ほんがんじ(にしほんがんじ)|浄土真宗本願寺派|龍谷山
本願寺(西本願寺)のお参りの記録一覧
京都二日目③
2024『京の冬の旅』非公開文化財特別公開
『僧侶が案内する書院と飛雲額の特別公開』
インターネットからの事前予約が必要です。
拝観料は3000円
一年前は丁度公開が終わった頃に訪れて悔しい想いを…
書院の中の拝観は人生三回目
一度目は遥か昔の修学旅行(系列高校でした)
ニ度目はその数年後両親を連れて
当時も事前申し込みは必要でしたが時期は限られていなかったような…
今回は約二時間弱で説明を聞きながらゆっくり拝観できました
良かったです😆
飛雲閣は外観ですが雨も上がり説明も受けながら充分な時間。
『僧侶による案内』はここで終了、解散なのでその後は自由お庭を満喫出来ます。
書院は撮影不可、阿弥陀堂、御影堂は修学旅行生で一杯😲
と、言うことで写真のほとんどは飛雲閣(外観)です
(こちらは撮影可)
御影堂門
修学旅行生の大行列
皆さんお行儀よく静かに行進
飛雲閣
特別公開のお土産
京都の寺院/博物館巡りの2寺目は、1寺目の金閣寺から南へ下った京都駅近くの京都市下京区に在る龍谷山 本願寺です。
通称は西本願寺、愛称はお西さん。
浄土真宗本願寺派本山で、本尊は阿弥陀如来。
国宝、重文が多数の超大寺院。
こちらも恥ずかし乍、過去いつ参拝したのか覚えがありません。
境内の東側の国道1号線(堀川通)を挟んだ向かいに「龍谷ミュージアム」があり、その展覧会を観るならば西本願寺へ行かねばと思い、参拝しました。(龍谷ミュージアムを造ったのは西本願寺。)
歴史等を記載するには相当行が必要ですし、皆さんご存知でしょうから金閣寺に続き割愛します。
堀川通沿いには阿弥陀堂門と御影堂門の2つの門があり(他に総門も唐門もありますが。)、さてどちらから入るのが正解なのか?阿弥陀堂と御影堂のどちらから参拝するのが正解なのか?と考えてしまいました。本堂にあたるのは阿弥陀堂ですから阿弥陀堂門から入って阿弥陀堂を先に参拝する事にしました。(結果的にはどちらが先でも良いようです。)
それにしてもどちらも国宝で巨大なお堂です。とんでもない浄財と、とんでもない時間と労力を掛けてよくもまあ造ったものだと感心します。カメラを広角にして、かなりお堂から離れないと画角に入りきらない位の大きさです。
それでは阿弥陀堂から。靴を脱いで上がらせて頂きます。堂内もメチャ広いです。真ん中の宮殿に本尊の阿弥陀如来立像、左右の間に法然聖人と聖徳太子の影像が掲げられています。
渡り廊下を通って御影堂へ。こちらの堂内もメチャ広いです。阿弥陀堂より広いですね。真ん中に親鸞聖人坐像、左右の間には十字名号と九字名号が掲げられています。
手を合わせてから堂外に出て、南へ行った塀の先に金閣、銀閣と共に京都三名閣の一つの国宝の飛雲閣があります。1月20日~3月10日の間は「京の冬の旅・非公開文化財特別公開 西本願寺 飛雲閣(外観)」により公開されています。但し、飛雲閣の中には入れません。あくまでも外観を観るだけです。まだ別の寺院へ行く予定があったため、またの機会としました。
手水の近くにお茶所があり、記念スタンプが3種類置いてありましたので、記念に押しました。
(浄土真宗は基本御朱印は行いませんから。)
阿弥陀堂門(重文)
御影堂門(重文) (信号機が目障り)
わかり難いですが、門の先に見えているのは目隠塀(重文)
信号機が写らない様に
手水(重文)
阿弥陀堂(国宝)
御影堂(国宝)
経蔵(重文)
太鼓楼(重文)
参拝記念スタンプ
龍谷ミュージアム
龍谷ミュージアムのパンフ
「ほとけにしたがう仲間たち 眷属」
京都市下京区にあるお寺です。
JR京都駅から北西へ徒歩で10分もかからない場所にあります。
興正寺の北側にあります。
山号は龍谷山 宗旨宗派は浄土真宗本願寺派 寺格は本山 ご本尊は阿弥陀如来です。
真宗大谷派の本山である東本願寺と区別するため 両派の本山は通称で呼ばれることが多いです。
京都市民からはお西さんの愛称でも親しまれています。
本願寺がなぜ東と西に分かれているのか 少し前まで知りませんでした。
乱暴な説明ですが 簡単にお話ししますと。。
本願寺の前身である石山本願寺は 室町時代に武装化が進み 顕如上人の時代には各地の戦国大名と同盟を結ぶほどの勢力をもちました。
ところが天下統一を狙う織田信長にとって この本願寺の勢力はやっかいなものでした。
信長は石山本願寺の明け渡しを要求しましたが 顕如上人は断固拒否し 全国の門徒衆に対して打倒織田信長を決起しました。
信長は石山本願寺と10年以上も戦争を続けていましたが 武力によって攻め落とすことはできず 和睦の申し入れをしました。
本願寺内部では 和睦派と抗戦派で真っ二つに意見が分かれていました。
顕如上人は和睦を受け入れましたが 長男の教如上人は最後まで抵抗しました。
結局は信長に石山本願寺を明け渡すのですが 石山本願寺は焼かれてしまいました。
石山本願寺焼失後 顕如上人と長男の教如上人の親子の溝は埋まることはありませんでした。
顕如上人は本願寺の宗主を 長男ではなく 三男の准如上人にゆずります。
その後豊臣秀吉の時代になり 本願寺の再興を許されて京都の堀川に建てられたのが現在の西本願寺となります。
豊臣が徳川に滅ぼされ 徳川家康の時代になりました。
家康は本願寺の巨大な勢力を分断するために 不満のたまっていた教如上人に目を付け 西本願寺のすぐ近くの烏丸に寺地を寄進して東本願寺を建てさせました。
そして 本願寺教団は三男の西本願寺と長男の東本願寺に分裂されることになりました。
という流れです。
立派すぎる山門(御影堂門)
この大きさ ひとの10倍ぐらいあります
金色があしらわれた山門(阿弥陀堂門)
目隠塀
鐘楼の説明
鐘楼
鐘楼には彩色されています
御影堂
沓石の説明
これが沓石
御影堂内陣
御影堂と阿弥陀堂をつなぐ
御影堂の説明
本願寺のイチョウ 樹齢約400年
手水舎
手水の龍
阿弥陀堂
阿弥陀堂の説明
縁側と廊下の埋め木の説明
阿弥陀堂内陣
経蔵
経蔵の説明
1272年親鸞聖人の末娘・覚信尼が東山大谷に親鸞の遺骨を改葬し廟堂を建立したことに始まる。
大阪、和歌山と寺地を転々とした後、1591年豊臣秀吉の寄進を受け現在地に移った。
1602年准如(顕如の三男)の西(本願寺派)と、教如の東(大谷派)に分立した。
御影堂(1636年再建)、阿弥陀堂(1760年再建)、唐門(桃山時代1573年~1614年建築)、飛雲閣(桃山時代1573年~1614年)、北能舞台(1581年建築)、黒書院及び伝廊(1657年建築)、書院(対面所及び白書院)(1618年建築)は国宝指定。
経蔵(1678年建築)、鐘楼(1618年建築)、手水所(1758年建築)、鼓楼(1789年建築)、御影堂門(1645年建築)、阿弥陀堂門(1802年建築)、総門(19世紀前半建築)、玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間(江戸時代前期1615年~1660年建築)、能舞台(桃山時代1573年~1614年建築)、浴室(黄鶴台)(桃山時代1573年~1614年建築)、旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)(1911年建築)は重文指定されている。
総門
総門
御影堂門
御影堂
御影堂
御影堂
御影堂
渡廊下
阿弥陀堂門
阿弥陀堂
阿弥陀堂
阿弥陀堂
経蔵
太鼓楼
太鼓楼
太鼓楼
太鼓楼
手水所
手水所
手水
鐘楼
鐘楼
鐘楼
鐘楼
梵鐘
旧仏飯所
旧仏飯所
旧仏飯所
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
唐門
玄関
玄関
玄関
書院(対面所及び白書院)・能舞台
書院
飛雲閣
飛雲閣(看板)
北小路門
旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)
旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)
旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)
旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)
東寺から歩いて西本願寺へ
こちらは、潔く「御朱印はありません」の説明もありました。
いやいや… なんて大きな木造建築物なんだ…
御影堂、阿弥陀堂ともに、自由に拝観できます。
外国人の方も、上手にお堂で正座してお祈りしてました。
外は暑いのですが、お堂の中は「凜」としていて涼しささえ感じます。
入り口に向かう途中の唐門です。
唐門の説明書き
正面の門に到着しました。こちらは御影堂門
反対側にも、門が…
こちら、西本願寺の御影堂。
呆れかえるほどに大きな木造建築物です。
横に広がった大銀杏
左側の書院から見た御影堂。
もう、圧倒されました…
御影堂の説明書き
あまのじゃく だとか…
阿弥陀堂の右端から
阿弥陀堂の説明
遠くから、阿弥陀堂の全容
阿弥陀堂門です
京都市下京区堀川通にある浄土真宗本願寺派(通称お西さん)の総本山。世界文化遺産古都京都の文化財の1つ。
元は1つの宗派だった真宗(一向宗)は戦国時代に織田信長との戦いで11代宗主顕如の三男准如と長男教如が和睦か徹底抗戦かで対立し和睦を選んだ顕如によって後継者は同じ和睦派の准如になりましたがその後徳川家康が教如に土地(現在の東本願寺境内)を与えたことで東西に分かれ准如が継いだ真宗は本願寺派と呼ばれるようになりました。
国宝の御影堂はとても大きく大迫力。靴を脱いで中に上がると絢爛な内装に圧倒されます。
私が参拝に来た時はコスプレした方達が何人もいました。何かの催し?
御影堂門と堀川通を挟んだ向かいにある総門はアニメ映画「HELLOWORLD」に登場しており聖地巡礼スポットとしてもファンの方にオススメのお寺です。
御影堂
御影堂
灯籠
堀川通
堀川通と御影堂門
阿弥陀堂門
由緒書
石碑
浄土真宗を開いた親鸞聖人の生誕850年を記念して特別公開された国宝の「飛雲閣」は、金閣、銀閣に並ぶ「京都三名閣」の一つで、豊臣秀吉が建てた「聚楽第」の一部とも言われている。
池に囲まれた建物が空に流れる雲のように見えることから、「飛雲閣」と名づけられた。
この「飛雲閣」を見学にと訪れたのだが、慶讃法要に参拝させていただき、法話・お西さんを知ろう・夕方のおつとめも見学させていただきました。通常非公開の書院も、公開されていました。
飛雲閣
御影堂
御影堂
阿弥陀堂
阿弥陀堂
書院
経蔵
唐門
唐門
総門
阿弥陀堂門
阿弥陀堂門
埋め木(富士山)
埋め木(鷹)
埋め木(なすび)
伝道院
御朱印はないので、記念スタンプです。
東本願寺さんの次に西本願寺さんへ伺いました。
こちらも大変大きなお寺です。
お参りされてる方は少ないですが、とてもすごいオーラがありますね。
東本願寺さんと同じく、とても広い境内に阿弥陀堂、御影堂などいろいろな建物があります。
なんだかよくわからなくなってきた…というのが正直な感想です。勉強不足、素人丸出しです。
お茶屋さんでコーヒー飲んで休憩し、しっとりした雰囲気を味わいました。
はなまつりという行事をされており、はなまつりドロップとはなまつり絵はがきをいただきました。
御朱印は無いそうなので、いただいた物がお参りのいい記念になりました。
人生で三回目の本願寺様です。
系列の高校に通っていたので、修学旅行で初参拝、その時に書院を見学して感激した私は卒業後両親と再訪し旅行社経由(時代ですねぇ)で書院拝観の申し込みをして再び拝観。今回も申し込みをしようと思っていたのですが…💦時期が悪かった😅
でも本願寺の僧侶による*お西のお坊さん*の境内案内『お西さんを知ろう!はとても良かったです。
特別法要の準備の為奥に見える『御影堂』の中でのお参りは出来ませんでした。
御影堂
阿弥陀堂
この時は御影堂の改装準備の為『御本尊様』はこちらにおいでになっていました。
経蔵
修復完了してからまだ一年半ほどの唐門✨。素晴らしすぎるー😍😲
大銀杏。一見桜と見紛うくらいの枝振り。黄金の姿を見てみたい😆
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