ぎょうがんじ(こうどう)|天台宗|霊麀山
行願寺(革堂)のお参りの記録一覧(7ページ目)

京都の革堂(こうどう)にお参りいたしました。
名前の由来は行円上人です。行円上人は仏門に入る前に鹿を射ち殺していますが、その鹿から生きた小鹿が生まれる
のを見て、殺生の非を悟って仏門に入り、常に殺された鹿の皮を身に着けていたとのことです。そこから「革堂」と呼ばれる
ようになったとのことです。

後年写経を始めてからお参りしたときに納経所の方に「巻数を書くんやで」と教えていただきました。作法とかって知らないことも多いので,教えていただけるのは有り難いですね🙏
印-西国十九番 御影梵字(キリーク) 革堂
墨-革堂 行願寺
革堂(こうどう)行願寺。
寺町通りは京都御苑に近い付近にあり、今の時期は紫陽花が目立つ。
西国・洛陽などの霊場札所に指定されている。
あじさいと行願寺。
このあたりは囲碁「本因坊」発祥の地で、近くにはこんなものも。
平成29年は西国霊場草創1300年にあたり、西国霊場の御朱印は今年だけの特別なものがいただけます。
洛陽三十三所観音霊場四番札所。天台宗。
千手観音菩薩(本尊)。
寛弘元年(平安中期)に一条天皇の勅願により建立。開基行円上人は九州の出身で、それ以前は狩人だった。ある日雌鹿を射とめ、その腹の中に子鹿が生きていたことを知り、殺生の恐ろしさを悔い、出家した上人はその雌鹿の革に千手陀羅尼を書き首に仏像をかけて市中を布教し歩いた。その為に革上人と呼ばれ、これが「革堂」の名のいわれとなった。行円上人願いの寺から行願寺の名が付けられ、革堂行願寺と呼ばれる由縁である。
上人は仏像を刻む為の木材を求めていた所、ある夜の夢に高僧が現れて加茂の社の傍らに霊木がある事を告げられ、神社の傍らにあった槻の木を見つけ、それを譲り受け自ら一刀三礼して八尺の千手観音像を彫刻されたといわれているのが当寺の本尊様。もとは一条油小路にあった寺で、一条革堂行願寺とも言われている。
また、この寺は西国札所の十九番目の札所でもあり、境内地には七福神巡りの中の寿老人をまつる寿老人堂等もあります。本堂と鐘楼は京都市指定文化財となっております。

【西国33京都編】
クリスマスには無縁の西国33箇所巡りですでも世の中はクリスマスムード一色🎄
ここ何日か極寒の中、京都へ相変わらず底冷えが凄まじい京都ですが最初に行願寺さんへ😌
今日はますみんさんとご一緒に😆クリスマス一人は泣けてくるので助かりました😁
こ、こ、こおりはってる😱
そりゃサブわねぇ💦
ん~😅
ん~なんでこんなにおいてあるのかなぁしかも全部に氷はってましたよ😣
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