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soo_cyan
soo_cyan
2025年06月29日(日) 23時37分08秒
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夏越の大祓い。香坂琉月先生特別御朱印会でが28・29日開催とのことで29日の朝から。案外少ないなぁ、、、😅まあだいたい複数日の御朱印会などでは初日にかたまる傾向にあるのですが(特に限定があると)社殿前に茅の輪が設置されていたので今季4度目の茅の輪くぐり。9時の開場でしたがまあすでに暑い暑い🥵🥵🥵観測史上最速の梅雨明けは同時に京都の地獄の夏の訪れでもあります😭今回の御朱印は大祓いなので祓いの神様である「瀬織津姫」。京都では主祭神として祀っている神社は記憶にないが・・・😅調べると関西圏ではあまり見られず。Wikipediaによると天照皇大神の荒御魂とされているようで西宮の廣田神社の戦前の由緒では主祭神は瀬織津姫だったのが今は天照大神荒御魂となっており、戦後に何らかの事情で瀬織津姫の名を憚った事情があるのですかね・・・😔調べているとかつては瀬織津姫を祀った神社は数多くあったのですが、弁才天や市杵嶋姫に名を変えられたところも多いそうです。まあ先日お詣りさせていただいた飛鳥坐神社の参道入り口にあった祓戸社にも瀬織津姫は祀られており、摂末社ではあちこち祀られているのであくまで主祭神としては・・・ってことなのでしょうかね?
さて御朱印は瀬織津姫が水の神様でもあるので青基調の図柄の女神様で🤗5分ぐらいで書き上げておられました😲しかも先生は毎度のことながら話しながらお書きになられているのでよく間違わんよなぁって感心しながら見ておりました。御朱印を拝受しお会計・・・でめっちゃ気になっていたので宮司さんに「しばらく見ない間にめっちゃイメチェンされましたね」と一言🤣お話しすると若いときは形ぐらいまで伸ばしていたこともあるそうで😅次は新嘗祭の予定とお伺いしたので七夕や重陽はされないのかな?

霊明神社(京都府)

御朱印会案内看板

霊明神社(京都府)

鳥居

霊明神社(京都府)

茅の輪ありました

霊明神社(京都府)

さざれ石

霊明神社(京都府)

社号標

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歴史

 文化六年(一八〇九)八月三日主殿寮の史生徒六位上日向目村上都愷大人が門人および神道有志ののため、徳川幕府の施政下にありながら神道葬祭を断行し、神道信仰素志貫徹を図るため、正法寺の塔頭清林庵所有山林の一千坪を買い受けて霊山神葬地を創設し、同年十一月霊明神社を創建して神道葬祭を始める。
 三代の神主村上都平大人の時、文久二年(一八六二)十一月十八日竹御所(曇華院)に仕える勤王家吉田玄蕃の志により、長州清末藩国学者船越清蔵守愚の墓を建立し、長州藩主の使者と長州藩士の参列のもとに神道葬を営んだ。これが機縁になって長州藩をはじめ殉難志士を当霊山に埋葬祭祀することになった。文久二年(一八六二)十二月十四日神祇伯白川家の古川躬行や津和野藩の福羽美静らの発起により、安政の大獄以降の殉難志士の「報国忠死の霊魂祭」が営まれ、招魂社また靖国神社創建の起源をなすものとなった。
 「死して護国の神となる」「霊山の村上にて皇国の手振りにて葬らることを如何に楽しとせし事ぞ」と霊明神社に葬られ、神霊として祀られることを無上の名誉と思ったのである。明治政府が我が国最初の官祭招魂社の場所と定めた、霊明神社によって志士の神霊を鎮め、慰霊している聖地であったからである。招魂社創建に伴い、霊明神社の約一千八百坪の墓地・境内地が上知となった。

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霊明神社の基本情報

住所

京都府京都市東山区清閑寺霊山町25

行き方

京都市営バス清水道停留所より徒歩12分

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名称

霊明神社

読み方

れいめいじんじゃ

御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号075-525-0010
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@reimeijinja.org
ホームページhttps://www.reimeijinja.org/
お守り

あり

絵馬

あり

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詳細情報

ご祭神天之御中主命・熊野三柱大神
創建時代

文化6年(1809年)

創始者

村上都愷

ご由緒

 文化六年(一八〇九)八月三日主殿寮の史生徒六位上日向目村上都愷大人が門人および神道有志ののため、徳川幕府の施政下にありながら神道葬祭を断行し、神道信仰素志貫徹を図るため、正法寺の塔頭清林庵所有山林の一千坪を買い受けて霊山神葬地を創設し、同年十一月霊明神社を創建して神道葬祭を始める。
 三代の神主村上都平大人の時、文久二年(一八六二)十一月十八日竹御所(曇華院)に仕える勤王家吉田玄蕃の志により、長州清末藩国学者船越清蔵守愚の墓を建立し、長州藩主の使者と長州藩士の参列のもとに神道葬を営んだ。これが機縁になって長州藩をはじめ殉難志士を当霊山に埋葬祭祀することになった。文久二年(一八六二)十二月十四日神祇伯白川家の古川躬行や津和野藩の福羽美静らの発起により、安政の大獄以降の殉難志士の「報国忠死の霊魂祭」が営まれ、招魂社また靖国神社創建の起源をなすものとなった。
 「死して護国の神となる」「霊山の村上にて皇国の手振りにて葬らることを如何に楽しとせし事ぞ」と霊明神社に葬られ、神霊として祀られることを無上の名誉と思ったのである。明治政府が我が国最初の官祭招魂社の場所と定めた、霊明神社によって志士の神霊を鎮め、慰霊している聖地であったからである。招魂社創建に伴い、霊明神社の約一千八百坪の墓地・境内地が上知となった。

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