けんにんじ|臨済宗建仁寺派大本山|東山
建仁寺(建仁禅寺)京都府 祇園四条駅
・3月1日~10月31日 午前10時~午後4時30分(午後5時閉門) ・11月1日~2月28日 午前10時~午後4時(午後4時30分閉門)年末拝観休止 12月28日~12月31日
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楽しみ方けんにんじ|臨済宗建仁寺派大本山|東山
・3月1日~10月31日 午前10時~午後4時30分(午後5時閉門) ・11月1日~2月28日 午前10時~午後4時(午後4時30分閉門)年末拝観休止 12月28日~12月31日

建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山
建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山
建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山
建仁寺 風神雷神図 京都祇園 臨済宗大本山
建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山
建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山
建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山
建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山
建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山

建仁寺は建仁二年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。
創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。
その後、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。
正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。
やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えます。
その後、天文の大火により諸塔頭及び法堂が焼失したが、ようやく慶長4年(1599年)安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈を移築し復興が始まり、徳川幕府移行後も保護を受け堂塔が再建修築され、制度や学問が整備されます。
明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。
また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在にいたります。
〜公式サイトより抜粋〜
やはり、禅寺はピリッとした雰囲気があって良いですね。風神雷神図屏風は、少し残念でしたが、その分、庭園をゆっくり観賞させていただき、心穏やかな時間を過ごすことができ感謝です🙏
法堂①
法堂②
法堂③
宗務本院
拝観入口になります
風神雷神図屏風①
風神雷神図屏風②
大雄苑
潮音庭
三門①
三門②
御朱印(書置き)

京都市東山区にあります、
建仁寺に参拝しました。
臨済宗建仁寺派の大本山の寺院で、
御本尊は【釈迦如来】 地元では「けんねんさん」
と呼ばれています。
訪れた時、参拝客や観光客が多数訪れており大変賑わっていました、内部拝観で【雷神風神図】や法堂天井図の【双龍図】、伝統的な【枯山水庭園】など見どころ多数有ってとても良かったです。
参拝後に御朱印も頂きました✨
鐘楼
内部撮影は可ですが、自分や同伴人を入れた、記念撮影的なのは禁止されていました。
雷神風神図
法堂天井図 【双龍図】
日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航した。1度目の渡宋はわずか半年であったが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。
その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の援助を得て、元号を寺号として、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。伽藍は宋の百丈山に擬して造営された。
創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある。創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆が11世住職として入寺し、この頃から純粋禅の寺院となる。
建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない。
| 住所 | 京都府京都市東山区大和大路四条下る四丁目小松町584 |
|---|---|
| 行き方 | ・ 京阪電車「祇園四条駅」より 徒歩 7分
|
| 名称 | 建仁寺(建仁禅寺) |
|---|---|
| 読み方 | けんにんじ |
| 参拝時間 | ・3月1日~10月31日 午前10時~午後4時30分(午後5時閉門) ・11月1日~2月28日 午前10時~午後4時(午後4時30分閉門)年末拝観休止 12月28日~12月31日 |
| 参拝料 | 500円、中高生300円、小学生200円 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 075-561-0190 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://kenninji.jp/ |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
| 数珠巡礼 第24番 |
|---|
| ご本尊 | 釈迦如来 |
|---|---|
| 山号 | 東山 |
| 宗旨・宗派 | 臨済宗建仁寺派大本山 |
| 創建時代 | 1191年(建仁2年) |
| 開山・開基 | 源頼家/栄西禅師 |
| ご由緒 | 日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航した。1度目の渡宋はわずか半年であったが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。
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| 体験 | 坐禅(座禅)写経・写仏御朱印国宝重要文化財武将・サムライ有名人のお墓 |
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