ちおんじ|臨済宗妙心寺派|天橋山or 五大山
智恩寺のお参りの記録一覧
お参りしました。沢山の観光客が居られました。運良く、虹、廻旋橋が見られました😉
山門です。
多宝塔。
参道に屋台も出店してます。
本堂です。
猫が居ました😃
沢山の絵馬。
天橋立はこんな感じです😉
これが廻旋橋です。
船が通過する時に、旋回します😆
廻旋橋の時刻表ですよ😉参考までに。
運良く、虹🌈も見れました😆
天橋立観光にて立ち寄り、お参りいたしました。 天橋立ビューランドから「飛龍観」を眺めた後に茶屋通りを散策、「黄金閣」とも呼ばれる立派な山門を潜ります。 臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は天橋山(てんきょうざん)、本尊に文殊菩薩を安置し、奈良桜井の安倍文殊院(安倍文殊)、山形高畠町の大聖寺(亀岡文殊)とともに日本三文殊に数えられています。 記録上では、醍醐天皇から「天橋山智恩寺」の寺号を授かった904年(延喜4年)を創建の年としていますが、「久世戸縁起」で語られる伝承からその起源は古く神代にまで遡ります。 その昔、神々が日本の島々を創っていた頃、この地は荒海神と呼ばれる龍神に占領され、人の住まうことができませんでした。 その為、伊弉諾(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の二神は、中国の五台山より文殊菩薩を招き、竜神を教化することを試みます。 海を越えて招かれた文殊菩薩は千年もの間、荒海神に説法を説き続け、ついには龍神をことごとくを改心させ人々を護る善神へと導いたのです。 その後、荒海神が去った地に神々は文殊菩薩が持つ如意に乗って海へ降り立ちます。 その如意が浮かんだものを「天の浮橋」といい、ここに龍神が一夜にして土を置いて島を造り、天女が降り立って「千代の姫子松」を植え「天橋立」が出来上がったそうです。 また、天神七代、地神二代のあわせて九代にわたってできたこの地は「九世戸」と名付けられたと言います。 智恩寺はこの伝承から近代頃まで天橋立を寺領の一部とし、古来より文殊信仰の聖地として「九世戸文殊堂」という別名とともに今なお天橋立の宗教空間における中心地となっています。 帰りには知恵の餅を買って帰りました。 鉄板ですね…。
智恩寺・山門(黄金閣)
智恩寺・多宝塔
智恩寺・狛犬(吽)
智恩寺・狛犬(阿)
智恩寺・文殊堂
智恩寺・鐘楼門(暁雲閣)
智恩寺・鐘楼
智恩寺・手水鉢(鉄湯船)
智恩寺・松の木に結び付けられた扇子お御籤と文殊堂
智恩寺・無相堂
智恩寺・吉祥弁財天
智恩寺・灯籠(智恵の輪)
天橋立ビューランド・飛竜観展望
御朱印
御神籤・猫(三毛)
御神籤・猫(黒)
14年ぶりの参拝です。当時はキャンプの帰りに歩いて立ち寄り、とりあえずお寺があるからお参りしとこう!みたいな感じでした。😅改めて参拝すると、えらい有名なお寺さんだったのですね。奈良の安倍文殊院に参拝した時に、日本三大文殊として天橋立方面にあるとお聞きして、是非行ってみたいなと思っていたら、まさかあの時のお寺さんだったとは。😂懐かしい記憶が蘇りますが、思い出すのは門前でほおばったお団子の味ばかり。😋
ゴールデンウィークで久しぶりの駐車場に困りました。何周か周り偶然空いた瞬間を狙って入庫。こんな感じもツラいけど、嬉しいような😆
ご本尊の文殊菩薩さまは秘仏でお目にかかれず残念。🥲
いつか三大文殊の山形の亀岡文殊菩薩もお参り出来ればと!
白虎?
十日えびすでお参りしました。沢山の参拝者が居られました。十日惠比須限定の大黒天、惠比須天(書き置き)のみと、御詠歌の直書き御朱印を頂きました🙇
十日惠比須の限定御朱印です。書き置き御朱印です。
御詠歌で直書き御朱印です。
御朱印の種類ですよ😉
山門。
屋台が出ていました。
本堂です。順番待ちです。
手水。
弁才天。
おみくじ引いたら中吉でした。
多宝塔です。
鐘つき堂。
お寺初投稿です(笑)
何も知りませんけど、夜のライトアップ綺麗だったのでup( ̄▽ ̄)
たまぁにお寺もupします
山門…?
ライトアップ綺麗ですねぇ
阿さん…
お寺に狛犬っていましたっけ?(笑)
何も知らない(爆)
呍さん…
本堂…かな?(笑)
天橋立へ行きました🙂🙏🏻
『三人揃えば文殊の知恵』で有名な日本三大文殊、一通称切戸(又は九世戸)の文殊堂があります🙂🙏🏻
境内には多宝堂等たくさんの重要文化財があり、ついつい見入ってしまいます🙂
この日は文殊堂で猫が寝ていました😺
御朱印は文殊堂で頂けます🙂🙏🏻
神社の厳かな雰囲気ではなく、のどかな感じでした🙂🙏🏻🙏🏻
ご由来説明文です
山門です。
大きいな〜‼️😲
御朱印です
鉄湯船。
今は手水鉢ですが、もともとは湯船の為に作られたそうです🙂
文殊堂です🙂
狛犬🙏🏻
狛犬
文殊堂天井。
たくさんの絵馬がありました🐴
😺ちゃんが寝ていました😊
稲富一夢斎のお墓です。
近世初期の鉄砲の名手だそうです🙂
扇型の絵馬がたくさんあります🙂
弁財天に参拝です🙂🙏🏻
鐘楼と鐘楼門です🙂
霊木『文樹』🙂🙏🏻🙏🏻
天橋立石碑🙂
臨済宗妙心寺派 天橋山 智恩寺
昔から「三人寄れば文殊の知恵」という言葉がありますが、その文殊菩薩が祀られているお寺です。
奈良の安倍文殊院、山形の大聖寺と並ぶ日本三文殊の一つです。
大同3年(808年)の平城天皇の勅願寺として創建、『九世戸縁起』によると、延喜4年(904年)に醍醐天皇の勅願寺として山号を賜ったとの記録があるようです。
謡曲「九世戸」の題材ともなっています。
ご本尊は、文珠騎獅像、左右両脇仏の善財童子、優闐(うてん)王。
ともに重要文化財に指定。
扁額は醍醐天皇の宸筆、文珠堂の額「五台山」は隠元禅師の筆とか。
隠元禅師は黄檗宗開祖、そしてインゲン豆を日本に伝えた方という印象を個人的に持っていたんですが、臨済宗を嗣法している自負があった方だと後々知りました。
ゆっくりまわりたいところだったのですが、対岸の傘松公園にも寄りたかったため、駆け足でのお参りとなってしまいました。
京都府宮津市文珠466
天橋立ビューランド側から見た天橋立(飛龍観)
左下の辺りが智恩寺です
山門(宮津市指定文化財)
明和4年(1767年)9月に上棟
再建にあたっては後桜町天皇から黄金を下賜されたことによって「黄金閣」とも呼ばれているそうです。
上層部には釈迦如来と十六羅漢が安置されています。
『海上禅叢』扁額
『黄金閣』扁額
小さい狛犬が初代
大きい狛犬が二代目
写真には撮れていませんが、文殊堂前には
さらに大きい三代目狛犬がいらっしゃいます
文殊堂
すみません、多宝塔に見とれながら歩いているうちに文殊堂のすぐ手前まで来てしまい、全景を取り忘れました😅
文殊堂内『五台山』扁額
冒頭に山号は『天橋山』と書きましたが、
『五台山』の山号もあるようです
中国五台山の文殊菩薩を勧請したところからきているのでしょうか
赤穂浪士討ち入り図/正徳5年(1715年)
元禄15年(1702年)赤穂浪士の吉良邸討ち入りから14年後に奉納されたものだそうです
その他本堂内には沢山の奉納額が掛かっていましたので
一部だけですが写真を撮らせていただきました
多宝塔(山門側より)
重要文化財
多宝塔(文殊堂側より)
多宝塔 説明書
ふと空を見上げると少し変わった雲が!
思わず写真を撮ってしばらく眺めていると・・・
なんか梵字っぽく見えるなぁ。
梵字って諸仏諸尊をあらわしているんだよなぁ。
まさか!と思い、ネットで調べると、
梵字のマンに似てるような・・・
マンは文殊菩薩をあらわしているじゃないですか!
と勝手に妄想して喜んでしまいました😅
手水鉢
正応3年(1290年)
もとは寺院の大湯屋で寺僧の施浴に用いる湯船として制作されたものだそうです。
境内の松の木には小さな扇子がたくさんぶら下がっています。
これは、すえひろ扇子おみくじといって、扇子を広げると
吉凶が書かれており、扇子おみくじを松の木に吊すのが
習わしになっているとのこと
妙音殿
観光船にて
カモメが餌を求めて沢山船上に飛来します。
売店で売られている餌を手に掲げると、上手に餌だけを
咥えてくれますが、カモメに混じってトンビが!
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