まんぷくじ|黄檗宗
萬福寺のお参りの記録一覧(3ページ目)
京都の中に中国の寺院が建っていると言った感じです。
一歩入るとそこは異国。そんな風に感じます。
ここは上から見ると龍が見えるというのをご存知ですか?
総門の前に井戸が二つあります。それが目になるのだそうで、一直線に伸びる斜めに敷いてある飛び石が龍の背中をかたどっているんですって。
ここで一番有名なのは木魚の原型「開パン(かいぱん)」と言うもの。丸い木魚ではなく板になって吊るされています。
開祖の隠元禅師は「インゲン豆」を伝え、日本における煎茶道の開祖と言われる人です。
「開梆(かいぱん)」
総門
三門
三門
天王殿
天王殿よりの回廊
鼓楼
大雄宝殿への回廊
法堂
大雄宝殿
大雄宝殿
聯燈堂(れんとうどう)
この井戸が二つあって、龍の目の位置になる
こちらのお線香
さばだい(生飯台) 今日では、黄檗系の寺院のみしか見られない。 この台は、主に食堂(じきどう)の前に置かれ、食事をとる僧たちは自分の口に入れる前に先ず一箸(七粒または七粒以下が正しいとされている。)の飯粒を仏手(ぶつしゆ。→)でこの台まで運び、台の上に移し、餓鬼衆等に供養してから自分たちの食事に臨むことになっている。
この鬼瓦が般若にしか見えない・・・。
過去におまいりにうかがいました。
過去にうかがって頂いた直書きの御朱印になります。
過去にうかがって頂いた直書きの御朱印になります。
過去にうかがって頂いた御朱印帳になります。
#萬福寺
都七福神の札所としての札所本尊は布袋和尚。
#布袋和尚 #弥勒菩薩
七福神の一員。
HPによれば、布袋和尚は中国のミロク信仰と交わり、ミロク菩薩の化身と言われるようになった。今でも彼は、中国や台湾ではミロクと呼ばれていると。
仏さまカードというオラクルカードの解説書にも、台湾や中国の民間信仰では現在も彼らを同一視するとある。そのため、布袋尊の真言はミロク菩薩の「オン マイタレイヤ ソワカ」、種子もミロク菩薩のユとする。真言に関しては、須磨寺(神戸市須磨区)も同様だ。
萬福寺のHPによれば、布袋和尚は実在した人物がモデル。契此(かいし)という名で、後梁(こうりょう)の時代の人。都七福神のHPには唐とある。後梁は907年に唐を滅ぼす形で成立した王朝で、契此は唐の末から後梁の初期にかけて生きたようだ。
ところで、弘法大師が唐への留学を終え帰国したのが、ほぼ百年前の806年。衆知の通り、彼はミロク菩薩を深く信仰し、ミロク菩薩が悟りを開くためにこの世へ転生する時、自分も一緒に戻ってくると言い残した。
「弘法大師は布袋和尚のことを知らなかったのではないか」と突っ込むのは夢が無いので、このように言い換えておく。もし、契此に影のごとく付き従って、何くれとなく世話を焼く人がいたら、それはきっと弘法大師だ、と。
7-8才くらいのとき、夏休みに家族旅行で参拝しました。それ以来一度も行っていないし読経も直接聞いたことない。近所にあったのも、とくに違和感なく、禅宗とひとくくりしてた。
いま見るとお供えは板橋の台湾仏光山寺と色もタワーみたく積上げ方が似てる。それも、ちょっとチベットやブータンぽいカラリング。とくに濃いピンクとか。いわゆる仏教旗の五色には無い色使い?
最近は普茶料理で注目されているとか。台湾や中国は日本の精進料理のよりも細かいものをつくるが、手間もかかる。おそらくいまの現地のひとは食してないです。だから殺人が平気だったりやたらと戦闘的なるんだと言っていた。お肉お魚を食べないスタイルは、ヒトの欲をコントロールする意味もあるのだがw
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