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川勾神社ではいただけません
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かわわじんじゃ

川勾神社

神奈川県 二宮駅

投稿する
0463-71-0709

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

延喜式内社
相模國二之宮

神奈川県のおすすめ

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おすすめの投稿

にっきー
2020年02月16日(日)
247投稿

二宮駅より少し離れた神社。

お参りと御朱印を貰いに行くのが目的でしたが、吊るし雛と富士山が見れて嬉しかったです。

雛人形のイベントは神社としてもかなり大きなイベントみたいで地場野菜の直売や甘酒や吊るし雛の手作り販売されてました。

吊るし雛は17日までの催しだそうです。

駐車場あります。

川勾神社の御朱印

シンプルな御朱印。

川勾神社の狛犬

お雛様。近くにお殿様もいました!

川勾神社の建物その他

圧巻の吊るし雛!雛壇の人形もありました。
1つ1つの表情も朗らかでした。

川勾神社の建物その他

相模原13社。あと数社お参りで制覇できるので頑張ります^_^

川勾神社の本殿

本殿。右の梅の花が良い感じです。

川勾神社の自然

紅白の梅。縁起が良さそうですね^_^

川勾神社(神奈川県)

雛壇に乗ってない雛人形は地元の方が処分に困って持ち込まれたものを展示していました。魂の入っているかの様な立派な人形ですが展示が終わるとお焚き上げされるそうです。悲しい(◞‸◟)

川勾神社の山門

入り口の藁葺屋根。神社の歴史を感じます。

川勾神社の景色

曇り空でしたが境内から富士山見えました♫

川勾神社の本殿

本殿にも雛人形と吊るし雛が飾ってあります。

川勾神社の狛犬

本殿の可愛いネズミの吊るし雛。来年の干支で作られるのが楽しみですね!

川勾神社の鳥居

入り口の鳥居の脇に桜の木が植ってます。

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惣一郎
2021年03月24日(水)
1269投稿

川勾神社(かわわ~)は、神奈川県中郡二宮町にある神社。式内社で、相模国二之宮。旧社格は県社。周辺地名の「二宮町」は当社に因む。「二宮大明神/二宮明神社」とも称される。

社伝によると、創建は垂仁天皇の時代、磯長国造(しながのくにみやつこ)の阿屋葉造(あやはのみやつこ)が勅命により磯長国鎮護のために創祀。(その後、磯長国は東隣の相武(さがむ)国と合併して相模国となった。)日本武尊は東征の途中、当社で奉幣祈願したとされる。
平安期の927年『延喜式神名帳』においては、「相模国余綾郡 川勾神社」と記載されている。
武家の時代、1192年源頼朝が北条政子の安産祈願のため神馬を奉納。その後社殿造営と社領寄進。戦国時代には上杉謙信の小田原遠征の兵火で社殿を焼失、その後、後北条氏が社殿を再建、当社を鬼門守護社として崇敬。1591年徳川家康の朝鮮出兵に際し祈祷札を献上、爾後江戸期を通して朱印地を与えられた。

当社は、JR東海道線・二宮駅の西方、道のり2.5kmほどの位置にある。東京から車だと、小田原厚木道路・二宮ICから南に2.5km。周囲は軽いアップダウンのある農地が多いエリアで、境内は一段高い場所にある。境内はさすが二宮と言える十分な広さがあって、神聖な雰囲気に満たされている。

参拝時は週末の午後で、参拝者は自分以外も5組ほど車で来ていた。

川勾神社の建物その他

神社入口。大小看板と社号標。

川勾神社の鳥居

鳥居と石扁額(左下端)。

川勾神社の建物その他

この石扁額は、伊藤博文の揮毫。

川勾神社の建物その他

境内に続く石段。

川勾神社の山門

藁葺屋根の<随神門>。

川勾神社の建物その他

随神門を抜け、境内全景。

川勾神社の建物その他

まず参道左側の<神輿庫>。

川勾神社の手水

神輿庫の隣に<手水舎>。

川勾神社の建物その他

神輿庫対面の建物。

川勾神社の建物その他

参道左側の<神楽殿>。

川勾神社の建物その他

参道右側の<社務所>。

川勾神社の本殿

拝殿遠景。

川勾神社の本殿

拝殿近景。

川勾神社の本殿

拝殿正面と<二宮大明神>の扁額。

川勾神社の本殿

社殿全景。社殿は1932年に郷社から県社への昇格内示を受けて新築着工したが、大東亜戦争や戦後の近代社格制度廃止の影響を受け、19年後の1951年に完成した、波乱万丈の社殿。

川勾神社の末社

拝殿の右側にある<東五社>。小さな社に五社を詰め込むなんて欲張りだなと思ったら、祭神は全21柱。欲張り過ぎ...笑

川勾神社の本殿

拝殿、透塀と統一感のある本殿。写真だと分かりにくいが彫刻がきれい。

川勾神社の末社

拝殿の左側にある<西五社>。ごちらの御祭神は控え目で全7柱。

川勾神社の建物その他

社務所の端で特設会場になっている授与所。御朱印はこちら。

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例祭・神事

国府祭 5月5日
例大祭 10月第二土日

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歴史

当神社は、相模国二之宮で古くから二宮大明神又は二宮明神社と称し、二宮町の町名は当社が二之宮であることからきています。又、延喜式式内社とは延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』(平安時代中期に編纂された法律)の延喜式神名帳(全国の神社一覧)に所載された相模国13社の中の名社であります。
創建は、第11代垂仁天皇の時代(約2000年前)、磯長国造(今の県知事のような人)・阿屋葉造という人が国の勅命により、磯長国(今の県西部)鎮護の為創祀。日本武尊が東征途中奉幣祈願をされ、第19代允恭天皇皇妃の衣通姫命安産祈願を始め、建久3年源頼朝安産祈願の為神馬を奉納し、小田原北条氏より鬼門守護社として崇敬深く、徳川家康公九州名護屋出陣の際祈祷札を献上、殊の他ほか喜ばれ御朱印地五十石を与えられました。
それ以後、歴代徳川将軍に御朱印地を認められ又、歴代宮司には「二見神太郎」を名乗ることを、正月には必ず江戸城に登城してご挨拶申上げ御祓札を献ずるのが例となりこれが幕末まで続き、明治6年郷社に列っせらます。
現在宮司二見家は、第65代一条天皇の永延元年(987年)粟田中納言次男次郎藤原景平が初代宮司となり二見氏を名乗り、以来1200年、今日まで続き現在の宮司で41代続いています。
敷地2千坪、四方を森に囲まれ閑静典雅にして神聖な霊地であります。社蔵宝物主なるものは、二見家初代宮司が三重県伊勢二見浦より携えてきた雨乞神事の網石、茅葺屋根の神門に県内最古(平安後期)の随神像、旧神領地より発見された田船(奈良時代)、国府祭神揃山祭場古地図(江戸中期)、初代総理大臣伊藤博文公直筆の鳥居額が保存、その他古文書記録多数がございます。

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川勾神社の基本情報

住所神奈川県中郡二宮町山西2122
行き方

神奈中バス 鐘藪停留所より徒歩11分
神奈中バス 南1号前停留所より徒歩13分
小田原厚木道路 二宮ICより車で5分

アクセスを詳しく見る
名称川勾神社
読み方かわわじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0463-71-0709
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://kawawajinja.com/
おみくじあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神大名牟遅命,大物忌命,級津彦命,級津姫命,衣通姫命
札所など

延喜式内社
相模國二之宮

ご由緒

当神社は、相模国二之宮で古くから二宮大明神又は二宮明神社と称し、二宮町の町名は当社が二之宮であることからきています。又、延喜式式内社とは延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』(平安時代中期に編纂された法律)の延喜式神名帳(全国の神社一覧)に所載された相模国13社の中の名社であります。
創建は、第11代垂仁天皇の時代(約2000年前)、磯長国造(今の県知事のような人)・阿屋葉造という人が国の勅命により、磯長国(今の県西部)鎮護の為創祀。日本武尊が東征途中奉幣祈願をされ、第19代允恭天皇皇妃の衣通姫命安産祈願を始め、建久3年源頼朝安産祈願の為神馬を奉納し、小田原北条氏より鬼門守護社として崇敬深く、徳川家康公九州名護屋出陣の際祈祷札を献上、殊の他ほか喜ばれ御朱印地五十石を与えられました。
それ以後、歴代徳川将軍に御朱印地を認められ又、歴代宮司には「二見神太郎」を名乗ることを、正月には必ず江戸城に登城してご挨拶申上げ御祓札を献ずるのが例となりこれが幕末まで続き、明治6年郷社に列っせらます。
現在宮司二見家は、第65代一条天皇の永延元年(987年)粟田中納言次男次郎藤原景平が初代宮司となり二見氏を名乗り、以来1200年、今日まで続き現在の宮司で41代続いています。
敷地2千坪、四方を森に囲まれ閑静典雅にして神聖な霊地であります。社蔵宝物主なるものは、二見家初代宮司が三重県伊勢二見浦より携えてきた雨乞神事の網石、茅葺屋根の神門に県内最古(平安後期)の随神像、旧神領地より発見された田船(奈良時代)、国府祭神揃山祭場古地図(江戸中期)、初代総理大臣伊藤博文公直筆の鳥居額が保存、その他古文書記録多数がございます。

Wikipediaからの引用

概要
川勾神社(かわわじんじゃ)は、神奈川県中郡二宮町山西にある神社。延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に記載されている相模国の延喜式内社十三社の内の一社(小社)とされる。旧社格は県社。 毎年5月5日に大磯町国府本郷の神揃山(かみそろいやま)で行われる旧相模国の伝統的な祭事、国府祭(こうのまち)に参加する相模五社の一つで同国二宮に当たる。祭の中心的な儀式「座問答」は相武(さがむ)と磯長(しなが、「師長」とも表記する)をあわせて相模国となったときに、寒川神社と当社のいずれを相模国一宮とするかで争った故事によるものとされる。所在地名の「二宮町」は当社にちなみ、古くより「二宮大明神」「二宮明神社」とも称される。
歴史
歴史[編集] 寛永19年(1642年)9月に書かれた『二宮川勾神社縁起書』[注 1]によれば、垂仁天皇御世に余綾・足柄両郡の東西海岸が磯長国であった頃、磯長国国宰である阿屋葉造(あやはのみやつこ)が勅命を奉じて当国鎮護のために創建したのだと言う。『式内社調査報告 第11巻』も、この辺りが磯長国の中心地で、当社は磯長国造(しながのくにのみやつこ)に由縁のある神社であったと述べている。『新編相模国風土記稿 巻之40』[1]によれば、「川勾」の地名は、往古にこの地で押切川が曲流していたことに由来すると言われ、川勾神社の名も地名に由来するのだと言う。 さらに『二宮川勾神社縁起書』[注 1]によれ...Wikipediaで続きを読む
行事
祭事[編集] 元旦祈祷祭(元日) 御筒粥祭(1月15日) 節分祭(2月3日) 祈年祭(2月) 国府祭(5月5日) 夏越の大祓(6月下旬) 例大祭(10月第2日曜日) 新嘗祭(11月23日) 師走大祓(12月下旬)
引用元情報川勾神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B7%9D%E5%8B%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=94326345

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