ちおんじ|臨済宗妙心寺派|天橋山、 五臺山
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楽しみ方智恩寺のお参りの記録一覧
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天橋立観光にて立ち寄り、お参りいたしました。 天橋立ビューランドから「飛龍観」を眺めた後に茶屋通りを散策、「黄金閣」とも呼ばれる立派な山門を潜ります。 臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は天橋山(てんきょうざん)、本尊に文殊菩薩を安置し、奈良桜井の安倍文殊院(安倍文殊)、山形高畠町の大聖寺(亀岡文殊)とともに日本三文殊に数えられています。 記録上では、醍醐天皇から「天橋山智恩寺」の寺号を授かった904年(延喜4年)を創建の年としていますが、「久世戸縁起」で語られる伝承からその起源は古く神代にまで遡ります。 その昔、神々が日本の島々を創っていた頃、この地は荒海神と呼ばれる龍神に占領され、人の住まうことができませんでした。 その為、伊弉諾(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の二神は、中国の五台山より文殊菩薩を招き、竜神を教化することを試みます。 海を越えて招かれた文殊菩薩は千年もの間、荒海神に説法を説き続け、ついには龍神をことごとくを改心させ人々を護る善神へと導いたのです。 その後、荒海神が去った地に神々は文殊菩薩が持つ如意に乗って海へ降り立ちます。 その如意が浮かんだものを「天の浮橋」といい、ここに龍神が一夜にして土を置いて島を造り、天女が降り立って「千代の姫子松」を植え「天橋立」が出来上がったそうです。 また、天神七代、地神二代のあわせて九代にわたってできたこの地は「九世戸」と名付けられたと言います。 智恩寺はこの伝承から近代頃まで天橋立を寺領の一部とし、古来より文殊信仰の聖地として「九世戸文殊堂」という別名とともに今なお天橋立の宗教空間における中心地となっています。 帰りには知恵の餅を買って帰りました。 鉄板ですね…。
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14年ぶりの参拝です。当時はキャンプの帰りに歩いて立ち寄り、とりあえずお寺があるからお参りしとこう!みたいな感じでした。😅改めて参拝すると、えらい有名なお寺さんだったのですね。奈良の安倍文殊院に参拝した時に、日本三大文殊として天橋立方面にあるとお聞きして、是非行ってみたいなと思っていたら、まさかあの時のお寺さんだったとは。😂懐かしい記憶が蘇りますが、思い出すのは門前でほおばったお団子の味ばかり。😋
ゴールデンウィークで久しぶりの駐車場に困りました。何周か周り偶然空いた瞬間を狙って入庫。こんな感じもツラいけど、嬉しいような😆
ご本尊の文殊菩薩さまは秘仏でお目にかかれず残念。🥲
いつか三大文殊の山形の亀岡文殊菩薩もお参り出来ればと!


臨済宗妙心寺派 天橋山 智恩寺
昔から「三人寄れば文殊の知恵」という言葉がありますが、その文殊菩薩が祀られているお寺です。
奈良の安倍文殊院、山形の大聖寺と並ぶ日本三文殊の一つです。
大同3年(808年)の平城天皇の勅願寺として創建、『九世戸縁起』によると、延喜4年(904年)に醍醐天皇の勅願寺として山号を賜ったとの記録があるようです。
謡曲「九世戸」の題材ともなっています。
ご本尊は、文珠騎獅像、左右両脇仏の善財童子、優闐(うてん)王。
ともに重要文化財に指定。
扁額は醍醐天皇の宸筆、文珠堂の額「五台山」は隠元禅師の筆とか。
隠元禅師は黄檗宗開祖、そしてインゲン豆を日本に伝えた方という印象を個人的に持っていたんですが、臨済宗を嗣法している自負があった方だと後々知りました。
ゆっくりまわりたいところだったのですが、対岸の傘松公園にも寄りたかったため、駆け足でのお参りとなってしまいました。
京都府宮津市文珠466

天橋立ビューランド側から見た天橋立(飛龍観)
左下の辺りが智恩寺です

山門(宮津市指定文化財)
明和4年(1767年)9月に上棟
再建にあたっては後桜町天皇から黄金を下賜されたことによって「黄金閣」とも呼ばれているそうです。
上層部には釈迦如来と十六羅漢が安置されています。


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