御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

ちおんじ|臨済宗妙心寺派天橋山、 五臺山

智恩寺のお参りの記録一覧
京都府 天橋立駅

3 / 6ページ51〜75件136件中
らんでぃー
らんでぃー
2022年11月06日(日)386投稿

天橋立観光にて立ち寄り、お参りいたしました。 天橋立ビューランドから「飛龍観」を眺めた後に茶屋通りを散策、「黄金閣」とも呼ばれる立派な山門を潜ります。 臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は天橋山(てんきょうざん)、本尊に文殊菩薩を安置し、奈良桜井の安倍文殊院(安倍文殊)、山形高畠町の大聖寺(亀岡文殊)とともに日本三文殊に数えられています。 記録上では、醍醐天皇から「天橋山智恩寺」の寺号を授かった904年(延喜4年)を創建の年としていますが、「久世戸縁起」で語られる伝承からその起源は古く神代にまで遡ります。 その昔、神々が日本の島々を創っていた頃、この地は荒海神と呼ばれる龍神に占領され、人の住まうことができませんでした。 その為、伊弉諾(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の二神は、中国の五台山より文殊菩薩を招き、竜神を教化することを試みます。 海を越えて招かれた文殊菩薩は千年もの間、荒海神に説法を説き続け、ついには龍神をことごとくを改心させ人々を護る善神へと導いたのです。 その後、荒海神が去った地に神々は文殊菩薩が持つ如意に乗って海へ降り立ちます。 その如意が浮かんだものを「天の浮橋」といい、ここに龍神が一夜にして土を置いて島を造り、天女が降り立って「千代の姫子松」を植え「天橋立」が出来上がったそうです。 また、天神七代、地神二代のあわせて九代にわたってできたこの地は「九世戸」と名付けられたと言います。 智恩寺はこの伝承から近代頃まで天橋立を寺領の一部とし、古来より文殊信仰の聖地として「九世戸文殊堂」という別名とともに今なお天橋立の宗教空間における中心地となっています。 帰りには知恵の餅を買って帰りました。 鉄板ですね…。

智恩寺(京都府)

智恩寺・山門(黄金閣)

智恩寺(京都府)

智恩寺・多宝塔

他14枚の写真を見る
もっと読む
きどっち
きどっち
2021年08月14日(土)1512投稿

臨済宗妙心寺派 天橋山 智恩寺

昔から「三人寄れば文殊の知恵」という言葉がありますが、その文殊菩薩が祀られているお寺です。
奈良の安倍文殊院、山形の大聖寺と並ぶ日本三文殊の一つです。

大同3年(808年)の平城天皇の勅願寺として創建、『九世戸縁起』によると、延喜4年(904年)に醍醐天皇の勅願寺として山号を賜ったとの記録があるようです。
謡曲「九世戸」の題材ともなっています。

ご本尊は、文珠騎獅像、左右両脇仏の善財童子、優闐(うてん)王。
ともに重要文化財に指定。
扁額は醍醐天皇の宸筆、文珠堂の額「五台山」は隠元禅師の筆とか。

隠元禅師は黄檗宗開祖、そしてインゲン豆を日本に伝えた方という印象を個人的に持っていたんですが、臨済宗を嗣法している自負があった方だと後々知りました。

ゆっくりまわりたいところだったのですが、対岸の傘松公園にも寄りたかったため、駆け足でのお参りとなってしまいました。

京都府宮津市文珠466

智恩寺の景色

天橋立ビューランド側から見た天橋立(飛龍観)

左下の辺りが智恩寺です

智恩寺の山門・神門

山門(宮津市指定文化財)

明和4年(1767年)9月に上棟
再建にあたっては後桜町天皇から黄金を下賜されたことによって「黄金閣」とも呼ばれているそうです。
上層部には釈迦如来と十六羅漢が安置されています。

他18枚の写真を見る
もっと読む
りんなるる
りんなるる
2021年04月03日(土)62投稿

女子2人旅。

智恩寺の御朱印

三人寄れば文殊の知恵。

智恩寺のおみくじ

扇子おみくじ。

もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ