こうだいじ|臨済宗建仁寺派|鷲峰山
高台寺(高台寿聖禅寺・高臺寺)京都府 祇園四条駅
9:00〜17:30 (17:00受付終了)
御朱印 (3種類)
高台寺では通常3種類の御朱印をいただけます。
高台寺 佛心の御朱印
御朱印 | 通常は3種類の御朱印をいただけます。 2019年の夜間特別拝観期間は、蓄光インクで印刷した「光る御朱印」が頒布されました。 | ||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 高台寺駐車場あり |
京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山。本尊は釈迦如来。寺号は高台寿聖禅寺。
寺号は北政所の落飾後の院号である高台院にちなむ。禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格を持った寺院。
夜間拝観で参拝。
今年はねね没後400年の遠忌を記念し、「祈」がテーマに。
方丈前庭のライトアップでは、心の内面にあるさまざまな感情を超越し、他人の幸せを祈ることで自らも救われる「空」の世界を表現。
ねねのイメージカラーである紫色の桔梗(ききょう)や、秋の紅葉が庭にちりばめられたり、とても綺麗でした。
今年の紅葉は、11月後半~12月初旬に満開になる様です。
高台寺(髙臺寺、こうだいじ)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶさん)。本尊は釈迦如来。寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。豊臣秀吉の正室である北政所が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格を持った寺院である。元々は黄金八丈の阿弥陀如来像(大仏)を安置する雲居寺の境内であった。
~ウィキペディアより一部抜粋引用~
修学旅行生の皆さんでしょうか?にぎやかに楽しく観光されている姿が微笑ましく感じられました。
八坂神社から歩いて高台寺を目指したのですが、少し迷いながら到達しました。
「表門」
重要文化財
「庫裡」
「寺号標」
「遺芳庵」
方丈の背後にある田舎屋風の茶室で、近世初期の趣味人であった灰屋紹益が夫人の吉野太夫を偲んで建てたものという
「開山堂」①
天井にはねねの乗った御所車の部材や、秀吉が使用していた御座船の一部が使われている
「開山堂」と「観月台」
ここで月を眺めながら、ねねは秀吉を偲んだといわれています
「中門」
「開山堂」
中門を潜ると、正面に開山堂が見えます
「霊屋」
霊屋の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、これを「高台寺蒔絵」と呼ぶ
「傘亭」
慶長年間に高台院により伏見城から移築されたもの。宝形造茅葺きの素朴な建物で、内部の天井が竹で組まれ、その形が唐傘に似ているところから傘亭の名がある。
「時雨亭」
珍しい2階建ての茶室で、2階南側の上段の間は柱間に壁や建具を設けない吹き放しとする
御朱印(直書き)
秀吉の正室である北政所(ねね、出家後は高台院湖月心尼)は秀吉の菩提を弔うための寺院の建立を発願し、当初は北政所の実母・朝日局が眠る康徳寺(京都の寺町にあった)をそれに充てようとしたが、手狭であったため、東山の現在地に新たな寺院を建立することになった。秀吉没後の権力者となった徳川家康は、北政所を手厚く扱い、配下の武士たちを高台寺の普請担当に任命した。中でも普請掛・堀直政の働きは大きかったようで、高台寺の開山堂には直政の木像が祀られている。高台寺の開山は慶長11年(1606年)で、当初は曹洞宗の寺院であった。寛永元年7月(1624年)、高台寺は臨済宗建仁寺派の大本山である建仁寺の三江紹益を中興開山に招聘。この時、高台寺は曹洞宗から臨済宗に改宗している。
住所 | 京都府京都市東山区下河原町526 |
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行き方 | バス停「東山安井」から 徒歩5分
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名称 | 高台寺(高台寿聖禅寺・高臺寺) |
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読み方 | こうだいじ |
参拝時間 | 9:00〜17:30 (17:00受付終了) |
参拝料 | 大人600円、中高生250円、高台寺・掌美術館・圓徳院共通拝観券900円 |
御朱印 | あり 通常は3種類の御朱印をいただけます。
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限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-561-9966 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.kodaiji.com/index.html |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
数珠巡礼 第5番 |
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ご本尊 | 釈迦如来 |
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山号 | 鷲峰山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗建仁寺派 |
創建時代 | 慶長十一年(1606) |
開山・開基 | 高台院(北政所)/弓箴善彊 |
ご由緒 | 秀吉の正室である北政所(ねね、出家後は高台院湖月心尼)は秀吉の菩提を弔うための寺院の建立を発願し、当初は北政所の実母・朝日局が眠る康徳寺(京都の寺町にあった)をそれに充てようとしたが、手狭であったため、東山の現在地に新たな寺院を建立することになった。秀吉没後の権力者となった徳川家康は、北政所を手厚く扱い、配下の武士たちを高台寺の普請担当に任命した。中でも普請掛・堀直政の働きは大きかったようで、高台寺の開山堂には直政の木像が祀られている。高台寺の開山は慶長11年(1606年)で、当初は曹洞宗の寺院であった。寛永元年7月(1624年)、高台寺は臨済宗建仁寺派の大本山である建仁寺の三江紹益を中興開山に招聘。この時、高台寺は曹洞宗から臨済宗に改宗している。 |
体験 | 坐禅(座禅)結婚式御朱印重要文化財武将・サムライ |
Youtube | |
概要 | 高台寺(髙臺寺、こうだいじ)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶさん)。本尊は釈迦如来。寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。豊臣秀吉の正室である北政所が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格を持った寺院である。元々は黄金八丈の阿弥陀如来像(大仏)を安置する雲居寺の境内であった。 霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、これを「高台寺蒔絵」と呼ぶ。他に北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称がある。夜間拝観を京都で最初に行い始めた寺院である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 豊臣秀吉の没後、正室の北政所は慶長8年(1603年)に後陽成天皇から「高台院」の号を勅賜されると、秀吉の菩提を弔おうと寺院の建立を発願し徳川家康もその建立を支援した。高台寺の創建地は、元々は黄金八丈の阿弥陀如来像(大仏)を安置する雲居寺の境内であったが、応仁の乱で焼失していた。 家康と高台院は、現在高台寺や塔頭・圓徳院があるこの地にあった岩栖院を南禅寺の境内に塔頭として移転させると、慶長10年(1605年)に高台院は実母である朝日局が眠る康徳寺(現・上京区上御霊馬場町にあった)をこの地に移転させて新たな寺院・高台寺を建立し、その境内を整えていった。また、高台院は高台寺の西側...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 京阪本線祇園四条駅から徒歩15分 阪急京都本線京都河原町駅から徒歩18分 |
引用元情報 | 「高台寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%AB%98%E5%8F%B0%E5%AF%BA&oldid=102513431 |
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