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楽しみ方石清水八幡宮のお参りの記録一覧
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石清水八幡宮は京都市八幡市にある神社です。
6月にも参拝したのですが この日も上がらせていただきました。
新しく発見した場所の写真だけをアップします。
一の鳥居から少し進んだ場所に頓宮があります。
その頓宮の北側(裏手)に 写真の五輪塔がありました。
写真で見ると分かりにくいかも知れませんが かなりデカいです。
説明書きには次のように書かれています。
この石塔は 鎌倉時代頃に建てられた五輪塔です。
高さ6メートル 最下段の横幅は2.4メートルあり 中世以前の五輪塔では日本最大であり 国指定重要文化財となっています。
この石塔には刻銘がなく 製作者や年代 目的など不明で 謎が多い五輪塔です。言い伝えによると 平安時代末頃 日宋貿易の摂津尼ケ崎の商人が中国から帰国する途中 海上で嵐に巻き込まれ あわや転覆かの時 石清水八幡宮に一心に祈ったところ 無事本土にたどり着くことができ 感謝してこの石塔を建立したといいます。この話から 「航海記念塔」とも呼ばれています。





石清水社から本社へ向かいてくてく。こんなに距離あったっけ?と思いながらひたすら登って行きました。暑さもあってか手水舎見えてきたころにはバテ気味・・・歳には勝てんのかのう・・・🤣総門両側の回廊が改修作業に入っておりましたので、って自販機近寄れんやん😱本殿お参りし授与所へ。摂末社はまたの機会に・・・😅御朱印を拝受し鳩みくじがあったのでいただき読んでみるとなんと「凶」‼😱今年後半幸先悪そうだ・・・まあ心して自社参りを心がけよう😅ということで帰路へ。四十八坊のうちのいくつか跡地を見て周るとこれはこれでいろいろあって面白いです。愛染明王などは現在愛知にまで行ってるんやなぁとか思いつついつか行ければなぁと思って見て周りました😊
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石清水八幡宮は京都府八幡市にある神社です。
楊谷寺に来たら 京都市内よりこちらに惹かれます。
本社が国宝に指定されている とても立派な神社です。
こちらに参拝するのには 男山の上まで参道を登っていくのもありですが ケーブルもあります。
一の鳥居とは違う方向ですが 京阪本線の石清水八幡宮駅の近くにケーブル八幡宮口駅があります。
金色の車体がかっこいいです。
ケーブルで山上駅までものの数分。
交通系のカードが使えます。
山上駅から少し回るように山道を歩いていきますと 駐車場に出ます。
山上まで車でも来られるんですね。
石翠亭というレストランがありましたので こちらでお蕎麦をいただきました。
一息ついたところでいよいよ参拝。
前回参拝したときには南総門が工事中で その姿を見ることができませんでしたが 今回は立派な門をくぐることができました。
御本社は国宝に指定されているだけあって さすがに見事な建物です。
金の装飾もですが 木組みの美しさや彫刻の美しさが際立ちます。
楼門前の拝所でごあいさつ。
奥の本殿は見えませんでした。
本殿へのごあいさつを終え 境内の摂末社巡りです。
これが実に数が多い。それに立派。
若宮社の隣に若宮殿社がありました。
若宮社は男性の守護神(祭神は仁徳天皇) 若宮殿社は女性の守護神(祭神は応神天皇の皇女)でした。
いやぁ 今回参拝して初めて知りました。
すべての摂末社にごあいさつしてから 社務所で御朱印をいただきました。
下りはケーブルではなく徒歩で下りました。
参道を進むと三の鳥居があり 一ツ石という石がありました。
勝負石・百度石とも呼ばれ 走馬・競馬の出発点とされたそうです。
表参道を下っていくと 途中 本当に表参道?と思うような山道も通ります。
山道をほぼ下った先に 二の鳥居があり 頓宮などのある下院を通り抜けると一の鳥居がありました。
一の鳥居でご挨拶し すぐそばにあるお店で 走井餅をいただきました。
あっ 男山展望台に行くのを忘れた!
ネット情報です。
主祭神は八幡大神(誉田別命・比咩大神・息長帯姫命の総称)
創建は貞観2年(860年)
札所は神仏霊場巡拝の道第81番(京都第1番)
石清水八幡宮は 京都府八幡市八幡高坊にある神社。
旧称は男山八幡宮。
二十二社(上七社)の1つで 伊勢神宮とともに二所宗廟の1つ。
旧社格は官幣大社で 現在は神社本庁の別表神社。
宇佐神宮(大分県宇佐市)・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の1つ。
また宮中の四方拝で遥拝される神社の1つである。
本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されている。
平安時代前期の貞観年間に大安寺僧の行教が宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請した神社で 京都の南南西の男山山上に鎮座された。
創建年については『元亨釋書』や『石清水遷座縁起』などでは貞観元年(859年) 『類聚国史』などでは貞観2年(860年)としている。
行教は貞観元年に宇佐八幡宮で八幡大菩薩のお告げを受け それを朝廷に報告し 清和天皇の命を受けて貞観2年に八幡造りの社殿が造営されたともいわれる。
都の近くに創建されたことから朝廷の尊信を受けて 賀茂神社 松尾大社 春日大社などと同等の待遇を受けるようになった。
さらに平安末期には白河天皇の殊遇を受け 伊勢神宮とともに二所の宗廟として崇敬されるようになった。
また 平安京においては北東側の鬼門を守護する延暦寺に対し 南西側の裏鬼門を守護する神社として位置づけられた。
八幡神を氏神とする源氏の崇敬を受け 特に源義家は当社で7歳の時に元服し「八幡太郎義家」を名乗った。
そのため武神として信仰され 源氏の広がりとともに壺井八幡宮・鶴岡八幡宮など 当社から各地に八幡宮が勧請された。
石清水八幡宮は僧侶を中心に創建され 当初から宮寺形式をとり 境内の神宮寺である護国寺と一体とされるだけでなく その要職は創建時から僧行教の系統である紀氏一統が長きにわたり務めた。
往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり その様子は山麓の社殿である高良神社を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。
その後 幕末から明治維新にかけて神仏分離で仏式は排除され仏堂や仏塔は姿を消した。
仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが 現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。
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