御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

せいりょういん|浄土宗知恩院末寺至心山

清凉院
京都府 JR藤森駅

おすすめの投稿

投稿をもっと見る|
5

清凉院の基本情報

住所

京都府京都市伏見区大亀谷五郎太町31

行き方

・JR奈良線藤森駅から、徒歩10分。
・京阪本線 丹波橋駅、近鉄京都線 近鉄丹波橋駅から、徒歩16分

アクセスを詳しく見る
名称

清凉院

読み方

せいりょういん

参拝料

特別公開時500円

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号075-601-4137
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
SNS

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号

至心山

院号

清凉院

宗旨・宗派浄土宗知恩院末寺
創建時代

慶長年間(1595~1615)

開山・開基

道雲和尚

ご由緒

当院は慶長年間(1595~1615)、八幡正法寺の道雲和尚の開基、浄土宗総本山知恩院の末寺にして、阿弥陀如来を本尊とし、境内に福寿観世音菩薩、秋葉大権現を祀る。
開基当初は福寿庵と称した。徳川家康が関ケ原合戦に勝利し伏見に凱旋した慶長5年(1600)、石清水八幡宮神職清水宗清の娘にして、家康の側室お亀の方は、当院の福寿観世音菩薩に祈願し、後に尾張徳川家藩祖義直となる五郎太丸を出産した。その後、永代繁栄を祈願して金銅の阿弥陀如来が祀られる。
寛文2年(1662)に黄檗宗萬福寺の清凉観了がここに隠居したことから清凉庵と改められ、安永7年(1778)には浄土宗寺院となった。幕末の鳥羽伏見の戦いの際には疎開者を多数、受け入れた。
明治40年(1907)頃、当院を調査した京都府立第二中学校長中山再次郎が、尾張徳川家との関係を広く紹介し、そのゆかりの寺院として現在に至っている。

体験御朱印武将・サムライ
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ