あんようじ|時宗|慈円山(略して円山[えんざん])
安養寺京都府 東山駅
8:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 有り (自家用車は門前に2~3台程度駐車出来ますが、駐められない時は知恩院山門前駐車場か円山公園市営駐車場その他をご利用願います。) |
延暦年間(782年~806年)桓武天皇の勅願で最澄が開いたと伝わる。
1175年法然がこの地に吉水草庵を建て浄土宗の教えを広め始めたとされ、念仏発祥の地といわれる。
建久年間(1190年~1199年)慈鎮が中興し安養寺と称した。
その後衰微するが至徳年間(1384年~1387年)国阿上人によって再興された。
飛地境内に慈鎮が比叡山から勧請した弁天堂が建つ。
弁天堂東北隅にある慈鎮和尚多宝塔(石造宝塔)は鎌倉時代初期の造立で重文指定されている。
本堂
聖天堂
聖天堂
聖天堂
山門
弁天堂
弁天堂
石造宝塔
石造宝塔
石造宝塔
吉水の井
桓武天皇の勅命により、伝教大師が創建されました。
比叡山延暦寺と同時代に建てられたお寺です。
歴史を感じます。
法然上人の吉水草庵の旧跡でもあります。
親鸞聖人も29才の時か、六角堂の観世音の夢のお告げに従って吉水に参入念仏門に投ぜられたそうです。
「京都のいろは」というサイトで興味のある記事を見つけました。
江戸時代以降、安養寺の六阿弥と称される六つの塔頭寺院が席貸しの営業をはじめ、景色の良い貸座敷として民衆が集まる遊興場となり賑わったという
六阿弥は坂本龍馬、中岡慎太郎といった幕末の志士たちも利用していた他、大石内蔵助ら赤穂浪士が円山会議を開いた地としても知られている。
唯一「左阿弥」だけが現存しており、今も料亭として営業している。
円山公園には「龍馬と慎太郎の像」がありますよね
帰りに通ったのですが
写真を撮っておけば良かったと後悔しています。
調べれば調べるほど、歴史上の人物の名前が出てくるので面白いです。
境内からの眺め
最澄が創建。吉水坊と称し、法然が30数年間ここを本拠に称名念仏を宣揚・親鸞も入信したが、専修念仏弾圧で荒廃。1385年(至徳2)国阿が入寺、時宗に改めて興隆、境内に子院六阿弥坊(中の重阿弥で赤穂浪士が円山会議を開いた。)があったが、明治後期に消失、今は本堂、書院、弁天堂と料亭「左阿弥」を残すだけ。同寺の山号慈円山が円山公園の名称のもとになった。
住所 | 京都府京都市東山区円山町624 |
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行き方 | 京都市営バス
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名称 | 安養寺 |
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読み方 | あんようじ |
通称 | 吉水草庵 |
参拝時間 | 8:00~17:00 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-561-5845 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 阿弥陀三尊立像 |
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山号 | 慈円山(略して円山[えんざん]) |
院号 | 大乗院 |
宗旨・宗派 | 時宗 |
創建時代 | 延暦年間(782-806) |
開山・開基 | 伝教大師 |
ご由緒 | 最澄が創建。吉水坊と称し、法然が30数年間ここを本拠に称名念仏を宣揚・親鸞も入信したが、専修念仏弾圧で荒廃。1385年(至徳2)国阿が入寺、時宗に改めて興隆、境内に子院六阿弥坊(中の重阿弥で赤穂浪士が円山会議を開いた。)があったが、明治後期に消失、今は本堂、書院、弁天堂と料亭「左阿弥」を残すだけ。同寺の山号慈円山が円山公園の名称のもとになった。 |
体験 | 御朱印武将・サムライ札所・七福神巡り |
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