても広く、本殿の周囲にも沢山の神社があります。
また、本殿の裏には樹齢800年ほどの大木があり、大きなパワーも貰える、とても良い神社です。
静かに参拝したい人にはとてもオススメです。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年08月23日(日)3796投稿

新日吉神宮は京都市東山区にある神社です。
この日も東山散策です。
大河ドラマ「豊臣兄弟」の影響で 豊国廟に参拝したいと思い その途中にある新日吉神宮に参拝しました。
こちらに訪れるのは二度目です。
いやぁこの日は暑かった。
駐車場に車を停めて こちらまで10分ほど歩いただけで汗があふれ出てきました。
16:00ごろ帰る時に車の温度計を見たら41度でした。

東山七条の交差点に社号の石柱と由緒書がありました。
楼門まではまだ距離があるのですが 妙法院と智積院に挟まれた道なので 誘導の意味もあるのでしょう。
豊国廟に上がる 「女坂」という坂道で 陽射しがきつかったので女坂でもしんどかったです。
300mほど坂を上がると鳥居がありました。
狛犬さんがかなり古いもののようで 焼けていて色が変わっているうえに苔?カビ?がついていて古さを感じます。
もうここに何十年 いや百年以上座っておられることでしょう。
楼門はとても立派です。
色が塗りなおしされていますので古さを感じないのですが 木組みを見るとひずんでいることが分かります。
修繕されていたとしても ひずみが出ているぐらい古いものであることは分かります。
古い建物が今に残っていることには驚きと感謝の気持が湧きます。
境内にはいると 「旧午砲台座」があります。
明治時代に正午を知らせるために空砲を鳴らす制度があったそうで もとは高台寺前にあったそうですが その振動が強かったためにこの地に移されたそうです。
境内にはもう一対狛犬がいました。
石材の質も色も違いますし 表情も違います。
造られた年代が違うことがわかります。
拝殿もまた立派な建物でした。
近寄れないように柵があるのですが 上がるつもりもありませんので見られたら良いです。
緑青がついた照明器具(名前が分からない)があり かっこいいです。
本殿手前には 網の中に入った猿が座っていました。
この猿は御神猿という名で 大神の御使者だそうです。
信者の災禍を去るという不思議な働きをされるそうです。
また網の中にいるのは 猿が夜中に動き回るのを防ぐためだそうです。
本殿拝所には 大黒様と真猿が安置されていました。
大黒様は全部で4体。
本殿では 「商売繁盛」はおいておいて 「健康」をお願いしました。
本殿の裏には 神木のスダジイがありました。
幹周が4m以上もあり 江戸時代以前から現存していたと考えられているそうです。
境内社がいくつかありましたが 別登録されているようなのでそちらで投稿します。
参拝が終わって社務所で御朱印をいただきました。
少し木陰になっていたのですが 境内を巡るだけでも汗が噴き出してきて 御朱印をいただいたあとに社務所前にあるベンチで休ませていただきました。
「今日はやばいぞ」と思ったのですが 結果その通り ほぼ熱中症状態で帰宅しました。

ネット情報です。
主祭神は日吉山王七神(大山咋命・大山咋命荒魂・大己貴命・玉依比売命・玉依比売命荒魂・田心比売命・菊理比売命)・後白河天皇
社格は旧府社
創建は永暦元年(1160年)
当社は 永暦元年(1160年)に後白河上皇によって院の御所・法住寺殿の鎮守社として 日吉大社より山王七社(上七社)を勧請して現在より南の地に新日吉社として創建された。
同時に 新日吉社の別当寺とするために妙法院を比叡山延暦寺の山内から祇園社(現・八坂神社)の西側に移転させている。
また 同じく鎮守社として新熊野神社 鎮守寺として蓮華王院(三十三間堂)が建立されている。
室町時代以降は応仁の乱などの戦乱によりほとんど廃絶という状態であったが 寛永17年(1640年)に現在地のやや北東側 廃絶された豊国社と豊国廟の参道上に再建された。
あたかもそれらの参道を塞ぐように再建されたため 「江戸幕府が旧豊国社や旧豊国廟への参拝を妨げるために再建した」との説が明治時代以降流布したが この再建に幕府が積極的に関わった形跡はなく 伝承では再建したのは後水尾上皇 直接に関与したのは妙法院の尭然入道親王(後水尾上皇実弟)である。
豊国社が廃絶されてからはその神体は妙法院で密かに祀られていたのであるが 江戸時代の中頃からは新日吉社で祀られていた。
しかし 天明5年(1785年)にその神体を祀るために新たに樹下神(十禅師 鴨玉依姫神)を勧請して樹下社(このもとのやしろ 現在は豊国神社と改称)が創設されている。
これらのことから新日吉社の再建は 実は「豊国神社の復活」ではなかったかとの見方もある。
このような説が生まれる背景には 秀吉の元の姓が「木下」(樹下に通ずる) また幼名が「日吉丸」(日吉社に通ずる)と符合する点があるからである。
1897年(明治30年)に豊臣家ゆかりの旧大名家によって豊国廟が再興されることとなり 当社はその参道上にあったために社地を南西の現在地に移すこととなり移転した。

新日吉神宮(京都府)

社号の石柱 楼門よりずいぶん手前にあります

新日吉神宮(京都府)

由緒書

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歴史

平安末期。平氏・源氏・公家が争っていた時代。 後白河天皇は天皇を退位なされ上皇になられました。 この時代の実権は上皇が握っていました。 後白河上皇は院の御所をお定めになられましたときに
皇居の守護神として、比叡山の守護神/日吉社(現・日吉大社)を勧請なされ、京都・東山の麓に「新しい日吉神社」を創祀されました。(1160年)
創祀850年以上になりますが「新」が付いております。

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新日吉神宮の情報

住所京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
行き方

京阪本線七条駅から徒歩13分

新日吉神宮の基本情報

名称新日吉神宮
読み方いまひえじんぐう
トイレ随神門入って左手にあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号075-561-3769

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://www.imahie.com
おみくじあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神本殿 後白河天皇
山王七社 大山咋神・妃神賀茂玉依姫命
     大己貴命・田心比売命・菊理比売命
     大山咋命荒御魂・賀茂玉依姫命荒御魂
相殿二座 素盞嗚尊・大年神
創建時代1160年(永暦元年)10月16日
創始者後白河天皇
ご由緒

平安末期。平氏・源氏・公家が争っていた時代。 後白河天皇は天皇を退位なされ上皇になられました。 この時代の実権は上皇が握っていました。 後白河上皇は院の御所をお定めになられましたときに
皇居の守護神として、比叡山の守護神/日吉社(現・日吉大社)を勧請なされ、京都・東山の麓に「新しい日吉神社」を創祀されました。(1160年)
創祀850年以上になりますが「新」が付いております。

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