こくぶんじ|真言宗智山派|摩尼山(まにざん)
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楽しみ方國分寺のお参りの記録一覧

真言宗智山派 摩尼山 宝蔵院 国分寺
四国八十八箇所霊場 第29番札所
南国市の田畑が広がる平地にあるお寺です。
国分寺と言えば、聖武天皇が天平13年(741年)に「国分寺建立の詔」が発せられ、全国68ヶ所に国分寺を建立。
そのうちの一つ、土佐の国分寺がこちらになりますが、聖武天皇の「諸国の中で必ず良い場所を選び、人家に近すぎずかつ遠すぎないところに建立しなさい」という勅願より、この平地が選ばれたということでしょうかね。
さらに土佐日記の著者紀貫之が国司としてこのすぐ近くにあったことから、このあたりはとても栄えていたのでしょうね。
その後、戦禍や災害に巻き込まれ荒廃していたそうですが、永禄元年(1558年)長宗我部国親元親親子が再建し、現在の金堂(本堂)を建立したそうです。


仁王門

とても凛々しくハンサムです

目力が凄い!


金堂(本堂)




とても迫力のある大師堂

大師堂の彫刻


酒断地蔵尊



開山堂

普通にアヤメだと思って写真を撮っていたんですが、調べてみると「一初(イチハツ)」というアヤメ科の仲間の一つみたいです

光明殿

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
29番 土佐国分寺

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
29番 土佐国分寺

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
29番 土佐国分寺

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
29番 土佐国分寺

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
29番 土佐国分寺

1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の2寺院目です。
田畑に囲まれた鎮守の杜のような場所にあります。
駐車場の斜め目の前に立派な仁王門がありました。
仁王門をくぐると 土塀のある少し細長い道が続きます。これは土佐国分寺跡の林の横を通り抜ける道です。
土塀が終わる所には 手水と鐘楼があります。
写真には写っていませんが こちらにベンチがあり 休んでいらっしゃるお遍路さんがいました。
右手に開山堂 正面に本堂(金堂)があります。
本堂の屋根は杮葺きで天平時代の建物に模した数寄造りなっているそうです。
大師堂には御手綱があります。いろんな寺院でも見られますが ご縁を結ぶ綱になっています。
酒断地蔵尊がありました。さすが酒豪が多いと有名な高知 らしいです。
高知では 「少々飲めます」 が 「升升飲めます=2升飲めます」を意味すると聞きました。
おそろし~。
おそらく客殿だと思われる建物では 寺カフェが行われていました。
光明殿の山門には 少し変わった鬼瓦が見られました。
山号は摩尼山 院号は宝蔵院 宗旨宗派は真言宗智山派 ご本尊は千手観世音菩薩 創建年は天平勝宝8歳(756年)以前 開基は行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世迄(まで)の利益(りやく)残せり
でした。
由緒については
聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」により全国に建立された国分寺の一つである。
寺伝によれば天平13年(741年)に行基が千手観世音菩薩を刻み本尊として安置し開創したとされる。
その後弘仁6年(815年)空海(弘法大師)が毘沙門天を刻んで奥の院に安置 また 星供の秘法を修めたことから 当寺は星供の根本道場となり 大師像は「星供大師」と呼ばれている。
そして その頃真言宗の寺院となったという。
史実としては 『続日本紀』に天平勝宝8歳(756年) 土佐を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜したことがみえるため この年以前には創建されていたとみられる。
とありました。

仁王門

石柱

扁額



仁王門をくぐると 奥行きのある境内

こちらも手水は龍でした

由縁

鐘楼


開山堂

本堂

扁額

香炉は石でした

本堂(金堂)の由縁

大師堂


扁額も木組みも立派です

御手綱

説明

酒断地蔵尊 私は大丈夫です

観音様

地蔵様

光明殿入口

寺カフェをされていました

歌碑

光明殿

扁額と内陣

寺務所

少し変わった鬼瓦

きれいな中庭の松

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総社(国分寺境内社)
土佐国分寺の境内にあります。
総社といえば特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(= 合祀)神社のことですが こちらは土佐国21社を国庁所在地に勧請して一社を建設したものだそうです。
国分寺周辺は古代から中世まで土佐国の国府の所在地であり 「土佐日記」の作者紀貫之も国司として4年間当地に滞在しました。
国府の中心である国庁は国分寺から徒歩15分の位置にあり かつてその近くにあった土佐国総社が境内に移されているとのことでした。
21社を合祀されたのにしては少々小さいような・・・おそらく兵火にあって焼失したものを 後に再建されたということでしょう。
形はどうあれ 総社に違いはありませんので ありがたくお参りさせていただきました。

国分寺山門

国分寺本堂

正面石鳥居 新しいです

扁額

狛犬は相当古いです


本殿 歴史は感じますが 21社の総社にしては 少し小さいかな

由緒書

小さな祠は摂社ですね 鏡も見えます

不明な祠

【摩尼山(まにざん)宝蔵院(ほうぞういん)国分寺(こくぶんじ)】
本尊:千手観世音菩薩
宗派:真言宗智山派
開基:行基菩薩
他の国分寺と同じく、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅命により741(天正13)年頃に建立、行基菩薩が千手観世音菩薩を彫って本尊とした。その後、815(弘仁6)年に弘法大師が訪れた際、大師はここで「星供(ほしく)の秘宝」を修めたとされる。鎌倉時代から戦国時代にかけ幾度もの戦禍や災害を受けて荒廃したが室町末期に長宗我部氏の庇護を承け復興している。
国分寺には国の重要文化財も多数あり、1922(大正11)には境内全域が国の史跡に指定されている。

【29_T.Hamada's view】
本堂(右)と大師堂(左)

【29_土佐の苔寺】
杉苔の美しい庭園が残る。1558(永禄元)年に再建された本堂の外観は、柿葺(こけらぶ)き・寄棟造りで天平様式を伝える。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

【29_本堂】
長宗我部国親(くにちか)・元親(もとちか)親子により創建時の金堂跡に再建。

【29_大師堂】
1634(寛永11)年、土佐藩10代藩主 山内豊策(とよかず)公により再建。

【29_仁王門】

【29_仁王阿形像】

【29_仁王吽形像】

【29_龍の手水舎】

【29_酒断地蔵尊】
お酒をやめたい人が願いをかける。

【29_本堂への路】
山門(仁王門)をくぐると杉並が続く。

【29_光明殿への路】
杉苔が美しい庭園は「土佐の苔寺」ともいわれる。

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