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たかまつしんめいじんじゃ

高松神明神社
京都府 烏丸御池駅

高松神明神社について

真田幸村ゆかりの念持仏

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年03月03日(日) 20時38分12秒
2847投稿

京都市中京区にある神社です。
中京区にある神社の中で 最初からお参りしたいと思っていた神社の中の1つです。
小さな神社さんは 参拝の途中でお見掛けすることが多いのですが こちらは藤原道長に縁のある神社なので 今年は大河ドラマでも取り上げられるかな?と思っていたのです。
二条城から御池通を東に5分ほど歩き 少し下がった所にあります。
町中の神社なのですが もともとは藤原氏出身の女子で 后妃・母后になった人が住まわれた邸宅があった所です。
平安初期 醍醐天皇の皇子高明親王が七歳の時 源朝臣の姓を賜り 左京区の一条一坊に源高明公の御殿として高松殿を造営 同時に伊勢から天照大神を勧請し 鎮守の社として祭った社が当社の初めである。
高明公の娘明子が藤原道長と結婚し、高松殿を住居としました。
約3haほどの広さの邸宅の 南端に位置します。
ご祭神は天照大御神・八幡大神・春日大神です。
開運厄除けのご利益があります。
また 当神社の歴史として
境内には 地蔵尊 金比羅神社をはじめとする末社があったが 元治元年の「蛤御門の変」による大火によりことごとく焼失した。
現在祭神は天照大神・八幡大神・春日大神を祀り 開運厄除けの神さんとして信仰を集めている。
境内には宥玉法印が 紀州九度山の伽羅陀山に安置してあった真田幸村の念持仏を拝領してきた神明地蔵尊「幸村の知恵の地蔵尊」がある。
とありました。
こちらの地蔵尊 神社の境内にあるのは珍しいそうで 知恵が授かる神明地蔵尊と呼ばれています。

高松神明神社の鳥居

正面真っ白な鳥居

高松神明神社のその他建物

高松殿址の石柱

高松神明神社の歴史

高松殿址の説明

高松神明神社のその他建物

高松神明社の石柱

高松神明神社の歴史

由緒書

高松神明神社の鳥居

境内二の鳥居

高松神明神社の本殿・本堂

本殿

高松神明神社の末社・摂社

神明地蔵尊 真田幸村の念持佛

高松神明神社の歴史

縁起

高松神明神社の手水舎

水琴窟 いい音です

高松神明神社(京都府)

やはり大河ドラマに出てきそう

高松神明神社の鳥居

境内の様子 右手が社務所

高松神明神社のその他建物

神輿庫

高松神明神社の歴史

東三条院址の説明

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歴史

 延喜14年(914)醍醐天皇十番目の皇子として高明親王がお生まれになり、延喜20年(920)七歳の時、源の姓を賜り、左京の三条三坊に邸宅として「高松殿」を御造営。同時に伊勢から天照大神を御勧請になり、鎮守の杜としてお祀りになったお社が高松神明神社の初めです。
 高明公末娘明子が藤原道長と結婚されて、お住まいになっていました。明子と道長の娘の寛子は小一条院敦明親王(三条天皇第一皇子)の室となって高松殿を住まいにされました。その後は藤原一族の方々が住んでおられました。
 保元の乱で後白河天皇方の本拠地となり、天皇方が勝利すると、後白河天皇は二条天皇に譲位し、高松殿を「院御所」としますが、平治の乱で院御所は焼失。残った内侍所を「高松神明社」の社殿としました。
 応仁の乱で当神社の社殿・社務所をはじめ、綸旨院宣の類、諸名将の願文に至るまでがことごとく焼失しました。
 永禄8年(1565)宥玉法印が社僧となり、「神明宮宝性院」と号し、真言宗東寺宝菩提院に属することになりました。
 その後、豊臣秀吉の都市計画や火災などにより境内や社殿も甚だしく縮小せられ、往古の面影も失われてしまいました。
 明治6年(1873)、神仏分離により村社「高松神明神社」となりました。

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高松神明神社の基本情報

住所

京都府京都市中京区津軽町790

行き方

京都市営地下鉄烏丸線”烏丸御池駅”より徒歩約6分
京都市営バス”四条烏丸”より徒歩約10分

アクセスを詳しく見る
名称

高松神明神社

読み方

たかまつしんめいじんじゃ

通称

神明さん、高松殿旧跡

参拝時間

9:00~18:00

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号075-231-8386
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
絵馬

あり

詳細情報

ご祭神御祭神は天照大御神・八幡大神・春日大神
創建時代

920年(延喜20年)

創始者

源高明

ご由緒

 延喜14年(914)醍醐天皇十番目の皇子として高明親王がお生まれになり、延喜20年(920)七歳の時、源の姓を賜り、左京の三条三坊に邸宅として「高松殿」を御造営。同時に伊勢から天照大神を御勧請になり、鎮守の杜としてお祀りになったお社が高松神明神社の初めです。
 高明公末娘明子が藤原道長と結婚されて、お住まいになっていました。明子と道長の娘の寛子は小一条院敦明親王(三条天皇第一皇子)の室となって高松殿を住まいにされました。その後は藤原一族の方々が住んでおられました。
 保元の乱で後白河天皇方の本拠地となり、天皇方が勝利すると、後白河天皇は二条天皇に譲位し、高松殿を「院御所」としますが、平治の乱で院御所は焼失。残った内侍所を「高松神明社」の社殿としました。
 応仁の乱で当神社の社殿・社務所をはじめ、綸旨院宣の類、諸名将の願文に至るまでがことごとく焼失しました。
 永禄8年(1565)宥玉法印が社僧となり、「神明宮宝性院」と号し、真言宗東寺宝菩提院に属することになりました。
 その後、豊臣秀吉の都市計画や火災などにより境内や社殿も甚だしく縮小せられ、往古の面影も失われてしまいました。
 明治6年(1873)、神仏分離により村社「高松神明神社」となりました。

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