あわたじんじゃ
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楽しみ方粟田神社のお参りの記録一覧(2ページ目)

京都に所用で行った際、立ち寄って参拝しました。
あまり高所ではないと思いますが、境内からの眺めはとても良かったです。





十六社巡り6社目
アヒルで有名な粟田神社
くりたではないですよ、あわたです








宝物庫解放中





去年来た時は境内に車を停めましたが
今年は、上の写真のスロープの途中に新設された駐車場への入り口がありまーす

【京都刀剣御朱印めぐり】第11弾 参拝しました。
本殿の唐獅子の彫刻の目が光って見えます

【京都刀剣御朱印めぐり】第11弾 御朱印

唐獅子の目が光って見えました









青蓮院さんから粟田神社へ。小高い丘になっているので少しですが見通せます。平安の創建で、当時の東山道、東海道からの京への入り口。刀剣ブームで参拝が増えたようで、刀剣グッズを求める方々もいらっしゃいました。

御朱印。京の文字が良い。

二の鳥居。

鳥居を潜るとなだらかな階段の参道。

御本殿。落ち着いた感じ。

檜皮葺拝殿。本殿から離れていて、本殿で直接参拝します。むしろ舞殿のように見えます。

出世恵比寿。お願い一杯。

京都市製作の案内板によれば、旧粟田口村の産土神であり、平安前期(876)に出羽守 藤原興世(ふじわらのおきよ)が勅命によって勧請したことに始まり、平安後期に天台宗の僧である忠尋(ちゅうじん)が再建したものの、応仁の乱の戦禍に巻き込まれて焼失し、戦国中期に吉田兼倶(よしだかねとも)が再興したとされています。
一方、神社側の案内板によれば、上古の頃、第5代孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)を祖とする粟田氏が、祠を建てて氏神として祀っていたとも記されています。そのため、もしかすると相当古い時代から存在する神社なのかもしれません(ちなみに粟田氏は熱田(現・愛知県)に移ったとされる)。
なお、江戸時代までは「感神院新宮」「粟田天王宮」「粟田八大王子社」などと呼ばれていたそうですが、明治に入って社名を「粟田神社」と改めたとされています。




























京都十六社巡りの11社目。
京の七口の一つである粟田口にある、天台宗門跡青蓮院の鎮守社。スサノオノミコトとオオナムチノミコトを主祭神とし、厄除け・病除け・旅行安全祈願に訪れる人も多い。本殿と弊殿は江戸時代の複合社殿として貴重とされ、元禄16年(1703)に建てられた拝殿と合わせて京都市指定有形文化財に指定されている。10月には「粟田祭」が行われ、祇園祭の山鉾の原形といわれる「剣鉾」が巡行する。
梅の枝が持って帰れるように置いてありました。

鳥居⛩です。





手水舎です。


本殿です。




鍛治神社の⛩です。

鍛治神社


境内から平安神宮の鳥居⛩が見えます。

十六社めぐり
4社目





アヒルさんが
手水外に引っ越ししてた
てゆーか、置き方。。。






カッコエエ


この坂道を車で登り降り
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