あんようじ|時宗|慈圓山(略して円山[えんざん])
安養寺京都府 東山駅
8:00~17:00
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楽しみ方
安養寺は京都市東山区にあるお寺です。
知恩院の真南 円山公園のいちばん奥にあります。
以前一度参拝したことがありますが その時は 円山公園のいちばん奥ってどうなってるんかな?でお見掛けして参拝しました。
今回は親鸞聖人縁のお寺と知ってからの参拝です。
円山公園を奥に進むと 料理屋さんや料亭があります。
町から外れたこの場所までお食事をしにくるということは 普通のお食事処ではなさそうです。
さて 八坂神社から直線距離で500mほど歩くと安養寺の山門に着きました。
前に来た時には知らなかったんですよね 吉水草庵の意味。
本堂には 「真ん中の扉を開けてご自由にお参り下さい」と書かれていました。
前もそうだったかな?
中で庫裡と繋がっているのは分かりますが ご自由にって言うのは 信頼関係だなぁと思いました。
ありがたく中に入っての参拝となりました。
ご本尊の阿弥陀如来像も拝顔できました。
本堂裏手に大聖歓喜天尊がありますので そちらに行こうとしたのですが 途中の道が雑草でふさがれていて行けませんでした。
おそらくお寺の方は庫裡から繋がる廊下で行けるのでしょうけれど。
きっと別ルートがあるのでしょう。
ネット情報です。
山号は慈円山(略して円山)
宗派 時宗
ご本尊は阿弥陀如来
創建年は伝・延暦年間(782年 - 806年)
開山は伝・最澄
別称は吉水草庵
寺伝によると延暦年間(782年 - 806年)に最澄がこの真葛ヶ原の北東の地に 桓武天皇の勅命によって開山となり 創建されたという。
平安時代には荒廃していたが 付近の青蓮院に住していた天台宗の慈円(慈鎮和尚)の援助を受けた法然が承安5年(1175年)にこの地に住み 吉水草庵を建てて浄土宗の教えを広め始めた。
証空などの弟子も増えていくと境内が狭くなり 次第に中房 西の旧房 東の新房の三坊に広げられ 建久年間(1190年 - 1198年)には慈円が隠居所「吉水房」を創建する。
浄土真宗の開祖となる親鸞も建仁元年(1201年)にこの地に来 法然の弟子となった。
なお 慈円の兄は法然の信者である関白九条兼実であり 親鸞は慈円の下で得度しているという関係があった。
しかし、建永元年(1206年)に起きた承元の法難によって 法然は土佐国 後には讃岐国に流罪にされ 浄土宗の一大拠点吉水草庵は大打撃を受ける。
そこに慈円が本格的に吉水草庵ならぬ安養寺の復興に着手しだし 比叡山から弁財天を勧請して弁天堂を建て安養寺の鎮守とし さらに境内に法華懺法を修する道場として大懺法院を建立したため寺勢は回復し 慈円は吉水僧正や吉水大師と呼ばれるようになった。
山号の「慈円山」は慈円からとられたものである。
円山公園の一画は 明治政府によって官収された安養寺の元境内で 公園の名称「円山」も安養寺の山号「慈円山」に由来する。


最澄が創建。吉水坊と称し、法然が30数年間ここを本拠に称名念仏を宣揚・親鸞も入信したが、専修念仏弾圧で荒廃。1385年(至徳2)国阿が入寺、時宗に改めて興隆、境内に子院六阿弥坊(中の重阿弥で赤穂浪士が円山会議を開いた。)があったが、明治後期に消失、今は本堂、書院、弁天堂と料亭「左阿弥」を残すだけ。同寺の山号慈円山が円山公園の名称のもとになった。












| 住所 | 京都府京都市東山区円山町624 |
|---|---|
| 行き方 | 京都市営バス
|
| 名称 | 安養寺 |
|---|---|
| 読み方 | あんようじ |
| 通称 | 吉水草庵 |
| 参拝時間 | 8:00~17:00 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-561-5845 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
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