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かとうじんじゃ

加藤神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
熊本県 熊本城・市役所前駅

ノシ。
ノシ。
2024年05月02日(木) 23時15分44秒
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第三回『大人の修学旅行』Day2。

前夜のうちに福岡から新幹線で熊本に移動し、
朝から熊本城観光を計画。

しかしこの日は大雨の天気予報で、
なかなか大変な一日になることを予想していた。

早朝から雨雲レーダーと何度もにらめっこしながら、
出発時間を遅らせて熊本城へと向かう。

ぼちぼち雨に当たってしまったが、
本降りの時間帯を天守閣内で過ごすことができた。

更に雨雲レーダーとにらめっこすると、
12時30分には雨雲が抜けるようだ。

そしてその予報通り本当に晴れた。

旅行出発直前は一日中雨の予報が、
奇跡的に晴れてくれた。

紅葉八幡宮の大吉のおみくじが効いたのかもしれないし、
猿田彦大神が道を示してくれたのかもしれない。

きっとそうに違いない。

そして雨上がりの加藤神社をお参り。

あれこれ考えた結果、
少し早いかなとも思いつつ2冊目の御朱印帳を頂く。

2020年に九州旅行を計画した際に、
この御朱印帳はとても気になっていた。

そして今年改めて情報収集してみると、
4月下旬から大判サイズの御朱印帳も取り扱うとのこと。

今までのしぶかっこいい路線からは離れるが、
本来はピンク系の色が好きなのでドンピシャである。

加えて持病の病除けお守りも頂いた。

先程まで雨が降っていたからか、
清正公武者姿くまモンは賽銭箱の隣におわした。

加藤神社(熊本県)
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加藤神社(熊本県)
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加藤神社(熊本県)
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加藤神社(熊本県)
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加藤神社(熊本県)
加藤神社(熊本県)
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タツ
タツ
2025年05月06日(火) 12時05分28秒
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加藤神社(かとうじんじゃ)は、熊本県熊本市の熊本城内にある神社である。

祭神
加藤清正公を主祭神とし、祭神に殉じた大木兼能公、韓人(朝鮮人)金官(きんかん)公を配祀する。

歴史
元は慶長16年(1611年)の清正の歿後に清正を祀った浄池廟であった。慶長19年(1614年)、火災で焼失した本妙寺が浄地廟に移された。

神仏分離により明治元年(1868年)、浄地廟の儀式を神式で行うこととなり、同4年、浄池廟・本妙寺より神社を分け、熊本城内に社殿を造営して錦山神社(にしきやまじんじゃ)とした。場所は大天守、小天守、宇土櫓に囲まれた平左衛門丸である。同年、大木兼能と金官を合祀した。同7年、熊本城内に熊本鎮台が置かれるのに伴い、城外の新堀町(現在の京町一丁目)に遷座し、翌8年県社列格、同10年2月、西南戦争により社殿を焼失し(神体は健軍神社に避難していた)、明治17年に再建した。明治42年(1909年)に、錦山神社から加藤神社に改称された。乃木希典も加藤清正を信仰していたこともあり、各地に分霊を祀る加藤神社ができた。同44年にはハワイに、大正3年(1914年)には日本統治下の朝鮮・京城府(現 大韓民国ソウル特別市)に当社の分霊を祀る加藤神社が創建された(京城府の加藤神社は戦後に廃社。跡地は聖山教会になっている)。加藤清正を祭る神社は一時90社を数えるが、一部例外(鹿児島県など)を除き全国的に分布し、その約半分は熊本県にある。昭和27年(1952年)、宗教法人加藤神社となった。同37年、道路改修のため、熊本城内の現在地に遷座した。

※ウィキペディア引用

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