せいめいじんじゃ
晴明神社京都府 今出川駅
9:00〜18:00
御朱印(1種類)
清明神社では、一年を通して一種類の御朱印をいただけます。
中央に大きく清明社の文字と、社紋である五芒星(清明桔梗ともいわれる)と
神社名の朱印が押され、右に「京一條戻橋」と書かれています。
清明社の文字は、安倍晴明34代目の子孫にあたる土御門晴雄(つちみかどはれたけ)卿が安政元年(1854)に揮毫(きごう)し、神社に奉納したものだそうです。
御由緒書きとともに専用のファイルに入れていただけます。
御朱印帳(1種類)
晴明神社は、平安時代中期の天文学者である安倍晴明公をお祀する神社です。
創建は、寛弘4(1007)年。晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために、晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
古い資料によれば、創建当時の晴明神社は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通という広大なものであったとされています。ところが、応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、その規模は縮小。古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。
その後、式年祭の度に、氏子が中心となって整備・改修が行われ、昭和25(1950)年には、多年の宿望であった堀川通に面する境内地が拡張されるなど、晴明公の御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました。
近年は、文芸、漫画、映画などを通じて晴明公の存在は広く知られ、全国にその崇敬者を集めるようになりました。平成15(2003)年には、御鎮座壱千年祭が斎行されました。
~当神社公式サイトより抜粋~
お昼時でしたが、参拝者で大変賑わっていました。大河ドラマ「光る君へ」の影響もあるのでしょうか?上御霊神社→相国寺→晴明神社と歩いてきましたが、それまでの2ヵ所と比べると、少し慌ただしいお参りとなりました。
「一の鳥居」
額に掲げられた金色に輝く社紋『晴明桔梗』が特徴的。五芒星とも呼ばれる。
案内板①
案内板②
「一條戻橋と式神」
晴明公が、この地にお住まいになっていた頃には、奥様が怖がっていたので、式神は橋の下に封じ込められていた。
「日月柱」①
南に「日」、北に「月」を配し、まさに陰陽をあらわしている。
「日月柱」②
「ニの鳥居」
「手水舎」
「晴明井」
晴明公が念力により湧出させた井戸
「本殿」
晴明桔梗が随所にあしらわれ、厳かな雰囲気に包まれています。
「御神木」
樹齢推定300年の楠
「厄除桃」
古来、中国または陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果物といわれる。
「安倍晴明公像」
晴明公が、衣の下で印を結び、夜空の星を見て遠く天体を観測しておられる様子を表している。
「授与所」
こちらで御朱印をいただけます。
御朱印か御朱印帳のどちらかしか頂けないようです。
御朱印(書置き)
御朱印はファイルに入っています
もともと全国区で有名な神社 大河ドラマの影響もあるのでしょう 参拝者はとても多かったです。
できるだけ写真に映り込まないように じっと待ちました。
一の鳥居から二の鳥居までの間に 月・太陽・式神・五芒星と 陰陽を感じさせるものがあります。
社務所奥の壁には 御鎮座千年の記念奉納で 伝説を1枚1枚絵にして奉納してあります。拡大したら読めるかな。
拝所はなかなかの行列で ここだけは映り込みがあり 申し訳ありません。
実はご神木の裏にも人がいるんですけど。
厄除けの桃 みなさんが触っていくので ぴかぴかに光っていますね。
私も5回ぐらい摩りました。
由緒については
寛弘2年(1005年)に晴明が亡くなると その時の天皇一条天皇は晴明の遺業を賛え 晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして 寛弘4年(1007年) その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。
当時の境内は 東は堀川通 西は黒門通 北は元誓願寺通 南は中立売通まであり かなり広大であった。
しかし度重なる戦火や豊臣秀吉の都市整備などにより次第に縮小し 社殿も荒れたままの状態となる。
また 隣接して千利休の屋敷が設けられていた。
平成以降 漫画化・映画化もされた夢枕獏の小説のヒットにより 主人公である安倍晴明のブームが起こり 全国から参拝者が訪れるようになった。
晴明歿後千年となる2005年(平成17年)には 安倍晴明千年祭が行われた。
とありました。
今年は再ブームでしょうかね。
石柱は大きい
由緒書
一の鳥居
狛犬というより獅子に近い
源氏物語ゆかりの地ですね
式神の石像
一條戻橋
由縁
中の狛犬は対ではなかったのです
二の鳥居
千利休の名があります
安倍晴明屋敷跡でした
こちらの狛犬は対になっていました
千利休が茶湯に用いたとされる井戸が現存する とあります
五芒星の扁額
月
太陽
扁額
手水舎
桔梗の花手水
拝所
晴明像
厄除桃
御神木は楠
伝説を絵で奉納されています
いろいろなシーンがあります
晴明神社御鎮座千年の記念奉納だそうです
摂社はいろいろ
本殿
住所 | 京都府京都市上京区 堀川通一条上ル晴明町806 |
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行き方 | JR 京都駅より
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名称 | 晴明神社 |
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読み方 | せいめいじんじゃ |
通称 | 晴明さん |
参拝時間 | 9:00〜18:00 |
参拝にかかる時間 | 20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 五芒星と神社印が押され、「晴明社」と墨書きされた御朱印をいただけます。五芒星は、安倍晴明が陰陽道に用いた祈祷呪符です。 |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-441-6460 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.seimeijinja.jp/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 《主》安倍晴明 |
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創建時代 | 寛弘四年(1007) |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り伝説 |
Youtube | |
概要 | 晴明神社(せいめいじんじゃ)は、京都市上京区晴明町にある神社。安倍晴明を主神とし、倉稲魂命を合祀した。一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座する。全国各地に同名の神社が存在する。旧社格は村社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 寛弘2年(1005年)に晴明が亡くなると、時の一条天皇はその遺業を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、寛弘4年(1007年)、屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。当時の境内は東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通まであり、かなり広大であった。しかし、度重なる戦火や、豊臣秀吉の都市整備などにより次第に社域を縮小し、社殿も荒れたままの状態となる。また、隣接して千利休の屋敷が設けられていた。 安政元年(1854年)の京都大火と天明の大火により社記を焼失し、神社の詳しい由緒などは不明になってしまった[1][2]。 幕末以降、氏子らが中心となって社殿・境内の整備...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 最寄駅:京都市営地下鉄烏丸線今出川駅6番出口より西に徒歩12分 京福電鉄北野白梅町駅より徒歩25分 京阪電鉄出町柳駅より徒歩30分 京都市営バス「一条戻橋・晴明神社前」(9・12・67系統)下車すぐ 京都市営バス「堀川今出川」(51・59・101・102・201・203系統)下車、南に3分 駐車場:あり(有料)100円/20分 |
行事 | 祭事[編集] 1月1日:新年祭 2月節分:節分星祭 6月26日:火災除祈願祭 9月22・23日:晴明神社祭[1] 前日:宵宮祭 湯立神宮の奉納、迎え提灯の氏子町内行列 当日:例祭、神幸祭 少年鼓笛隊を先駆とし、菊鉾、扇鉾、清風稚児、八乙女などが供奉する神興渡御 9月26日:嵯峨墓所祭 11月23日:御火焚祭 ^ 『京都大事典』株式会社淡交社、1984年11月12日、544頁。 |
引用元情報 | 「晴明神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%99%B4%E6%98%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102525578 |
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