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曼殊院門跡ではいただけません
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まんしゅいんもんぜき|天台宗

曼殊院門跡
京都府 修学院駅

9:00~17:00(受付は~16:30)駐車場 50台無料(普通車のみ)

曼殊院門跡について

小さな桂離宮と呼ばれている


大書院の周辺には、霧島つつじが植えられており、5月のはじめ頃に深紅の花を咲かせる事で有名。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2023年07月05日(水)
1928投稿

京都市左京区にあるお寺です。
宗旨宗派は天台宗
寺格は門跡
ご本尊は阿弥陀如来
です。
御存じとは思いますが、門跡寺院とは、皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のことです。
もちろん天台宗だけではないのですが、青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられます。
さすが門跡寺院だけあって、保有する文化財も多く、建物や庭にお金をかけてるなぁと思います。
壁に5本の水平な筋が入っていました。
今回初めて知ったのですが、この筋は門跡寺院としての格式の高さを表しているのだそうです。
ちなみに、5本は最高位だそうです。
とても歴史のあるお寺なので、うんちくを書いたらとんどもなく長くなりそうなので省略します。

門跡寺院には皇族がお参りすることが有名ですが、なんと、レアルマドリードのベッカム選手(サッカー)がお参りされていました。
そしてなぜか、キリスト教のミサでローマ法王とおそらくご住職が対面しており、不思議な感じがしました。
2022年に再建された宸殿は少し違和感がありましたが、美しさには変わりはありません。
庭の美しさは群を抜いていました。
建物の中は写真撮影禁止でしたので、外ばかりです。

曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡(京都府)

平成天皇ご参詣

曼殊院門跡の庭園
曼殊院門跡(京都府)

再建された宸殿

曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡の庭園
曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡(京都府)

計算された美しさ

曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡(京都府)
曼殊院門跡の鳥居
曼殊院門跡(京都府)
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歴史

他の天台門跡寺院と同様、最澄(767-822)の時代に比叡山上に草創された坊(小寺院)がその起源とされる。その後、12世紀頃に北山(現在の京都市右京区・鹿苑寺付近)に本拠を移し、洛中(現在の京都市上京区・相国寺付近)への移転を経て、現在地に移転したのは明暦2年(1656年)のことである。
寺伝では延暦年間(782-806)、伝教大師最澄が比叡山上に営んだ一坊がその起源とされる。円仁、安恵らを経て、天暦年間(947 - 957年)、是算国師の時、比叡山三塔のうちの西塔北谷に移り、東尾坊(とうびぼう)と称したという。曼殊院ではこの是算を初代としている。
曼殊院は平安時代以来、近世末期に至るまで北野神社(現・北野天満宮)と関係が深かった。歴代の曼殊院門主は北野神社の別当(管理責任者)を兼ねており、前述の是算が菅原氏の出身であったことから、菅原道真を祭神とする神社である北野神社の初代別当になったという。是算の北野別当就任時期については、北野神社創建時(天暦元年・947年)とする説と、創建時ではなく、寛弘元年(1004年)、一条天皇の北野神社行幸時のこととする説がある。『華頂要略』所収の「諸門跡伝」は是算の没年を寛仁2年(1018年)としており、この没年からみて、それより70年以上前の天暦元年(947年)の北野別当就任は不自然だとする研究者もいる
天仁年間(1108-1110)、是算から数えて8代目の門主・忠尋の時に、北野神社からさほど遠くない北山(現・京都市右京区)に別院を建て、寺号を「曼殊院」と改めた。別院を建設したのは、北野神社の管理の便のためと思われる。比叡山にある本坊と北山の別院とはしばらくの間、並立していたが、次第に北山の別院が主体となっていった。
北山にあった曼殊院は、足利義満の北山殿(後の鹿苑寺)造営のため移転を余儀なくされ、康暦年間(1379-1381)、洛中に移転する。移転先は相国寺の南方、現在の京都市上京区内に相当する。
明応4年(1495年)頃、伏見宮貞常親王の息で後土御門天皇の猶子である大僧正慈運法親王が26世門主として入寺して以降、曼殊院は代々皇族が門主を務めることが慣例となり、宮門跡としての地位が確立した。
曼殊院を東山山麓の現在地に移し、寺観を整えたのは29世門主の良尚法親王であった(法親王とは皇族男子で出家後に親王宣下を受けた者の称である)。曼殊院の現在地への移転は明暦2年(1656年)のことで、現存する大書院(本堂)、小書院などはこの時のものである。この地は曼殊院と同じく比叡山の小坊の1つで慶滋保胤らによって勧学会が開かれたものの後に廃絶した月林寺の跡地であったと言われている。
良尚法親王は桂離宮を造営したことで名高い八条宮智仁親王の第二皇子であり、後水尾天皇の猶子であった。良尚法親王は天台座主(天台宗最高の地位)を務めた仏教者であると共に茶道、華道、香道、和歌、書道、造園などに通じた教養人であり、当代文化に与えた影響は大きかった。曼殊院に伝存する茶室、古今伝授資料(古今和歌集の秘伝を相承するための資料)、立花図(池坊流2世池坊専好の立花をスケッチしたもの)などの文化財は法親王の趣味と教養の広さを示している。

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曼殊院門跡の基本情報

住所京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
行き方

市営バス
JR京都駅より5番、地下鉄北大路駅より北8番、その他31番系統で、地下鉄国際会館駅より5・31番系統で、一乗寺清水町下車、東へ徒歩20分
叡山電鉄
修学院駅下車徒歩約20分

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名称曼殊院門跡
読み方まんしゅいんもんぜき
参拝時間

9:00~17:00(受付は~16:30)駐車場 50台無料(普通車のみ)

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号075-781-5010
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.manshuinmonzeki.jp/

巡礼の詳細情報

神仏霊場巡拝の道

近畿三十六不動尊霊場

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
宗旨・宗派天台宗
ご由緒

他の天台門跡寺院と同様、最澄(767-822)の時代に比叡山上に草創された坊(小寺院)がその起源とされる。その後、12世紀頃に北山(現在の京都市右京区・鹿苑寺付近)に本拠を移し、洛中(現在の京都市上京区・相国寺付近)への移転を経て、現在地に移転したのは明暦2年(1656年)のことである。
寺伝では延暦年間(782-806)、伝教大師最澄が比叡山上に営んだ一坊がその起源とされる。円仁、安恵らを経て、天暦年間(947 - 957年)、是算国師の時、比叡山三塔のうちの西塔北谷に移り、東尾坊(とうびぼう)と称したという。曼殊院ではこの是算を初代としている。
曼殊院は平安時代以来、近世末期に至るまで北野神社(現・北野天満宮)と関係が深かった。歴代の曼殊院門主は北野神社の別当(管理責任者)を兼ねており、前述の是算が菅原氏の出身であったことから、菅原道真を祭神とする神社である北野神社の初代別当になったという。是算の北野別当就任時期については、北野神社創建時(天暦元年・947年)とする説と、創建時ではなく、寛弘元年(1004年)、一条天皇の北野神社行幸時のこととする説がある。『華頂要略』所収の「諸門跡伝」は是算の没年を寛仁2年(1018年)としており、この没年からみて、それより70年以上前の天暦元年(947年)の北野別当就任は不自然だとする研究者もいる
天仁年間(1108-1110)、是算から数えて8代目の門主・忠尋の時に、北野神社からさほど遠くない北山(現・京都市右京区)に別院を建て、寺号を「曼殊院」と改めた。別院を建設したのは、北野神社の管理の便のためと思われる。比叡山にある本坊と北山の別院とはしばらくの間、並立していたが、次第に北山の別院が主体となっていった。
北山にあった曼殊院は、足利義満の北山殿(後の鹿苑寺)造営のため移転を余儀なくされ、康暦年間(1379-1381)、洛中に移転する。移転先は相国寺の南方、現在の京都市上京区内に相当する。
明応4年(1495年)頃、伏見宮貞常親王の息で後土御門天皇の猶子である大僧正慈運法親王が26世門主として入寺して以降、曼殊院は代々皇族が門主を務めることが慣例となり、宮門跡としての地位が確立した。
曼殊院を東山山麓の現在地に移し、寺観を整えたのは29世門主の良尚法親王であった(法親王とは皇族男子で出家後に親王宣下を受けた者の称である)。曼殊院の現在地への移転は明暦2年(1656年)のことで、現存する大書院(本堂)、小書院などはこの時のものである。この地は曼殊院と同じく比叡山の小坊の1つで慶滋保胤らによって勧学会が開かれたものの後に廃絶した月林寺の跡地であったと言われている。
良尚法親王は桂離宮を造営したことで名高い八条宮智仁親王の第二皇子であり、後水尾天皇の猶子であった。良尚法親王は天台座主(天台宗最高の地位)を務めた仏教者であると共に茶道、華道、香道、和歌、書道、造園などに通じた教養人であり、当代文化に与えた影響は大きかった。曼殊院に伝存する茶室、古今伝授資料(古今和歌集の秘伝を相承するための資料)、立花図(池坊流2世池坊専好の立花をスケッチしたもの)などの文化財は法親王の趣味と教養の広さを示している。

体験国宝重要文化財
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