御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康をご祈願
全国の神社お寺に毎月お名前奉納します
三重県津市四天王寺の御朱印申し込みページ三重県津市四天王寺の御朱印申し込みページ
菱妻神社ではいただけません
広告

ひしづまじんじゃ

菱妻神社
京都府 向日町駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
なし

なし

その他の巡礼の情報

乙訓鎮座神社巡り(第六番)

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年12月27日(金)
2496投稿

京都市伏見区にある神社です。
同名の神社がすぐ近くの南区にもあり そちらに向かおうとしていましたので 最初は別の神社だと分からずにお参りしました。
帰宅してから別の神社だったことを知りました。お恥ずかしい。
立派な鳥居をくぐるとけっこう広い境内です。
隋神門(?)をくぐると 左手に石鳥居のパーツが置かれていました。
車がぶつかって壊れたものだそうで 廃棄せずに置かれているのは氏子の気持ちを大切にされているのかと思いました。
本殿は大きくはないのですが 立派な造りで 今時なのか防犯カメラが設置されているようでした。
そういえば時々聞きます。お賽銭泥棒。本当罰当たりです。
境内には摂社がいくつかありましたが どちらの神様をお祀りしているのかは分かりませんでした。
鳥居の外に 850年祭記念の石柱がありましたので それ以上前からこちらに鎮座されていることはすぐ分かりました。

HPがありましたので借稿しました。
当神社は平安時代後期12世紀の初め 永久元年(1113)2月 右大臣源雅実公が奈良の春日大社から天児屋根命(あめのやねのみこと)を勧請して 「火止津目ひしづめ大明神」と崇め奉ったことに始まります。
御遷宮の時には具仁(ともひと)親王をはじめ 源氏(久我家)・藤原氏の一族が牛車三両 手輿こし数十丁を連ねて社参されたと旧記には伝えられています。
御鎮座当時には 桂川の西に地境方三十九間 本社 拝殿 神楽殿 御垣の御門に続いて東西に廻廊 南に一の鳥居、東に具平宮 一・二の鳥居の間には祭殿 御供殿 並びに久我公の成殿があり 高殿の東に遥拝所および御垣 また 御祭道の巽(南東)に惣門があり 祭殿に並んで神主の宅があったと伝えられています。
神領として当地の近辺に五千坪の地があって田中には檜が生え 数十丈の藤がかかっていたと言われています。
この事からも当時の広大さがしのばれます。

菱妻神社(京都府)

正面鳥居

菱妻神社(京都府)
菱妻神社(京都府)
菱妻神社(京都府)

手水舎

菱妻神社(京都府)

隋神門かなぁ

菱妻神社(京都府)

由緒書

菱妻神社(京都府)

由緒書

菱妻神社(京都府)

事故でこわれた石鳥居が置かれていました

菱妻神社(京都府)

本殿拝所

菱妻神社(京都府)
菱妻神社(京都府)
菱妻神社の末社・摂社
菱妻神社(京都府)

具平親王とありました

菱妻神社(京都府)

850年祭記念の石柱

もっと読む
投稿をもっと見る(5件)

歴史

 当神社は、平安時代後期の永久元年(1113)二月、右大臣源雅実が奈良の春日大社から天児屋根命を勧請して、火止津目大明神と崇め奉ったことに始まる。
 御祭神は神に奉仕される神、学問の神、鎮めの神として広く崇められている。 
 御遷座当時の広大な社領は、桂川・鴨川の氾濫の被害を度々受けたため、久寿元年(1154)に水徳があるとして社名を「菱妻」の字に改めたと伝わる
 今日、五月に行われる「千種祭」は、少なくとも十五世紀にはほぼ現在の形で行われていたと考えられる。中世には競馬や猿楽・田楽も盛んに行われ、盛大を極めたというかつては巡幸に牛車(御所車)のお供があり、五色の紙で作った造花(花巻)と幕で飾られた牛車には男の子が乗り、「千種の花をすべて摘み入れて 御所へ参らせ 御所へ参らせ」と歌われた。
 久我の地は、荘園領主久我家の根本家領として長く伝領されたこともあって、祭りや村の在り方の様々な点に中世以来の伝統を残す貴重な地である。

歴史をもっと見る|
4

菱妻神社の基本情報

住所

京都府京都市伏見区久我石原町3-27

行き方

市バス 菱妻神社前より徒歩2分

アクセスを詳しく見る
名称

菱妻神社

読み方

ひしづまじんじゃ

通称

火止津目大明神

参拝にかかる時間

10分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印の郵送対応なし

御朱印帳なし
電話番号075-931-3745
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://hishiduma.net/index.html

詳細情報

ご祭神《主》天児屋根命
創建時代

永久元年(1113)

創始者

源雅実

本殿

一間社流造

ご由緒

 当神社は、平安時代後期の永久元年(1113)二月、右大臣源雅実が奈良の春日大社から天児屋根命を勧請して、火止津目大明神と崇め奉ったことに始まる。
 御祭神は神に奉仕される神、学問の神、鎮めの神として広く崇められている。 
 御遷座当時の広大な社領は、桂川・鴨川の氾濫の被害を度々受けたため、久寿元年(1154)に水徳があるとして社名を「菱妻」の字に改めたと伝わる
 今日、五月に行われる「千種祭」は、少なくとも十五世紀にはほぼ現在の形で行われていたと考えられる。中世には競馬や猿楽・田楽も盛んに行われ、盛大を極めたというかつては巡幸に牛車(御所車)のお供があり、五色の紙で作った造花(花巻)と幕で飾られた牛車には男の子が乗り、「千種の花をすべて摘み入れて 御所へ参らせ 御所へ参らせ」と歌われた。
 久我の地は、荘園領主久我家の根本家領として長く伝領されたこともあって、祭りや村の在り方の様々な点に中世以来の伝統を残す貴重な地である。

体験御朱印祭り札所・七福神巡り
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
菱妻神社ではいただけません
広告
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ