りょうこういん|浄土宗|紫雲山
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龍光院ではいただけません
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御朱印 | |||
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駐車場 | くろ谷の有料駐車場 |
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soo_cyan
2023年11月27日(月)
1651投稿
金戒光明寺塔頭。滝川雄利が息女の菩提を弔うために創建。院号も息女の戒名から名付けたらしい。また柳川藩祖田中吉政の墓所でもあるそうで結構見どころいっぱいかも・・・こちらも後日参ってみよう😊
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名称 | 龍光院 |
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読み方 | りょうこういん |
参拝時間 | 非公開 |
電話番号 | 075-771-0261 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 紫雲山 |
院号 | 龍光院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 創建年 慶長10年(1605年) |
開山・開基 | 滝川雄利(建立)/直誉善貞西堂 |
ご由緒 | 龍光院はかつて僧侶であった滝川雄利により建立された。滝川雄利の息女はたいへん器量が良く、北政所にも気に入られていた。北政所は秀吉が朝鮮に遠征した際、捕虜として連れてこられた李氏朝鮮の男性を、雄利の息女の召使いにと遣わした。ところが、息女は17歳の若さで亡くなってしまった。そこで雄利は息女の死を悼み、金戒光明寺に塔頭を建立した。そして息女の戒名の「龍光院」から名を取り、塔頭の名を龍光院とし、菩提を弔うことにした。息女の召使いは、息女が亡くなったのち出家し、宗厳と名のった。彼は長い修行の後、再び黒谷の地に戻ってきて、龍光院墓地の息女の墓の前で、念仏をひたすら唱えていた。宗厳はのち西雲院を建立し、念仏三昧の生活を送ることになった。その後、明治時代になり、廃仏毀釈などの影響もあり、一時住職がいないという時代もあった。現在の伽藍は隣地にあった別の塔頭を合わせたものである。本堂は建立当時のものと言われている。なお当寺院は金戒光明寺内の塔頭で、唯一寺院内の墓地を持つ。秋は紅葉が美しい。 |
体験 | 有名人のお墓 |
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最終更新:2023年12月30日(土)
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