みさきじんじゃ(とさいなりじんじゃ)
岬神社(土佐稲荷神社)京都府 京都河原町駅
午前7時~午後10時
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楽しみ方京都四条河原町の蛸薬師通を鴨川方面へ向かうとお見掛け。もともとは鴨川の中洲の岬に建てられたので「岬神社」なのだそう。あちこち遷座しているらしいがそりゃ鴨川の中洲に建てれば氾濫するたびに流されてそうです・・・😅土佐藩京屋敷の創建時に屋敷内に遷座。ゆえに土佐藩士だった坂本龍馬や中岡慎太郎もゆかりの寺院。京屋敷廃止後に現在地へ。竜馬と慎太郎が受難した近江屋跡が河原町通り渡ってすぐなので彼らの慰霊のためにこの地に遷されたのかもしれませんね・・・🤔
神門
由緒駒札
きつねさん
坂本龍馬像
参道
手水舎
坂本龍馬肖像画
提灯
社号標らしい
革堂さんから今宵の宿へ戻ろうと、寺町〜河原町と下って来たら、ドンドコ人が多くなるじゃないの!
病気が治った今でも人混みが苦手なのヨネ😓ということで、路地に逃げ込んだら、なにやら良さげな赤提灯。京都らしい、ちいさなお宮さんに出会いました✌️
こういうさりげないお出会いができるのも京都歩きの魅力❤️
河原町蛸薬師東入ル、とでもいう位置かな。
ハテ土佐稲荷、岬神社とは?
誰もいませんが、境内をぐるりと
一周したところで、むむ…誰かの何かの視線を感じる…👀
あらまっ!龍馬さんじゃないのさっ
岬神社は元々鴨川の中洲の岬にあったのを土佐藩邸内に移したところ、庶民に慕われ、坂本龍馬や中岡慎太郎らもお参りし…なあるほどね!
もうすこし行くと、幕末の史跡があちこちに点在する高瀬川ですもんね。
御拝殿の下に300円入れてねというセルフ御朱印がありました。
本日最後にいいお参りができました。
2万歩あるいて、さすがに脚がイテー💨
お疲れ様っす!
社伝では、貞和4年(1348)に鴨川西寄りの中州(なかしま)の岬に祠を建てたのが由来とされている。
その後、祠は鴨川西岸などに数回遷され、江戸時代初期、備前島町に建てられた土佐藩の京屋敷内に遷される事となった。以降、土佐藩士のみならず、先斗町、木屋町など周辺の町衆からも『産土神(うぶすなのかみ)』として熱心な信仰を集め、わざわざ土佐藩邸内に、一般人が自由にお参りする為の通路を確保したほどである。
明治維新により土佐藩邸が売却されるとともに神社も移転を余儀なくされ、幾多の変遷を経て明治20年、現在地に鎮座。大正2年(1913)には、先斗町・木屋町その他、近隣在の信徒が募金を行って大規模な造営を行ない、現在の社殿が建立された。
住所 | 京都府京都市中京区蛸薬師通河原町東入備前島町317-2 |
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行き方 | 阪急京都河原町駅下車9番出口より徒歩3分
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名称 | 岬神社(土佐稲荷神社) |
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読み方 | みさきじんじゃ(とさいなりじんじゃ) |
参拝時間 | 午前7時~午後10時 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 075-561-6155(八坂神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、石栄神(せきえいのかみ) |
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創建時代 | 1348年(貞和4年) |
ご由緒 | 社伝では、貞和4年(1348)に鴨川西寄りの中州(なかしま)の岬に祠を建てたのが由来とされている。
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体験 | 御朱印武将・サムライ |
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