かんかめいなりじんじゃ
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観亀稲荷神社は京都市東山区にある神社です。
辰巳神社から八坂神社に向かう途中にありました。
こちらもホトカミマップで確認しながらの参拝です。
いやぁホトカミマップで大助かりです。感謝!
まわりはお店ばかり 神社の鳥居からはお店以外見えません。
その通りに面して 鳥居も玉垣も そして提灯も目立つ神社でした。
参拝者どころか人通りがなく(こんなに暑かったら誰も出てこないか) 静かに参拝しました。
境内に入るとすぐ二の鳥居と拝殿があるのですが 拝殿にシャッターが下りていました。
拝殿にシャッターというのは初めて見ました。
繁華街なので物騒なんでしょうか。
ただありがたいことに 下から1mは普通のシャッターですが それから上は中の様子が伺えるようになっていました。
拝殿の中を見ますと 立派な本殿が見えました。
祭殿にはすのこが敷かれていて提灯もありましたので 夏の祭事の準備をされているのでしょうか。
拝所でしっかり参拝させていただきました。
拝殿前の狐さんの様子が少し変わっていました。
耳 耳が大きくて顔に巻き付くように伸びているのです。
スティッチみたい。
ネット情報です。
繁華街にある観亀稲荷神社(かんかめいなりじんじゃ)は 花街・祇園東界隈の氏神として「観亀(かんき)さん」と呼ばれ親しまれている。
江戸時代 この地には膳所(ぜぜ)藩京屋敷があり 現在の境内付近にはその中庭があったという。
祭神は 加具都智命(かぐつちのみこと) 宇賀御魂命(うかのみたまのみこと)を祀る。
火伏せ(防火)の信仰を集めている。
創建の詳細・変遷は不明。
1659年 旧10月 御所警衛の任じられた近江国膳所(ぜぜ)藩2代藩主・本多俊次は 膳所藩京屋敷跡を贈られる。
東は現在の東大路通 西は花見小路通 北は新橋町通 南は富永町通に囲まれた4350坪(14380㎡)の広さを有していた。(社伝)
1709年 膳所藩4代藩主・本多康慶は 郡山 淀 亀山(亀岡)藩と共に 将軍により御所火の番のために京詰を命じられる。
四藩が隔月交代により幕末まで任を担う。(社伝)
1718年 本多康慶の子・康命(膳所藩5代藩主)は父の遺言により 御所火の番の藩内で火を出しては恐れ多いとして 火伏せの神・遠州秋葉山の秋葉権現を膳所茶臼山に勧請した。
さらにその分霊を当地に遷祀する。
創建当初 付近一帯は竹薮であり 伐り開く際に亀が出て歓んだとされ 観亀 歓亀 歓喜神社とも呼ばれたという。(社伝)
1870年 膳所藩は廃藩になり 京都府に収公される。
その後 現在の観亀稲荷社に改め 火伏せの神として崇敬を集めた。(社伝)

八坂神社からほど近いところに鎮座しています。
「かんかめいなりじんじゃ」と読みますが、この界隈では「かんきさん」と呼ばれ火伏せの信仰を集めているそうです。
江戸時代の1659年、このあたりは広大な近江国膳所藩の京屋敷が存在していました。
幕府より御所火の番を任命されていましたが、、五代藩主本多康命が、享保3年(1718年)に火伏せの神遠州秋葉権現を勧請して祀ったのが始まりとのこと。
当時この辺りは竹藪があり、切り開いたときに亀が出てきて縁起がよいと喜ばれ、観亀神社と呼ばれるようになったそうです。
表通りよりも少し中に入ったところのため観光客の数もぐっと減り、とても静かな中お参りさせていただきました。
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| 住所 | 京都府京都市東山区東山区祇園町北側347−101 |
|---|---|
| 行き方 |
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