こんぷくじ|臨済宗南禅寺派|佛日山
金福寺京都府 一乗寺駅
9:00~17:00
京都市左京区にあるお寺です。
山号は佛日山
宗旨宗派は臨済宗南禅寺派
ご本尊は聖観音菩薩
です。
詩仙堂の少し南にあるこの寺には与謝蕪村の墓所があり、松尾芭蕉が滞在したとされ、芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって再興された芭蕉庵があります。
慈覚大師円仁の遺志により、安恵僧都が創建し、円仁自作の聖観音菩薩像を安置されました。
写真撮影はできませんでしたので、説明の写真の写真を撮りました。
境内を少し上ったところに芭蕉庵があります。
茅葺き屋根の庵で、内部は千利休が造った待庵に似た三畳台目の茶室となっています。
元禄時代に鐡舟和尚と親交の深かった松尾芭蕉が京都を旅行した際に滞在したことで知られ、周辺の住民によって芭蕉庵と呼ばれるようになりましたが、後に形がないほど荒廃したために、芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって、1776年再興されたものです。
そのため、小高い丘には与謝蕪村とその一門の方々のお墓や石碑があります。
芭蕉庵に続く道
歌碑
苔むした石段を登ります
芭蕉庵
芭蕉の碑
翁の水
与謝蕪村の墓
枯山水の庭に 桔梗がきれいに咲いていました
本堂
ご本尊 円仁自作の観世音菩薩 の写真
村山たか女が建立した弁天堂
御本尊 聖観音菩薩
小説「花の生涯」のヒロインである村山たか女が波乱の生涯を終えた寺
与謝蕪村等のお墓があります。
松尾芭蕉が滞在しのちに与謝蕪村が再興した茅葺の“芭蕉庵”
七代目小川治兵衛が作庭した枯山水庭
佛日山金福寺は清和天皇の貞観六年、慈覚大師が自作の聖観音菩薩像を祀り、国家安泰、衆生教済を念じて創建された。その後、一時荒廃したが六禄の頃、鉄舟和尚が復興して臨済宗とした。その頃、松尾芭蕉は時々、鉄舟和尚を訪ねて親交を深めて居たので人々が、後丘の庵を芭蕉庵と云う様になった。降って安永の頃、与謝蕪村の一門が庵の退廃を慨いて再興したのが、今日の庵室で、彼等はしばしば当寺を訪れ句会を開いて居た。この寺は観音の霊場で、また、俳諧の聖地とされ蕪村、呉春、景文、中川四明、青木月斗、穎原退蔵とのゆかりも深い。
名称 | 金福寺 |
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読み方 | こんぷくじ |
参拝時間 | 9:00~17:00 |
参拝料 | 500円 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
電話番号 | 075-791-1666 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
京都洛北森と水の会 第18番 |
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ご本尊 | 観世音菩薩 |
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山号 | 佛日山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
創建時代 | 864年(貞観6年) |
開山・開基 | 安恵僧都 |
ご由緒 | 佛日山金福寺は清和天皇の貞観六年、慈覚大師が自作の聖観音菩薩像を祀り、国家安泰、衆生教済を念じて創建された。その後、一時荒廃したが六禄の頃、鉄舟和尚が復興して臨済宗とした。その頃、松尾芭蕉は時々、鉄舟和尚を訪ねて親交を深めて居たので人々が、後丘の庵を芭蕉庵と云う様になった。降って安永の頃、与謝蕪村の一門が庵の退廃を慨いて再興したのが、今日の庵室で、彼等はしばしば当寺を訪れ句会を開いて居た。この寺は観音の霊場で、また、俳諧の聖地とされ蕪村、呉春、景文、中川四明、青木月斗、穎原退蔵とのゆかりも深い。 |
体験 | 御朱印有名人のお墓 |
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