しらみねじんぐう
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楽しみ方白峯神宮のお参りの記録一覧
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2023年GWの京都御朱印散歩。 京都市上京区にある白峯神宮(しらみねじんぐう)は、藤原北家花山院流難波家(ふじわらほっけかさんのいんりゅうなんばけ)の庶流で堂上家(公家)にあたる飛鳥井家(あすかいけ)の邸跡に、慶応4年/明治元年(1868年)、明治天皇によって白峯陵(しらみねのみささぎ)から崇徳天皇(すとくてんのう)の御霊を遷し創建された神宮で、のち明治6年(1873年)には淡路陵(あわじのみささぎ)にて奉葬されていた淳仁天皇(じゅんにんてんのう)の御霊も遷し合祀されています。 御祭神の崇徳天皇は保元元年(1156年)に起こった政変「保元の乱」によって讃岐国へ、淳仁天皇は天平宝字8年(764年)に藤原仲麻呂によって企てられたとされる叛乱「藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)」の末に淡路国へとそれぞれ配流され、そのまま都に戻ることなく崩御されました。 とくに、崇徳天皇は菅原道真(すがわらのみちざね)や平将門(たいらのまさかど)と並ぶ日本三大怨霊として怨霊や祟りのモチーフとしても度々語られる事もあり、本来は怨霊封じの神宮とも思われますが、社地となった飛鳥井家が蹴鞠の宗家として、摂社の地主社に祀られる精大明神(せいだいみょうじん)は蹴鞠の守護神とされることから、転じてサッカーやバレーをはじめ球技全般の神様として各競技で使用された公式球などが奉納され、その関係の参拝者も多いそうです。 本殿前、賽銭箱の左右には重さの異なる2つの本坪鈴が置かれていて、自ら手に取って鳴らす珍しい形式のものでした。
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京都市上京区にある神社です。
主祭神は崇徳天皇と淳仁天皇です。
崇徳天皇は、配流されてその地で歿した天皇です。
ウィキペディアから借稿
崇徳上皇が崩御されたのち、天変地異が相次いだことから上皇の祟りとされ、菩提を弔う為に現・香川県坂出市の上皇が葬られた白峯陵の隣に法華堂が建立された。
幕末の動乱期、孝明天皇は異郷に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じ、白峯宮の建設が始めたが、まもなく崩御した。
その遺志を継いだ子の明治天皇は白峯宮の創建を宣命し、勅使を白峯陵に送り上皇の命日の旧暦8月26日に宣旨を読みあげさせ、その翌日に即位した。
日本人の信仰心と祟りは切り離せないものだったのですね。
摂社の地主社に祀られる精大明神は蹴鞠の守護神であり、現在ではサッカーのほか、球技全般およびスポーツの守護神とされ、サッカーをはじめとするスポーツ関係者の参詣も多く、社殿前にはサッカーやバレーボールの日本代表チームや、Jリーグに所属する選手などから奉納されたボールなどが見られます。
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御祭神は第75代崇徳天皇と第47代淳仁天皇。
幕末に風雲急を告げる中、孝明天皇が崇徳天皇の御霊を慰めかつ未曾有の国難にご加護を祈ろうと、坂出の白峯山陵から京都にお迎えしてお祀りしようとしたが叶わぬまま崩御。
次代明治天皇が遺志を受け継いで、蹴鞠の宗家飛鳥井家の邸宅跡地に建てられたのがこの神社だ。だからだろう。サッカーの神様としていろんなところからサッカーボールが奉納されている。
去年の9月にお参りして以来ほぼ1年ぶりに参拝した。白峯神宮の近所に母方の祖父母の墓があるので、お墓参りとセットで訪れる。でも今回はお墓参りセットを持ってくるのを忘れてしまった。でもその分じっくりとお参りできた。瀬をはやみ〜の碑もじっくり見た。
ここもパワーチャージできる場所の1つ。心身を回復できた。
最後に馬蹄のお守りを買った。お守りに興味がないが、この馬蹄のお守りは大好きで定期的に買っている。今はうちの鍵につけて毎日持ち歩いている。
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