びしゃもんどうもんせき|天台宗|護法山
毘沙門堂門跡のお参りの記録一覧(4ページ目)
神仏霊場巡りにてお参りさせていただいております。
本堂の装飾が日光東照宮や伊達家御廟・瑞鳳殿とよく似ているのに驚きました。それもそのはず、家康の側近である天海僧正による中興の歴史があります。
天海僧正というと影の参謀的な描かれ方をされることが多いですが、生誕地の会津に行ってからなぜか不思議な親近感がわいてきています。
社殿の作りに関して、意外と京都では戦国・江戸期の装飾(といっていいんでしょうか?)は珍しいのでは?と思っています。私の知る限りだと嵯峨野の清凉寺さんの本堂内の厨子がちょうど徳川家の寄進で東照宮のようなデザインだったような・・・。
解説版の英語表記についてすこし小ネタを。
最澄さんの「伝教大師」の「大師」には「The Reverand ~」という聖職者に対する敬称がついて表現されています。キリスト教だと牧師さんに呼び掛けるときにも使う表現です。
次に、解説文全体の中に head priest(住職), high priest(高僧), chief priest(門主) の三種類が使われています。ただ、どれが何を意味するのかは英語だけだとやっぱりわかりにくいですね・・・。
京都の東、山科を代表する門跡寺院。
元は飛鳥時代に行基が京都市内に築いた、文武天皇勅願寺院。
その後復興と荒廃を繰り返した後、戦国末期頃に天海僧侶によって現在の地に復興された。
本尊の毘沙門天は、天台宗の宗祖で比叡山を開いた伝教大師の自作で、延暦寺根本中堂の本尊・薬師如来の余材をもって刻まれたと伝えられている。
本堂、および仁王門は天海僧侶と関係の深かったとされる徳川家康の眠る日光東照宮と同じ建築方法で建てられている。
見る角度によって動いて見える、という独特な手法で描かれた襖絵と天龍図があり、こちらは有料にて拝観できる。
参道。紅葉の最盛期には真っ赤に染まる。
仁王門。
本堂。
お寺にはあまり似つかわしくない朱色の本堂は、日光東照宮と同じ手法で建築されたとされる。
紅葉はこれから。
高台弁財天。秀吉の妻、ねねが大阪城内にて祀っていたものを移設した。
秋の紅葉入り御朱印と、千日回峰行の創始者「建立大師・相応和尚」一千一百年大遠忌朱印。
もう「アレ」は大丈夫だ!!毘沙門天ウル寅マラソン その60 京都市山科区
JR琵琶湖線「山科駅」下車徒歩20分。天台宗寺院。ご本尊は毘沙門天です。
天台宗における京都五門跡の一つで、703年に文武天皇の勅願により、行基が開いたとされています。
ご本尊の毘沙門天は、最澄が自刻したものだと云われています。
最寄駅から山の方向へひたすら歩みを進め、山の麓への入口に建っています。
今思えば、(訪れたのが8月)最後のタイガースの「アレ」祈願で写経してくればと思いました。
毘沙門堂への入口。極楽橋です。
ここからもう少し階段を上がります。
途中にある地蔵堂です。
山門です。
本堂です。
毘沙門堂。ここから本堂へ向かいます。撮影は禁止でした。
庭園は撮影OKでした。
#毘沙門堂門跡
ご本尊はビシャモン天。
#毘沙門天 #多聞天 #吠室羅摩拏善神 #俱尾羅天
よく、四天王の1尊としては多聞天と、単独ではビシャモン天と呼ぶ、と紹介される。この認識で全くもって十分だが、呼び方は他にも多数ある。
ビシャモン天は梵語のヴァイシュラヴァナの音訳。インドでは、彼の父がヴィシュラヴァスという名前なので、ヴァイシュラヴァナはヴィシュラヴァスの子という意味だと解されている。日本だと、ヴァイシュラヴァナは彼がお釈迦さまの説法を最もよく聴いたことにちなむ名、という理解だ。よって多聞天はヴァイシュラヴァナの意訳。
十六善神の1尊としてはベイシラマダ善神。一見して明らかに、ビシャモン天と同じくヴァイシュラヴァナの音訳だろう。
インド神話の本だと、ほぼ常に見出しはクベーラになる。クヴェーラという表記も見かけるが、bでもvでもよいらしい。曼荼羅図典によれば、金剛頂経という経典ではクベーラを音訳してクビラ天と呼ばれているそうだ。
なお、十二天・二十八部衆・七福神のメンバーとして紹介される時は、ビシャモン天という表記しか見たことがない。
世の中には、いくつものペンネームを使い分けて様々な雑誌に記事を供給する超マルチライターというのがいるらしい。一緒にするなとか言われそうだが、ビシャモン天も何となくそれっぽい。
#毘沙門堂門跡
ご本尊はビシャモン天。授与所で口頭で聞いた話では、本堂の宝塔の中に吉祥天を祀っているらしい。
#吉祥天
吉祥天と漢訳される元となる梵語はマハーシュリーまたはシュリーデーヴィー。
インド神話のラクシュミーに対応するとよく言われる。確かに共に美と幸運の女神だが、家族構成は全く違う。
インド神話だと、ラクシュミーはローマ神話のウェヌスのように、海の中からひとりでに生まれた。夫は最高神の一角をなすヴィシュヌ。
一方、吉祥天の父はサンシ大将またはトクサカ龍王で、母は鬼子母神とされる。種族で言うと、サンシ大将と鬼子母神はヤシャで、トクサカ龍王は龍。夫はヴィシュヌと対応するナラエン天ではなく、ビシャモン天。
仏像知識事典には、吉祥天がビシャモン天の妃というのは、平安時代に日本で流布した俗信とある。何となく、あり得そうにも聞こえる。
一方、インド神話伝説辞典によれば、ラクシュミーがヴィシュヌと結び付けられたのも比較的新しく、ラーマーヤナやマハーバーラタが成立した前後だそうだ。さらには、シュリーとラクシュミーはもともと別の女神で、後世に同一視されたとも記す。
案外、日本の吉祥天も、ラクシュミーと習合する以前のシュリー、ないしシュリーと習合する以前のラクシュミーに関する伝承を忠実に伝えているのではないか、などと想像するが実際のところは知らない。
毘沙門堂しだれ桜が満開でした。そして三井寺にも行ってきました。
毘沙門堂の御朱印
三井寺の御朱印
山科疎水の桜です。
山科疎水では、桜と菜の花のコラボを楽しむことが出来ました。
山科疎水からみた桜です。
毘沙門堂のしだれ桜です。
京都府のおすすめ2選🎏
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