ようげんいん|浄土真宗遣迎院派|南叡山
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楽しみ方養源院のお参りの記録一覧
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次に養源院様にお参りに向かいました。
養源院様は浄土真宗遣迎院派の御寺様で、御本尊は阿弥陀如来と大日如来をお祀りされています。
淀君が父である浅井長政の菩提を弔う為に秀吉に建立してもらったのが始まりですが、その後、焼失してしまいます。
当時の幕臣達は豊臣縁の寺院の再建には消極的でしたが、二代将軍徳川秀忠の正室で、淀君の妹のお江の方が関ヶ原の合戦の際に、伏見城で自害した宿老 鳥居元忠、運命を共にした将兵達の血で染まった床板を天井板として用いることで、その御霊をお慰めするという案を提案し、幕臣の賛同を得たそうです。
個人的には、象を見たことがない俵屋宗達が杉戸に描いた白象が強く印象に残りました。
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京都市内の寺院巡りの2寺目は、東山区に在る南叡山 養源院です。宗達寺、血天井の寺と言われます。こちらも先の法住寺と同じく超有名な三十三間堂の道路を挟んだ東側です。(法住寺の直ぐ北側)住所も三十三間堂廻り町。
以前から気になっていた寺院ですが、開門日が変則的なため今回の予定コースには入れておりませんでした。当日が偶々開門日になっていましたので、急遽拝観する事にしました。(後から知りましたが、Instagramに開門日を掲載されています。)
浄土真宗遣迎院派で、本尊は阿弥陀如来。
1594年に豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政、兄・万福丸、祖父・久政の追善のため、父・長政の21回忌あたり、秀吉に請して創建。開山は比叡山の僧侶・成伯法印で天台宗であり、寺名は浅井長政の法号「養源院天英宗清」によります。1619年に火災により殆どの堂宇を焼失するも、1621年に2代将軍・徳川秀忠の継室・崇源院(お江、淀殿の妹)が、秀忠に頼み、伏見城の遺構の書院、殿舎を移して再建。伏見城で自刃した徳川家臣の鳥居元忠らの追善という形で血の沁みた床板を天井に張り(血天井)、以降徳川家の菩提寺、位牌所、皇室の祈願所になった。終戦の1945年に浄土真宗遣迎院派に改宗し、現在に至ります。
駐車場が無いため、後から行く予定の京都国博のコインパーキングに駐車してから向かいました。(南へ数分で着く。)
山門前には大きく「血天井」と書かれた立札がやけに目立ちます。山門をくぐると左側に手水、右側に弁財天。少し進むと左側に毘沙門天。緩い傾斜の参道の両側にはモミジの木々、秋の紅葉🍁は綺麗な事でしょう。(決して青モミジも悪くない。)
参道を進むと客殿(本堂)の前に出ます。左側に手水、ヤマモモの木に白鷹龍神・赤桃明神・白玉明神が祀られています。右側には鐘楼、地蔵堂、奥には護摩堂が見えます。
客殿の玄関に入ると拝観受付がありますので、拝観料(600円)を納めて、御朱印(書置きのみ)を頂きました。ご住職?に説明して頂きながら堂内を拝観するスタイルで、割と多目の拝観客でした。堂内の撮影は一切禁止です。先ず、誰でも写真等で見た事がある俵屋宗達筆の超有名な「白像図」から。現物を目の前にすると思っていたものよりずっと大きいし、流石・凄いという感じ。(保護等の観点から複製の展示が多い中、実物が間近で観れるのは本当に有難い。)その横の部屋には、かつて豊臣秀吉が伏見城内に祀っていた「大聖歓喜天」、聖天さんです。とは言っても見れません。
次に「白像図」の対面にある俵屋宗達筆の「麒麟図」、上を見ると「血天井」。当日が雨上がり後の曇り空だったため「ちょっと暗いのでわかり辛いかもしれませんが。」と言いながら差し棒を使って説明頂けると「あ、確かに。」という感じ。(血天井は割と残っていますね、何処で見たのか覚えがありませんが。岐阜市の寺院にもあります。)
その次に「牡丹の間」へ。狩野山楽筆による襖絵の「牡丹図」、綺麗ですね。仏像も3躯安置されていましたが、メモるのを失念してしまいよく覚えていません。頂いたリーフレットを見ますと、中尊に地蔵菩薩、左側に阿弥陀如来、右側に如意輪観音です。この阿弥陀如来は中尊ではないので、本尊ではないようです。
最後に玄関の真ん前にある俵屋宗達筆の「唐獅子図」です。「麒麟図」の裏側になります。板扉の両面に書かれているという事ですね。板扉の位置は拝観用に変えたわけではなく、元々あった位置のままとの事でした。
他に俵屋宗達の現存する唯一の襖絵「岩に老松図」、狩野山楽の羽目板貼付絵は「松の間」にあるそうですが、通常非公開だそうです。


京都市東山区にあるお寺です。
山号は南叡山
宗旨宗派は天台宗(浄土真宗遣迎院派)
ご本尊は阿弥陀如来
です。
東山区には寺院が本当にたくさんあるので 地図で確認したのですが 養源院さんの入り口をなかなか見つけられず迷子になっていました。
歩いていたお姉さん(私よりも)に尋ねたところ、何と三十三間堂さんから徒歩1分でした。
門を見て何やら相談しているカップルがいました。
入ろうかどうか そんな感じでした。
それもそのはず 「血天井」 夏にはちょうどいいかと思いますが。
御朱印をいただいたら 「ではご説明を」と そのまま天井と方丈の説明を聞くこともできました。
血の人型 なるほどそう見えました。
あっ!また写真撮るの忘れてた と気づいたのは次のお寺に入った時でした。


浄土真宗遣迎院派 南叡山 養源院
三十三間堂の東大門の向かい、法住寺の北側に位置しています。
もとは天台宗とのこと。
文禄3年(1594年)、浅井長政の菩提を弔うため長政の二十一回忌に長政の長女・淀殿の願いにより豊臣秀吉によって建立されました。
その後、元和5年(1619年)火災により焼失したそうですが、その2年後の元和7年に長政の三女・お江(崇源院)によって再建。
本堂は有料(600円)ですが説明付で拝観させていただけます。
まずは本堂(客殿)に上がると「うぐいす張り」の廊下を進みます。
突き当たりの部屋には、俵屋宗達が描いた杉戸絵「白象図」があります。
これは伏見城で自刃した徳川家の家臣たちの英霊を慰めるために御回向にちなんだ絵を描いたものとされています。
さらにこの白象図の杉戸絵の左手には「松の間」があり、徳川歴代将軍の位牌所となっています。
その松の間の襖絵も宗達によるもので、「岩に老松図」とよばれています。
こちらの襖絵は、宗達が描いた現存する唯一の襖絵だそうです。
また白象図の向かい側に位置する本堂入口側の杉戸絵は「麒麟」が描かれていました。
麒麟は中国の想像上の動物ということは知っていましたが、麒麟の「麒」は角がある雄で、「麟」が雌だそうです。
そしてこの麒麟が描かれた杉戸の裏側には「唐獅子」が描かれており、いずれも躍動感があり今にも飛び出してきそうで、ついついその迫力に引き込まれてしまいました。
これらはいずれも国の重要文化財に指定されています。
本堂に入ってすぐ左手には「牡丹の間」があり、こちらの襖絵は狩野山楽が描いたものだそうで、金箔で表された雲に25個の紅白の牡丹の折花が描かれています。
説明によるとこれは二十五菩薩の化身と考えられているそうです。
そしてこの本堂の天井。
血天井と呼ばれており、伏見城で自刃した徳川の兵士達の血で染まった床板をこのお寺の天井に用いてお弔いされているとのこと。
手や足跡、そして鳥居元忠が自害した跡の説明などもありました。
歴史と芸術の沢山つまったお寺で、とてもよい参拝となりました。
残念ながら本堂内は撮影禁止のため写真はありませんが、ぜひご自身の目で見ていただきたいお寺です。
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