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れいめいじんじゃ

霊明神社
公式京都府 祇園四条駅

最新のお知らせ

もしも、すいかを食べながら、死生観を語ってみたら。。。@第5回すいか祭り×かくりよカフェ

2023年08月06日(日) 13時30分〜

毎年恒例の霊明神社2世神主・村上美平の功績を称え、そのご神徳にあずかるスイカを食するお祭りごとを行います(食物感謝祭を兼ねます)
そして、なんと今年はかくりよカフェとのコラボ開催となります!!
すいかを食べながら、お互いの死生観を話し合ってみませんか

今回のゲスト講師は、デスカフェの研究をされている京都女子大学家政学部 発達教育学部教育学科 養護・福祉教育学専攻 助教の吉川直人先生!
吉川先生には、冒頭にデスカフェについて解説をいただき、死生観について話し合うワークショップを行います
死にまつわることについて、ご自身の願望や気になっていること、知りたいことなど、自由なテーマで気軽に話せる場です

ご興味・ご関心があれば、どなたでも参加できますので、是非ご参加ください

■日時:8月6日(日)
13:30~13:50 2世神主美平とすいか祭りについて
13:50~14:45 美平みたま祭&食物感謝祭
14:45~14:50 かくりよカフェについて
14:50~15:10 デスカフェについて
15:10~16:20 死生観ワークショップ
16:20~16:30 全体シェア

■場所:霊明神社

■玉串料2,000円 ※中学生以下500円、未就学児無料

※すいか祭では、2世神主・美平がスイカを好物にしたことから、その慰霊祭にて皆さんと一緒にスイカを楽しむ行事を行っています。この機会に霊明神社や土御門家の儒医の筆頭として活躍した美平のことを皆さんに知っていただければ幸いです
また、日ごろの食べ物への感謝を示す、食べ物供養のお祭りとしても開催しています。買いすぎや食べ残しなどしないように、感謝の心をみんなで育てる場にしたいと考えています

https://www.facebook.com/events/979536986569291

霊明神社(京都府)
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歴史

 文化六年(一八〇九)八月三日主殿寮の史生徒六位上日向目村上都愷大人が門人および神道有志ののため、徳川幕府の施政下にありながら神道葬祭を断行し、神道信仰素志貫徹を図るため、正法寺の塔頭清林庵所有山林の一千坪を買い受けて霊山神葬地を創設し、同年十一月霊明神社を創建して神道葬祭を始める。
 三代の神主村上都平大人の時、文久二年(一八六二)十一月十八日竹御所(曇華院)に仕える勤王家吉田玄蕃の志により、長州清末藩国学者船越清蔵守愚の墓を建立し、長州藩主の使者と長州藩士の参列のもとに神道葬を営んだ。これが機縁になって長州藩をはじめ殉難志士を当霊山に埋葬祭祀することになった。文久二年(一八六二)十二月十四日神祇伯白川家の古川躬行や津和野藩の福羽美静らの発起により、安政の大獄以降の殉難志士の「報国忠死の霊魂祭」が営まれ、招魂社また靖国神社創建の起源をなすものとなった。
 「死して護国の神となる」「霊山の村上にて皇国の手振りにて葬らることを如何に楽しとせし事ぞ」と霊明神社に葬られ、神霊として祀られることを無上の名誉と思ったのである。明治政府が我が国最初の官祭招魂社の場所と定めた、霊明神社によって志士の神霊を鎮め、慰霊している聖地であったからである。招魂社創建に伴い、霊明神社の約一千八百坪の墓地・境内地が上知となった。

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霊明神社の基本情報

住所京都府京都市東山区清閑寺霊山町25
行き方

京都市営バス清水道停留所より徒歩12分

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名称霊明神社
読み方れいめいじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号075-525-0010
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@reimeijinja.org
ホームページhttps://www.reimeijinja.org/
お守りあり
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詳細情報

ご祭神天之御中主命・熊野三柱大神
創建時代文化6年(1809年)
創始者村上都愷
ご由緒

 文化六年(一八〇九)八月三日主殿寮の史生徒六位上日向目村上都愷大人が門人および神道有志ののため、徳川幕府の施政下にありながら神道葬祭を断行し、神道信仰素志貫徹を図るため、正法寺の塔頭清林庵所有山林の一千坪を買い受けて霊山神葬地を創設し、同年十一月霊明神社を創建して神道葬祭を始める。
 三代の神主村上都平大人の時、文久二年(一八六二)十一月十八日竹御所(曇華院)に仕える勤王家吉田玄蕃の志により、長州清末藩国学者船越清蔵守愚の墓を建立し、長州藩主の使者と長州藩士の参列のもとに神道葬を営んだ。これが機縁になって長州藩をはじめ殉難志士を当霊山に埋葬祭祀することになった。文久二年(一八六二)十二月十四日神祇伯白川家の古川躬行や津和野藩の福羽美静らの発起により、安政の大獄以降の殉難志士の「報国忠死の霊魂祭」が営まれ、招魂社また靖国神社創建の起源をなすものとなった。
 「死して護国の神となる」「霊山の村上にて皇国の手振りにて葬らることを如何に楽しとせし事ぞ」と霊明神社に葬られ、神霊として祀られることを無上の名誉と思ったのである。明治政府が我が国最初の官祭招魂社の場所と定めた、霊明神社によって志士の神霊を鎮め、慰霊している聖地であったからである。招魂社創建に伴い、霊明神社の約一千八百坪の墓地・境内地が上知となった。

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