たかまつしんめいじんじゃ
高松神明神社京都府 烏丸御池駅
9:00~18:00
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
なぜ昨年お詣りしなかったのだろう・・・😅我ながらリサーチ力の弱さが・・・😥というわけで改めたお詣り。真田幸村公念持仏の地蔵菩薩が有名な神社で、神社で堂々地蔵菩薩の御朱印出してるところがまた潔く素晴らしい😊そして昨年の大河ドラマで瀧内公美さんが演じられていた源明子の高松殿址地とのこと。まあ当然のごとく応仁の乱で灰燼と化しており、当寺を偲ぶようなものは何一つ残っておりません😔まあ仕方ないですね。地蔵様があるだけ救いものです😊お詣りして御朱印をいただいてきましたが思ったより種類があったので次回また考え中。
高松殿址由緒
地蔵尊案内
高松殿址碑
鳥居は白。源氏ゆえ?
社号標
幸村念持仏の案内看板
由緒
例祭行列の図かな?
御神木と鳥居
天神さん
地蔵尊
真田幸村公念持仏
同由緒
同縁起
絵馬
シゲ君のお地蔵さんの巻
あきこ登場の巻

京都市中京区にある神社です。
中京区にある神社の中で 最初からお参りしたいと思っていた神社の中の1つです。
小さな神社さんは 参拝の途中でお見掛けすることが多いのですが こちらは藤原道長に縁のある神社なので 今年は大河ドラマでも取り上げられるかな?と思っていたのです。
二条城から御池通を東に5分ほど歩き 少し下がった所にあります。
町中の神社なのですが もともとは藤原氏出身の女子で 后妃・母后になった人が住まわれた邸宅があった所です。
平安初期 醍醐天皇の皇子高明親王が七歳の時 源朝臣の姓を賜り 左京区の一条一坊に源高明公の御殿として高松殿を造営 同時に伊勢から天照大神を勧請し 鎮守の社として祭った社が当社の初めである。
高明公の娘明子が藤原道長と結婚し、高松殿を住居としました。
約3haほどの広さの邸宅の 南端に位置します。
ご祭神は天照大御神・八幡大神・春日大神です。
開運厄除けのご利益があります。
また 当神社の歴史として
境内には 地蔵尊 金比羅神社をはじめとする末社があったが 元治元年の「蛤御門の変」による大火によりことごとく焼失した。
現在祭神は天照大神・八幡大神・春日大神を祀り 開運厄除けの神さんとして信仰を集めている。
境内には宥玉法印が 紀州九度山の伽羅陀山に安置してあった真田幸村の念持仏を拝領してきた神明地蔵尊「幸村の知恵の地蔵尊」がある。
とありました。
こちらの地蔵尊 神社の境内にあるのは珍しいそうで 知恵が授かる神明地蔵尊と呼ばれています。
正面真っ白な鳥居
高松殿址の石柱
高松殿址の説明
高松神明社の石柱
由緒書
境内二の鳥居
本殿
神明地蔵尊 真田幸村の念持佛
縁起
水琴窟 いい音です
やはり大河ドラマに出てきそう
境内の様子 右手が社務所
神輿庫
東三条院址の説明
延喜14年(914)醍醐天皇十番目の皇子として高明親王がお生まれになり、延喜20年(920)七歳の時、源の姓を賜り、左京の三条三坊に邸宅として「高松殿」を御造営。同時に伊勢から天照大神を御勧請になり、鎮守の杜としてお祀りになったお社が高松神明神社の初めです。
高明公末娘明子が藤原道長と結婚されて、お住まいになっていました。明子と道長の娘の寛子は小一条院敦明親王(三条天皇第一皇子)の室となって高松殿を住まいにされました。その後は藤原一族の方々が住んでおられました。
保元の乱で後白河天皇方の本拠地となり、天皇方が勝利すると、後白河天皇は二条天皇に譲位し、高松殿を「院御所」としますが、平治の乱で院御所は焼失。残った内侍所を「高松神明社」の社殿としました。
応仁の乱で当神社の社殿・社務所をはじめ、綸旨院宣の類、諸名将の願文に至るまでがことごとく焼失しました。
永禄8年(1565)宥玉法印が社僧となり、「神明宮宝性院」と号し、真言宗東寺宝菩提院に属することになりました。
その後、豊臣秀吉の都市計画や火災などにより境内や社殿も甚だしく縮小せられ、往古の面影も失われてしまいました。
明治6年(1873)、神仏分離により村社「高松神明神社」となりました。
| 名称 | 高松神明神社 |
|---|---|
| 読み方 | たかまつしんめいじんじゃ |
| 通称 | 神明さん、高松殿旧跡 |
| 参拝時間 | 9:00~18:00 |
| 参拝にかかる時間 | 約15分 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-231-8386 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
| ご祭神 | 御祭神は天照大御神・八幡大神・春日大神 |
|---|---|
| 創建時代 | 920年(延喜20年) |
| 創始者 | 源高明 |
| ご由緒 | 延喜14年(914)醍醐天皇十番目の皇子として高明親王がお生まれになり、延喜20年(920)七歳の時、源の姓を賜り、左京の三条三坊に邸宅として「高松殿」を御造営。同時に伊勢から天照大神を御勧請になり、鎮守の杜としてお祀りになったお社が高松神明神社の初めです。
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| 体験 | 仏像御朱印お守り武将・サムライ |
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