こんちいん|臨済宗南禅寺派大本山南禅寺塔頭
金地院のお参りの記録一覧
南禅寺の塔頭の一つである金地院。こちらには徳川家康公の遺言によって創建された東照宮があります。家康公は晩年に側近の以心崇伝、南光坊天海、本多正純を召して遺言を伝えました。その中で久能山に遺体を納め、日光と金地院には小堂を建てることを依頼したため、当社は創建の由来においては現在の日光、久能山の同等な存在であることが窺えます。
今回は東照宮の参拝写真のみ上げます。
《楼門》
こちらは平時から封鎖されていますが、金地院の拝館とともにはいることができます。
《明智門》
《庭園のカモ》
いつもいるような気がしますが、たしかカモは冬の渡り鳥だったはず。
《鳥居と灯籠》
《手水舎》
水は流れています。
《表参道》
《境内》
意外にも紅葉する木々は植えられていません。またはすでに落ちてしまっているのかもしれませんね。
《神門》
《門の葵紋》
先日東京銀座の歌舞伎座に開いていた家紋を作る屋台で伺いましたが、この徳川の葵紋は一族が使っていた葵に八幡神の三つ巴紋を合わせて作られたそうです。
《拝殿》🙏
《由緒書き》
《天井の鳴き龍》
👁チェックポイント‼️
本来家康公の遺言においては日光と金地院には「小堂」を建てるようになっていましたが、天海が久能山から日光に遺体を改葬したことで、日光東照宮は当初の予定より大きく荘厳な建物へと歴代の将軍(特に家光公)が改築を重ねていくことになりました。ですが元は同等の社として創建されていたため共通点が多く、この鳴き龍も有名な日光の本地堂にあります。
《家康公の遺訓》
個人的に一番好きなのは一番左の「及ばざるは過ぎたるよりまされり」
これから努力の余地があると言われているように感じます。
《本殿》
装飾はかなり控えめですが、建築様式は他の東照宮と同じく権現造です。
《末社》
先程カモさんがいた池のほとりに立っています。遠目ですがお狐さまが見えるので稲荷神社ではないでしょうか。違うかもしれない。
【金地院(こんちいん)】
本尊:地蔵菩薩
宗派:臨済宗南禅寺派
開基:足利義持(中興:以心崇伝)
金地院は、京都市左京区南禅寺福地町に位置します。南禅寺の塔頭。江戸幕府の法律や外交を担った僧・以心崇伝が住したことで知られています。徳川家康の遺言(「京都には南禅寺中金地院へ小堂をいとなみ、所司代はじめ武家の輩進拝せしむべし」)による東照宮があります。
【東照宮下乗門】
【楼門】
【石標】
【庫裡】
【明智門】
【弁天池・弁天社】
【手水舎】
【東照宮 参道】
【東照宮】
【東照宮~開山堂】
【開山堂】
【開山堂 内陣】
【方丈】
【方丈 扁額】
金地院という名称の由来ともなった「布金道場(ふきんどうじょう)」。山岡鉄舟の筆。
【鶴亀庭園】
亀島。
【鶴亀庭園】
【鶴亀庭園】
鶴島。
【ねじりまんぽ】
ねじりのあるトンネル。東照宮下乗門と反対側に位置します。ここをくぐり南禅寺に入りました。
京都市左京区にあるお寺です。
宗旨宗派は臨済宗南禅寺派
寺格は南禅寺塔頭
ご本尊は地蔵菩薩
です。
眞乗院は南禅寺境内の南側にあります。
江戸幕府の法律や外交を担った僧・以心崇伝が住したことで知られます。
僧録司が置かれ 一塔頭寺院に留まらず江戸時代を通じて五山十刹以下全ての住職の任命権を持つ事実上の最高機関とされたそうです。
また10万石の格式を持ち 「寺大名」とも呼ばれたそうです。
小堀遠州作の庭が国の特別名勝に指定されています。
本堂の方丈は お寺の方のガイド付きで拝観できました。
禅院方丈に典型的な六間取りです。
中央の手前が「室中」
中央の奥が本尊地蔵菩薩像を安置する「仏間」
西側は手前が「次の間」(檀那の間)
西側の奥が「富貴の間」(衣鉢の間)
東側は手前が「鶴の間」(礼の間)
東側の奥が「菊の間」(書院の間)
となっています。
方丈のいちばん奥には 茶室「八窓席」があります。
茶室というと 躙口から入るものと思いますが こちらは方丈から入る貴人口も併せ持ちます。
また躙口手前には縁もあり 家臣をこちらで待たせるなど 格の違いを見せつけるような茶室となっているようです。
「富貴の間」は奥に床高を一段高めた上段を設け 床・棚・付書院を設け 天井を格天井とする格式の高い部屋です。
各室の襖や障子腰板には 狩野派による金地の障壁画があります。
障壁画の主な画題は「富貴の間」が松 「次の間」が松・梅・牡丹 「室中」が唐人物 「鶴の間」と「菊の間」がそれぞれ鶴と菊などです。
方丈の南側には 鶴亀蓬莱の庭があり 東に亀石 西に鶴石が置かれています。
鶴亀の庭の西側には開山堂があります。
以心崇伝の塔所で 左右両側には十六羅漢像が安置されています。
掛かっている勅額は 後水尾天皇の筆だそうです。
さらに南側には 徳川家康の遺言による3つの東照宮のうちの一つがあり 江戸幕府による増改築が度々なされています。
東照宮には 専用の門がありますが 現在はそこから入ることはできないようです。
本当に見どころ満載な塔頭です。
塔頭というより別格本山ですね。
明智光秀が建てた門 明智門
東照宮専用の門
東照宮
開山堂
中央は以心崇伝
鶴亀蓬莱の庭 全景
こちらが鶴
お互い向き合って
こちらが亀
方丈内に釣り鐘
こちらから方丈の奥へ案内されます
そうだ京都行こう〜紅葉名所編②〜 次は金地院です。南禅寺の手前で見つけました。ということは予定外です。理由は・・・
もうすぐ南禅寺に着く手前に門がありました。塀のパネルに目がとまりました。
東照宮😳?? 京都にもあったんだ! だとしたら行くべきでしょう。目的追加です。
名勝庭園も気になります。
色々
パネルが
ありました。
こちらは室町時代創建です。慶長の初め南禅寺の塔頭寺院として移築されました。徳川幕府や朝廷から厚い保護を受け、襖絵は狩野探幽、額は山岡鉄舟、庭園は小堀遠州などそうそうたるメンバーが名を連ねています。知らなかったぁ😅
明智門です。あの明智光秀が寄進されたそうです。
弁天池です。奥に見えるのが重文の方丈です。
お庭もなかなかいいですよ。
鳥居が見えました。
唐門です。
重文の拝殿です。
こちらでお参りです🙏 特に葵の御紋は見あたりませんが、
立派な東照宮です。
天井画は狩野探幽、36歌仙の額は土佐光起の筆によるものです。
奥の本殿も東照宮らしくカラフルです。
開山堂です。
後水尾天皇の勅額が掲げられています。真ん中の方はこちらを発展させた崇伝長老です。
庭園に来ました。
寛永7年、小堀遠州作の鶴亀の庭園です。特別名勝に指定されています。手前の広い白砂と奥の岩や山が絶妙なバランスです。それにしても京都は名園が多いです☺️
残念ながらこちらでは御朱印は扱っていませんでした🥲 でも思わず東照宮に出会えて良かったです🤩 ありがとうございました。
南禅寺塔頭。
応永年間(1394年 - 1428年)室町幕府第4代将軍足利義持が創建したと伝わる。
1605年以心崇伝が現在地に移し再興した。
方丈は1611年伏見桃山城の一部を徳川家光より譲り受け移築したと伝わる。
狩野探幽、海北友松、長谷川等伯らの襖絵が残されている。
方丈裏手には小堀遠州設計の茶室八窓席がある。方丈・八窓席は重文指定されている。
小堀遠州作庭の方丈庭園は鶴亀の庭と呼ばれる。左側の石を亀、右側の石を鶴に見立てている。
境内にある東照宮は1628年に造営された。徳川家康の遺髪と念持仏を祀っている。
拝殿の天井には狩野探幽筆の「鳴龍」が描かれて、欄間には土佐光起画・青蓮院宮尊純法親王書の三十六歌仙額が掲げられている。重文。
方丈
方丈
方丈
鶴亀の庭
鶴亀の庭
明智門
明智門
東照宮拝殿
東照宮拝殿
東照宮本殿
東照宮本殿
楼門
開山堂
京都府のおすすめ2選🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
15
0