こうげんいん|臨済宗相国寺派本山相国寺塔頭|万年山
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御本尊 釈迦如来
相国寺の塔頭寺院
13代将軍の足利義輝氏の菩提寺
襖絵「十二支の図」「春」「夏秋冬」「風雷坊」
枯山水庭園 「十二支の庭」
行者堂
神變大菩薩 前鬼 後鬼
弘法大師
不動明王 矜羯羅童子 制吒迦童子
お会いできました⤴︎⤴︎💕
7日は神變大菩薩さまのご縁日と言うことで
御朱印を拝受しました。
写真撮影は✖︎
説明を聞き、ゆっくりとお参りさせていただきました🙇♀️💕💕
そして
お抹茶をいただきました🤍
足利家紋 和三盆干菓子
相国寺紋 梅和三盆干菓子
千本玉壽軒製
抹茶 丸久水山園詰
京の冬の旅
非公開文化財特別公開
今回は時間足らずで
相国寺さんには上がれなかったのですが
梅が咲いてました🌸






地下鉄「今出川駅」下車徒歩3分。臨済宗の総本山である相国寺の塔頭寺院の一つで、ご本尊は釈迦如来です。
1421年に「広徳軒」として創建。1565年に足利第13代将軍である足利義輝の菩提寺として義輝の法号に因んで改められました。
本堂内には、色彩豊かな十二支の襖絵と「桃太郎」や「笠地蔵」をモチーフにした昔話の襖絵が公開されており、桜の襖絵には、七福神が隠れているといった遊び心もあります。
また、山門すぐの行者堂には、修験道の祖先である神変大菩薩(役行者像)と不動明王像、弘法大師像が祀られていました。
そして、本堂前の庭は十二支の干支になっています。
毎年冬の恒例となっている「京都冬の旅」。定番の他にも、ごく稀に「レア」な特別公開を行うこともあります。
今回、
相国寺の塔頭寺院の登場は、林光院・豊光寺以来6年ぶりです。
塔頭寺院の公開は、連続しての公開が稀です。おそらく今回の公開は貴重かもしれないので、外してはならぬ「マスト」です。

今出川通り側から同志社のキャンパスを抜けて、総門を抜けて少し行った右手にあります。

行者堂です。明治時代に作られたもので、廃仏毀釈で難を逃れた不動明王と神変大菩薩(役行者)、弘法大師が祀られています。

京都市上京区にある相国寺の塔頭です。
「京の冬の旅」で特別公開だったのでお参りしました。
以前お参りした際は 境内には入れたので雰囲気を味わうことはできたのですが 本堂には入れなかったので とても楽しみにしていました。
本堂のご本尊釈迦如来様より 掛け軸や襖絵の方が私の目を引きました。
伊藤若冲から学んだ維明周奎の掛け軸 加藤晋筆の襖絵 ともに美しかったです。
襖絵には 七福神や西遊記一行が隠れるように描かれていて 探すのが楽しかったです。
書院ではお茶がいただけました。
小学生ぐらいの女の子が接待してくださって ほほえましかったです。
行者堂にもお参りできたのですが こちらは修験道の開祖「役行者」像・弘法大師像・不動明王像が祀られていました。
特に役行者像は鮮やかな彩色が残っており 写真に収めたかったです。
ガイドブック買いました。
由緒については
光源院は室町時代中期の1421年(応永28年)に 相国寺28世・元容周頒の塔所として創建されました。
当初は広徳軒(こうとくけん)と称していました。
戦国時代の1565年(永禄8年)に 室町幕府13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の菩提寺になり 足利義輝の院号「光源院融山道円」に因んで 寺号が光源院に改められました。
その後1885年(明治18年)に建物を壊し 1896年(明治29年)に善應院(ぜんおういん)と合寺し 善應院を光源院に改めました。
なお善應院は 江戸時代初期の1604年(慶長9年)に 播磨姫路藩初代藩主・池田輝政(いけだてるまさ)が母・善應院殿の香火所として創建しました。
とありました。
足利義輝菩提寺「光源院」
相国寺境内、総門と鐘楼の間ぐらいの道沿いにある。
駐車場ない。
比較的新しそうな山門は開いている。
横に「弘法大師・神變大菩薩・不動明王」と書かれた石標。
山門入ってすぐが本堂?
それぐらいしか見るものがない、狭いです。
足利義輝は、室町幕府の第13代征夷大将軍。
三好義継と松永久通襲撃の「永禄の変」で殺害された。大河ドラマ「麒麟がくる」では向井理さんが儚い死に方を演じてました。
死後、足利義輝の菩提寺になり、義輝の法名から「光源院」と改称。
菩提寺だからお墓あるのかな?と思ったけど、ないのかネット情報ではわからず。開いてるけど公開寺院でもないので聞くこともできず。
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