まんぷくじ|黄檗宗
萬福寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
宇治・萬福寺に参拝しました。三禅宗は臨済宗、曹洞宗と黄檗宗だそうで、黄檗宗大本山です。連休の中日でしたが、大変広い境内を静かに参拝できました。全般に中国様式で独特の雰囲気。また来たいです。
ご本尊御朱印。
総門。明様式だそうで、中国っぽいですね。
三門。ここから先は清浄域だそうです。受付は入った先です。
これも三門。
天王殿。布袋様が見えてます。来福しますように。
廻廊部分には灯籠がたくさん下がってます。
開梆(魚梆)。開梆グッズがいろいろありました。
大雄寶殿
大雄寶殿の釈迦如来さま。
法堂。中は入れません。
法堂横にありました。
この辺りは修行中の時刻という事もあったのか全く人気がなく、雰囲気がすごく良かった。
廻廊にある鐘。撞けます。
開山堂。
乃木神社を後にして、桃山御陵へ。230段の石段を登り、明治天皇陵を参拝?
桃山駅まで引き返し、JR奈良線で黄檗まで。かなり久しぶりに萬福寺を訪問しました。
総門
三門
大雄寶殿(だいおうほうでん)
開梆(かいぱん)
紅葉も綺麗でした。
(過去参拝投稿)
黄檗宗黄檗山 萬福寺に参拝しました。
黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。
禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。
隠元禅師は中国よりインゲン豆を持って来られたことで知られていますが、美術、医術、建築、音楽、史学、文学、印刷、煎茶、普茶料理等広汎にわたり、宗教界だけにとどまらず、広く江戸時代の文化全般に影響を及ぼしました。
この他、西瓜(すいか)・蓮根(れんこん)・孟宗竹(たけのこ)・木魚なども禅師の請来によるものです。
境内は驚くほど広大で、中国色の色濃い伽藍がたくさんあり、見どころ満載でした。
日々唱えられるお経は中国語だそうで、独特の音階で素晴らしく荘厳だそうです。
是非一度、読経に触れてみたいとおもいました。
総門
山門
天王殿 扁額
萬福寺の玄関として天王殿が設けられています。
中国では一般的な建て方で、四天王と弥勒菩薩と韋駄天を同様に祀ります。×型の組子を入れた匂欄は、日本では特異なたすき匂欄で、中国で使用されているデザインです。
素晴らしい布袋さま
弥勒菩薩坐像だそうです。
弥勒菩薩(布袋)坐像
范道生作、寛文3年(1663)造立、木造、像高110.3cm。布袋は弥勒菩薩の化身といわれ、本山では弥勒仏とされています。布袋は名を契此(けいし)といい、南宋の高僧で、定応大師と号しました。
法堂(はっとう)重文
禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所。
内部には須弥壇のみを置きます。上堂や住持の晋山式などに使われます。須弥壇上の額「法堂」は隠元の書であり、黄檗山では唯一の楷書による大書です。
開梆(かいぱん)
黄檗清規には、飯梆(はんぽう)と記されています。また魚梆、魚鼓とも呼ばれます。叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をして法器のことです。
雲版(うんぱん)
雲版は、朝と昼の食事と朝課の時に打つものです。青銅製。
十八羅漢
賓度羅跋羅惰闍(ひんどらばっらだじゃ)尊者
迦諾迦伐蹉 (かなかばさ)尊者
迦諾迦跋釐堕闍 (かなかばりだしゃ)尊者
蘇頻陀 (そびんだ)尊者
諾詎羅 (なごら) 尊者
跋陀羅(ばっだら)尊者
迦哩伽(かりか)尊者
伐闍羅弗多羅 (ばっじゃらほつたら)尊者
戎博迦(じゅばか)尊者
半托迦(はんだか)尊者
羅怙羅(らごら)尊者
那迦犀那(なかちな)尊者
因掲陀(いんかだ)尊者
伐那波斯(ばなばす)尊者
阿氏多(あじた)尊者
注荼半托迦(ちゅうだはんだか)尊者
賓頭盧(びんずる)尊者
慶友(けいゆう)尊者
萬福寺(まんぷくじ)は、京都府宇治市にある黄檗(おうばく)宗の大本山の寺院。山号は黄檗山。本尊は釈迦牟尼仏。黄檗宗は、江戸時代に開宗した日本仏教13宗派の最後発の宗派で、萬福寺はその中心寺院。
創建は江戸前期の1661年、開基は4代将軍・徳川家綱、開山は中国・明出身の禅僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)。隠元は鎖国下にあった1654年、長崎の興福寺に招かれ63歳で来日、次いで摂津国富田の普門寺に住したが、その過程で信奉者を拡大。その信奉者たちが3年で帰国するつもりであった隠元を引き留めるため、4代将軍・徳川家綱に拝謁させ、ついには将軍自身も隠元に帰依し、山城宇治の地と寺院を与えた。
当寺は将軍と諸大名の援助で1679年に完成し、隠元の故郷・福州の寺と同名の黄檗山萬福寺と名付けられたが、寺院は中国・明代末期の様式で作られ、空間、仏像、言語、作法含め、全てにおいて明朝風が持ち込まれ、現在でも中国風が色濃く残っている。ちなみに、隠元が持ち込んだものは、明朝の最新の禅宗や中国文化だけではなく、インゲン豆、孟宗竹、スイカ、レンコンなどももたらしている。
当寺は、京阪宇治線・黄檗駅 /JR奈良線・黄檗駅から東に200mほどの住宅街の中にある。広大な敷地に西を正面として左右対称に伽藍が整然と配置されている。寺の随所に日本の多宗派寺院とは違ったニュアンスが感じられ、台湾や大陸の古寺に来たような錯覚さえ覚える。当寺の伽藍はたくさんあるが、そのほとんどが国指定の重要文化財となっている。
参拝時は週末の午後、一般的な観光地ではないが、参拝者はけっこう来ていた。
境内入口の<総門>。1661年建立、1693年再建、国指定の重要文化財。中国牌楼式の漢門。屋根の瓦と縦書きの漢字の文字列が中華風。屋根上左右に載る魚のような像は鯱ではなく摩伽羅(マカラ)というインド仏教の想像上の生物。
総門を入って参道右手にある<放生池>。1664年造営。放生会が行われる。
参道から<三門>を望む。満開の櫻との共演。ここで参道が右に、続いて左に曲がる。
大きくそびえる<三門>。1678年建立、三間三戸二重門、国指定の重要文化財。上に掲げる「黄檗山」の扁額は開祖・隠元書。
境内はこの<三門>と背後の<放生池>を結んだ線を軸に左右対称に構成されている。
「萬福寺」の扁額は開祖・隠元書。門の向こう右側に受付所(料金所)。
山門をくぐったところ。境内はとにかく広々としている。参道の敷石が、ダイヤモンドを連ねた形になっているのが面白い。
三門をくぐって参道をまっすぐ進むと<天王殿>。1668年建立、一重入母屋造、国指定の重要文化財。寺の玄関として本堂の手前にこのような堂を置くのは中国式の伽藍配置で、日本では珍しい。
<天王殿>の扁額と、正面に配置された太鼓腹の<布袋像>。布袋像は弥勒菩薩の化身とされる。
殿内左側の<四天王像>。
殿内右側の<四天王像>。
布袋像の後ろ側の<韋駄天像>。このような配置は中国・清式の様式。
天王殿を出て参道をまっすぐ進むと<大雄宝殿>。1668年建立、重層入母屋造、国指定の重要文化財。日本の一般的な寺院の「本堂」にあたる建物で、萬福寺最大の伽藍。日本で唯一、シャム産のチーク材を用いた歴史的建造物。「大雄寶殿」の扁額は開祖・隠元書。
中央は本尊の釈迦牟尼仏で、脇侍は魔訶迦葉尊と阿難陀尊。写真では見えないが、須彌壇の上の、黄金の幕の後ろに「真空」と書かれた扁額があり、明治天皇の御宸筆。
殿内左側の<十八羅漢像>。
殿内右側の<十八羅漢像>。
<大雄宝殿>を出て参道をまっすぐ進むと<法堂(はっとう)>。1662年建立、一重入母屋造、棧瓦葺。国指定の重要文化財。禅寺における重要伽藍のひとつで説法を行う場所。
内部の須彌壇には住職が登って説法をし、衆僧は問答によって所信を磨く。
ここから境内右側。大雄宝殿の右手にある<朱印所>。御朱印はこちら。
朱印所の右隣にある<齋堂>。1662年建立、単層入母屋造、本瓦葺。国指定の重要文化財。堂内に緊那羅王菩薩立像を安置。高脚飯台と腰掛があり、僧衆の食堂となっている。
斎堂前の回廊に吊されている開梛(かいぱん・魚梆(ぎょほう))。時を報ずるための魚板。
齋堂の右隣にある<伽藍堂>。1669年建立、単層入母屋造、本瓦造。国指定の重要文化財。伽藍を守護する伽藍神を祀る堂宇で、本尊は華光菩薩像、両側に三面大黒天と弁財天を安置。
伽藍堂の右隣にある<鐘楼>。重層入母屋造、本瓦葺。国指定の重要文化財。階上に梵鐘を吊る。当初の梵鐘は太平洋戦争で供出、戦後再鋳された。
ここから境内左側。大雄宝殿と回廊で繋がる<禅堂>。1663年建立、単層入母屋造、本瓦葺。国指定の重要文化財。齋堂と左右対称位置に建つ坐禅堂。本尊は白衣観音、善財童子、八歳龍女を祀る。国指定の重要文化財。
禅堂の左隣にある<祖師堂>。1669年建立、国指定の重要文化財。伽藍堂と対称位置に建ち、中国禅宗の祖・達磨の坐像と開山・隠元禅師からの歴代管長の位牌を安置。
中央は、1663年范道生作の達磨大師像。
祖師堂の左隣にある<鼓楼>。1679年建立、重層入母屋造、本瓦葺。国指定の重要文化財。鐘楼と対称位置に建ち、階上に太鼓を置く。朝5時開静、夜9時の開枕に鐘楼の大鐘と鼓楼の太鼓をもって、時刻と消灯、起居動作の始終を知らせる。
三門の左手にある<通玄門>。1675年建立、四脚門、切妻造、本瓦葺。国指定の重要文化財。開山堂と松隠堂の入口。
通玄門からまっすぐ進むと<開山堂>。1675年建立、国指定の重要文化財。
中央は、1663年范道生作の隠元禅師像。
開山堂の左手にある<松隠堂>。1663年建立、書院造、国指定の重要文化財。隠元が1664年に住持を退き1673年に死去するまで居住。死後客殿とされたが、1694年に現在地に移築、開山塔院(墓所)とされた。
開山堂の裏手にある<寿塔>。1663年建立、本瓦葺六角堂、屋根は宝形造、国指定の重要文化財。
黄檗山おうばくさん萬福寺。禅宗の一つ、黄檗宗大本山。1661年中国僧、隠元隆琦禅師開創。中国明朝様式の伽藍配置。広くて見どころ満載なお寺。今回のたびの1番の楽しみでした。隠元さんの像を撮り忘れました。
三門。こちらの額は隠元さんの筆だそう。
まずは普茶料理。
こっちが、3000円。中華風精進料理。
こっちが5670円。鰻もどきごはんとお土産つき。
大雄宝殿(本堂)
頂いた長ーいお線香。
ご本尊は釈迦牟尼仏。両脇侍は迦葉尊者と阿難陀尊者。
まわりには十八羅漢。
中国っぽい。
法堂。真っ直ぐ伸びた菱形の石畳は龍の鱗モチーフ。
かいぱん。
道場。
天王殿。四天王と韋駄天、弥勒菩薩(布袋さん)。
韋駄天。
布袋さん。
隠元豆。ほかにスイカ、レンコン、タケノコ、木魚など中国から持ってこられた。
建物のあちこち中華風。
キュートな布袋さん。
かいぱんと布袋さん。
黄檗宗の大本山萬福寺にて「大雄宝殿」、「萬徳尊」、「韋駄天」、
都七福神まいり「布袋尊」の御朱印、「魚梆」の御朱印を頂きました。
スラスラと書いていて見入ってしまいました。
萬福寺には5種類の御朱印がございます。
「魚梆」の御朱印は横書きの御朱印って初かも。
総門は中国式の門ですね。
三門は三間三戸二重門で柱は円柱で中国式の門ですね。
大雄宝殿は本堂になります。
法堂で説法を行う場所です。
大雄宝殿の扁額が大きいですね。
萬福寺は回廊で結ばれています。
萬福寺の魚梆です。これによって時刻を伝えます。
萬福寺の開山堂は黄檗宗を開山した隠元禅士が祀られています。
結構大きいお寺で重要文化財が多くとても見応えのある寺院でした。
#萬福寺
#黄檗宗
#宇治市
#京都府
#御朱印
「大雄宝殿」の御朱印
「布袋尊」の御朱印
「韋駄天」の御朱印
「布袋尊」の御朱印
「魚梆」の御朱印
由緒書と拝観券
総門
三門
大雄宝殿
法堂
回廊
開梆
開山堂
京阪1日切符を北浜(大阪)で購入し京都へ。
途中 香里園、牧野に立ち寄りながら宇治線乗り換え、黄檗駅へ。
前回利用の時には時間がなくなり行けなかったので次回京阪沿線巡りの際には行きたいと思っていました。
駅から徒歩で数分。入口の総門を入り、三門で拝観料500円納めて拝観。
真っ直ぐ進むとよく写真に掲載されている黄金の布袋の像のある天皇殿。
さらに奥へ。大雄宝殿にて御朱印を拝受。
横の斎堂前に木魚の原型となっている開版がありました。
宇治線だと石清水八幡宮や平等院に向かう方は多いかと思いますが、こちらも趣のある見応えあるお寺です。
総門
三門
天王殿 布袋像
開版
栞 表
栞 裏
拝観券
挾み紙
萬福寺を参拝しました。
広大な敷地にたくさんの伽藍が左右対称、西向きに乱れなく建てられ、それぞれの伽藍の間には屋根付きの回廊で結ばれ、雨天でも問題なく法式が執り行われようにされているそうです。
そここにある中国の明時代の様式美が、異国に来たような気持ちにさせてくれます。
由緒
総門
額「第一義」は第5代高泉の書
天王殿
弥勒菩薩(布袋)坐像
廣目天
多聞天
韋駄天
持国天
増長天
大雄寶殿
開梆(魚梆)
火焰付宝珠
京都無計画一人旅 其ノ参
日本三禅宗の一つ、黄檗宗大本山 萬福寺です!
黄檗宗を日本に伝えてくださった隠元禅師が中国で住職をされていたお寺から、この黄檗山 萬福寺という名前はいただいているそうです🙏
(端折ってますので、詳しくは黄檗宗のHPなどでお願いいたします!)
さすが大本山、とても広くて立派で感激です✨
必ず行きたいところでしたので、胸がいっぱいです!
京都って素晴らしいですね!
住みたい!(笑)
山門
大本山の字がたまらないです✨
由緒書き
扁額
最初の参道
おしゃれ、と言ったらおかしいかもしれませんが、そんな感じです✨
萬福寺 全景
広い!
三門
扁額がいいですね✨
中和門院御宮址
開山堂
感動のあまり、言葉が出ません(笑)
開山堂内
壽塔
石碑亭
宇和園の鐘
天王殿 扁額
弥勒菩薩像
布袋様は弥勒菩薩の化身と言われ、こちらでは弥勒仏と呼ばれるそうです。
増長天像
持国天像
多聞天像
広目天像
大雄宝殿 正面
祖師堂
由緒書き
祖師堂内
大雄宝殿内
ご本尊の釈迦牟尼佛像🙏
十八羅漢像
逆行で見えませんね💦
大雄宝殿 由緒
扁額
斎堂
斎堂 由緒
開梛(かいぱん)と読むそうです。
関聖天君様がお見送りしてくださいました🙏
萬福寺の御朱印です!
萬福寺の御朱印です!
江戸初期の中国の禅僧・隠元禅師による創建。
中国における自らの寺である黄檗山萬福寺を日本にそのまま再現し、寺号もそのまま黄檗山萬福寺とした。
そんな由来がありこの寺はチャイニーズテイスト一色。
ちょっとだけ遠いけどわざわざ足を運ぶ甲斐はあります。
三門。
広い境内はあれもこれもチャイニーズテイスト。
ご本堂もチャイニーズテイスト。
なにこれ。
_(:3」∠)_
名物の大魚梆(ぎょほう)。
横にかけてあるごんぶとバットで叩きなさる。
「釈迦の息子」羅睺羅尊者。
の、顔出しパネル。何故そこに穴が。
いんげんまめたろうちゃん。
隠元禅師がもってきたので隠元豆、というらしい。
お食事もできます。右はいんげんまめたろうちゃん。
宇治市にあるお寺で、境内は非常に広く立派な仏像が数多くあります。
中央の大雄寶殿にある釈迦如来像や羅漢像が並ぶ姿は見事です。
インパクトのある法具。
朝と昼の食事と朝課の時に打たれるそうです。
黄檗宗大本山。徳川幕府の招きで明から来日した林さん(隠元隆琦)が開山の寺院。
隠元は日本にスイカやレンコン、インゲン豆を伝えた事は良く知られるが、印刷技術も伝えており、そのフォントが今日の明朝体である。(中国明朝の字体だから明朝体)
京都の寺社にしては比較的時代が浅いため、中国様式が色濃く残っていて興味深い。
欄干のデザインは卍や卍崩しである。三国志の英雄関羽を祀る堂宇もある。
さらに特徴的なのは読経を中国語の発音で行うことで、他の黄檗宗の寺院もこれに倣っているという。
大雄宝殿(重文)
布袋(弥勒如来)像
三門
総門
魚梆
法堂(重文)
松隠堂客殿(重文)
壽塔(重文)
開山堂
京都府のおすすめ2選🍁
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
1
0