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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※加藤神社ではいただけません

御朱印・御朱印帳

御朱印(1種類)

加藤神社の御朱印

300円

真ん中に仰清正公と書かれ、右に熊本城内鎮座の文字、真ん中上部に加藤神社の印、真ん中下部に熊本城、片鎌槍、蛇の目紋、虎が描かれた「肥後本社 参拝記念 清正公 加藤神社」の印が押されています。
加藤神社は、日本三名城・日本三堅城の一つである熊本城を築城し、土木の神様や築城の名手と呼ばれた加藤清正公を主祭神とする神社で、土木建築や勝運に御利益があるとされています。
境内から見上げる熊本城の大小天守と宇土櫓の眺めは絶景で、宇土櫓は築城以来現存しており、20メートルの高さを誇る石垣の上にそびえる様は、まさに難攻不落の熊本城を象徴しています。

このほか、季節や行事にあわせて特別御朱印が頒布されます。

御朱印帳(2種類)

加藤神社では、2種類のオリジナル御朱印帳が頒布されています。

オリジナル御朱印帳

1,200円
約16×11cm

紺色の地に、表面は加藤神社と熊本城の切り絵がデザインされ、上部に桔梗紋と蛇の目紋、その下に御朱印帳の文字が入り、裏面は加藤清正の虎退治の様子が描かれ、下部に熊本城内鎮座 加藤神社の文字が入っています。
加藤清正の虎退治とは、朝鮮出兵の際に小姓の上月左膳が虎に喰い殺されたことに怒った清正が、虎の群れを片鎌槍や十文字槍で討ち果したという伝承です。

オリジナル御朱印帳

1,200円
約16×11cm

満開の桜と雲の和柄が入った御朱印帳で、表面は熊本城が描かれ、右下に熊本城の文字、右上に御朱印帳の文字、裏面は片鎌槍と蛇目紋長烏帽子形兜が描かれ、左下に桔梗紋と蛇の目紋と加藤神社の文字が入っています。
片鎌槍は、加藤清正の虎退治の際に十文字槍の片側の枝を折られたものを研磨して愛用したという伝承があり、息女瑤林院(ようりんいん)が紀州徳川頼宣(よりのぶ)に輿入れをした際に持参されました。
蛇目紋長烏帽子形兜(じゃのめもんながえぼしなりかぶと)は、『清正記』の中に、慶長3年(1598年)の蔚山での戦いで清正が着用したという記述があります。

授与場所・時間

御朱印・御朱印帳ともに、拝殿に向かって左側にある社務所でお受けできます。

御朱印の受付時間は8時~17時。

詳しくは公式サイトをご確認ください。

過去の限定御朱印

正月限定御朱印

500円
書置き

真ん中と左右に蛇の目紋と桔梗紋が入った二面見開きの御朱印です。真ん中に加藤神社と書かれ、右面は上部に令和初詣の朱書き、奉祝 天皇陛下御即位の金文字、下部に清正公黒印の文字、履道応乾の印が押され、左面は左に正月庚子歳(かのえねどし)の文字、上部に桜の印、下部に2匹のネズミの印が押されています。
履道応乾(りどうおうけん)とは、清正公が花押や朱印とともに文書に押された黒印で、「信念に従って行動すれば必ず道は開ける」「自らは一歩身を引いて己のなすべきことをすれば必ず道は開ける」という意味があります。

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御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

ご利益

加藤神社について

"築城の名人"、熊本城をつくった加藤清正


幼い頃より豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いの七本槍の一人として活躍した加藤清正は、関ヶ原の戦いでは徳川方につき、戦後、肥後国(ひごのくに・今の熊本県)の領主となり、熊本城を築城しました。加藤神社の御朱印には、清正の虎退治の逸話にならって、「虎と槍」が描かれています。

おすすめの投稿

四季
2022年01月01日(土)
217投稿

賀正 本年もよろしくお願いします。

加藤神社 名城熊本城

主祭神  加藤清正公
社格等  旧県社
創建   明治4年(1871年)
本殿様式 流造
別名   錦山神社
例祭   7月第4日曜日(清正公(せいしょこさん)祭り)

元は慶長16年(1611年)の清正公の歿後に清正公を祀った浄池廟でした。慶長19年(1614年)、火災で焼失した本妙寺が浄地廟に移されました。 神仏分離により明治元年(1868年)、浄地廟の儀式を神式で行うこととなり、同4年(1872年)、浄池廟・本妙寺より神社を分け、熊本城内に社殿を造営して錦山神社とされました。場所は大天守、小天守、宇土櫓に囲まれた平左衛門丸で、また同年大木兼能と金官を合祀されました。同7年(1875年)、熊本城内に熊本鎮台が置かれるのに伴い、城外の新堀町(現在の京町一丁目)に遷座し、翌8年県社列格、同10年(1878年)2月、西南戦争により社殿を焼失し(神体は健軍神社に避難していました)、明治17年に再建されました。
明治42年(1909年)に、錦山神社から加藤神社に改称。乃木希典大将も加藤清正公を信仰されていたこともあり、各地に分霊を祀る加藤神社ができたそうです。
加藤清正公を祭る神社は一時90社を数えましたが、一部例外(鹿児島県など)を除き全国的に分布しますが、その約半分は熊本県内にあります。
(八代市 貝洲加藤神社等)
昭和27年(1952年)、宗教法人加藤神社となり、同37年、道路改修のため、熊本城内の現在地に遷座されました。

~・~・~・~

~日本三大名城『熊本城』~

2016年(平成28年)の熊本地震により大きな被害を受けましたが、2021年6月からは、天守閣内部の観覧が再開されました。

世界遺産「姫路城」は別格として、
「江戸城」「名古屋城」「大坂城」「熊本城」
の4城のひとつになります。

別名 
千葉城(出田氏)、六実城、隈本城(鹿子木氏、菊池氏、城氏、佐々氏、加藤氏半国期)、銀杏城

城郭構造 梯郭式平山城

天守構造 連結式望楼型3重6階地下1階(非現存・1600年築)
外観復元(RC造 1960年再) 築城主 出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)
築城年 1469年~1487年頃

主改修者 加藤清正公

主城主  加藤氏、細川氏

廃城年 1874年
遺構  櫓・門・塀、石垣、堀 指定文化財 国の重要文化財:櫓11棟、門1棟、塀1棟 国の特別史跡:熊本城跡 再建造物 外観復元:大小天守、平櫓 木造復元:西大手門、数奇屋丸二階広間、南大手門、西出丸戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、飯田丸五階櫓、馬具櫓、本丸御殿大広間

🌸肥後六花と再春館

再春館(さいしゅんかん)とは、熊本藩の第6代藩主細川重賢が宝暦6年(1756年)に設立した藩校(医学校)。北里柴三郎らを輩出しました。熊本大学医学部の前身です。多くの寮をもち、また講堂、植物園を備えています。宝暦6年12月21日付細川家文書が残っています。

(御朱印等は後日整理でき次第UPさせて頂きます)

熊本市中央区本丸2―1

加藤神社(熊本県)

加藤神社 再遷宮六十年記念
令和四年 壬寅歳正月 御朱印

加藤神社(熊本県)加藤神社の鳥居加藤神社の手水加藤神社の手水加藤神社の周辺加藤神社(熊本県)加藤神社の建物その他加藤神社(熊本県)加藤神社(熊本県)加藤神社の建物その他加藤神社(熊本県)加藤神社の建物その他加藤神社(熊本県)加藤神社の建物その他加藤神社の建物その他加藤神社(熊本県)加藤神社(熊本県)加藤神社(熊本県)加藤神社の建物その他加藤神社(熊本県)加藤神社(熊本県)加藤神社の建物その他加藤神社の建物その他加藤神社(熊本県)加藤神社の建物その他加藤神社(熊本県)加藤神社(熊本県)加藤神社の建物その他加藤神社(熊本県)加藤神社(熊本県)加藤神社の景色加藤神社(熊本県)加藤神社(熊本県)加藤神社(熊本県)

天守閣から望む
阿蘇の外輪山も美しい熊本の街並みには感動します

加藤神社の周辺加藤神社(熊本県)加藤神社(熊本県)加藤神社(熊本県)加藤神社の像加藤神社(熊本県)加藤神社の御朱印

熊本城 令和四年一月一日 御城印

加藤神社(熊本県)

熊本城御城印帳

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加藤神社の基本情報

住所熊本県熊本市本丸2-1
行き方
アクセスを詳しく見る
名称加藤神社
通称加藤社
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
ホームページhttp://www.kato-jinja.or.jp/index.html
おみくじあり
お守りあり

詳細情報

ご祭神《主》加藤清正,《配》大木兼能,韓人金官
体験武将・サムライ結婚式御朱印

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