うらくいなりだいみょうじん(おだいなり)
有楽稲荷大明神(織田稲荷)京都府 祇園四条駅
- 所在地
- 京都市東山区祇園町南側
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
有楽稲荷大明神(織田稲荷)は京都市東山区にある神社です。
八坂神社から南西にある町家街にあります。
正確には町家だけではないと思うのですが 町家で飲食店をなさっているお店が多いんです。
Googleマップで見ると 飲食店マークが30ほど密集しています。
詳しくはないですが 花街なんでしょうね。
電柱がなければ時代劇でも撮れるようなロケーションです。
すでにロケ地になっていたかもしれません。
通りの角に 勢川楼と書かれた石碑があったのですが それらしきお店は見当たりません。
昔ありました ということなんでしょうか。
さて 町屋の中にぽつんと朱色のエリアが見えました。
境内はそんなに広いわけではないのですが とてもきれいに朱が塗られていて目立ちました。
鳥居も3基ありました。
玉垣も新しい 鳥居も新しい 覆屋も新しい。
鳥居の扁額と狐さんはそれなりに古いもののようですので 氏子様が改修工事されたのでしょう。
玉垣を見ると お茶屋さんや小料理屋さんと思われる名前がありました。
そっか 舞妓さんや芸子さん達がお詣りされているのかもな。
有楽稲荷大明神という名前は 織田有楽斎を想像します。
きっと何か繋がりがあるのだろうな と思いながら手を合わせました。
ネット情報です。
花街の祇園町南側にある町家一角に 有楽稲荷大明神がある。
織田稲荷とも呼ばれる。
かつて この地には織田有楽斎が再興した正伝院があり その墓所もあったという。
有楽稲荷大明神は 有楽斎に因み 「楽しみが有る」とされ 芸能の稲荷社になる。
芸妓の技芸上達 茶屋の商売繁盛の信仰も集めた。
鎌倉時代 13世紀(1201-1300)後半 建仁寺12世・義翁紹仁が 祇園町南側(現在地付近)に正伝院を創建した。
安土・桃山時代 天文年間(1532-1555)以降 衰退する。
江戸時代 1618年 有楽斎は 正伝院を再興し この地に移る。
1622年 有楽斎が亡くなり 墓が立てられる。
その後 大火により正伝院は焼失した。
墓はこの地に残された。
1872年 この地一帯にあった建仁寺境内が上知になる。
正伝院は現在地(東山区小松町)に移された。
有楽斎らの墓はこの地に残される。
大正期(1912-1926)初期 この地に有楽稲荷大明神が祀られたとみられる。
1962年 有楽斎らの墓はこの地より正伝永源院の一角に遷された。
予想はまあまあ当たりってことで。














| 住所 | 京都府京都市東山区祇園町南側 |
|---|---|
| 行き方 | 祇園四条駅より徒歩7分
|
| 名称 | 有楽稲荷大明神(織田稲荷) |
|---|---|
| 読み方 | うらくいなりだいみょうじん(おだいなり) |
| ご祭神 | 有楽稲荷大明神 |
|---|---|
| ご由緒 | かつてこのあたり一帯には、織田有楽斎が再興したという、建仁寺の塔頭・正伝院とその墓所もあったという。 明治6年、正伝院は廃寺となり現在の永源院に統合されることとなる。間口2間ほどの、この小さな有楽稲荷大明神の創建は、大正初期のことであると考えられている。
|
| ご利益 |

御朱印メルマガを受け取ろう
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ