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木梨ノリダー
木梨ノリダー
2025年06月26日(木) 16時04分12秒
97投稿

江ノ島に現れる大潮の時に海水が引いて東浜から江ノ島へ橋を渡らずして砂浜を歩いていて江ノ島へ上陸出来るトンボロ現象を見てそして渡ってきました❗️帰りは橋を渡ってきました。
その後江ノ電に乗り腰越駅で降りて小動神社に行き参拝してからすぐ近くの満福寺へ行きました。
ランチしてから藤沢駅へ向かいビックカメラのビルの中の本屋さんで御書印を頂いてから帰宅しました。

小動神社の御朱印

腰越小動神社の御朱印

小動神社の御朱印
小動神社の御朱印

満福寺の特別御朱印

小動神社の御朱印

満福寺の御朱印

小動神社の御朱印
小動神社の御朱印

藤沢本屋さんの御書印

小動神社(神奈川県)

トンボロ現象で渡り証明書?😁

小動神社(神奈川県)
小動神社(神奈川県)

今日は大潮で12時前後1時間くらいが
海水が引いて砂浜を歩いて東浜から江ノ島へ上陸出来ました😃

小動神社(神奈川県)

少しずつ海水が満ちてきました。

小動神社(神奈川県)

もうそろそろ渡れなくなりそうです🤣

小動神社(神奈川県)

小動神社の鳥居

小動神社(神奈川県)

小動神社境内

小動神社(神奈川県)

小動神社参道

小動神社(神奈川県)

小動神社から江ノ島を望む

小動神社(神奈川県)

満福寺前の踏切からの江ノ電

小動神社(神奈川県)

同上

小動神社(神奈川県)

満福寺

小動神社(神奈川県)

ランチの釜あげシラスざる蕎麦

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歴史

文治年中(一一八五)、佐々木盛綱の創建と伝えられる。吾妻鏡によれば、盛綱は寿永三年十二月(一一八四)、源範頼の軍に従い平家追討の際、備前の国児島において霊験を得て僅か六騎にて平行盛を追伐し無事鎌倉に凱旋した。
盛綱は神恩報賽のため守護神である父祖伝来の領国、近江の八王子宮を新たに勧請すべくその地をさがしもとめていたが、ある日江ノ島弁財天に参詣の途次、小動山に登り大いにその風光を賞せられ勧請の地と定められた。相模風土記によれば八王子宮縁起をひき、「文治年中佐々木盛綱当山に詣で、老松の辺りに到るに、この松平日風なきに枝葉靡き動く、その妙音琴瑟の如し、天女遊戯の霊木なり。」とあり、この霊地を神域として八王子宮を勧請したのが当社の期限である。
元弘三年五月(一三三三)、新田義貞は北条氏討伐のため鎌倉攻めの際、当社に戦勝祈願をされ、後に報賽として剣一振に黄金を添えて寄進され社殿が新たに再興された。
八王子宮縁起によれば、新田義貞を中興の祖と称している。
江戸時代、小田原城主大久保忠真公(十一万三千石)は「三神社」の扁額を揮毫し奉納された。三神社とは三柱の祭神を尊称したものである。
明治維新にあたり社名を小動神社と改称し、明治六年十二月、村社に列格された。明治四十二年、当所字神戸の鎮守であった諏訪社を合祀し、昭和十三年七月、神饌幣帛料供進神社に昇格した。昭和二十八年十一月、宗教法人に登録され神社本庁に所属し現在に及んでいる。
境内地六百三十坪。

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小動神社の基本情報

住所

神奈川県鎌倉市腰越2-9-12

行き方

江ノ電「腰越駅」より徒歩6分

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名称

小動神社

読み方

こゆるぎじんじゃ

通称

八王子宮

御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
ホームページhttps://www.yoritomo-japan.com/page139koyurugi.htm

詳細情報

ご祭神《主》健速須佐之男命,建御名方神,日本武尊,歳徳神
創建時代

1185年

創始者

佐々木盛綱

本殿

流権現造

ご由緒

文治年中(一一八五)、佐々木盛綱の創建と伝えられる。吾妻鏡によれば、盛綱は寿永三年十二月(一一八四)、源範頼の軍に従い平家追討の際、備前の国児島において霊験を得て僅か六騎にて平行盛を追伐し無事鎌倉に凱旋した。
盛綱は神恩報賽のため守護神である父祖伝来の領国、近江の八王子宮を新たに勧請すべくその地をさがしもとめていたが、ある日江ノ島弁財天に参詣の途次、小動山に登り大いにその風光を賞せられ勧請の地と定められた。相模風土記によれば八王子宮縁起をひき、「文治年中佐々木盛綱当山に詣で、老松の辺りに到るに、この松平日風なきに枝葉靡き動く、その妙音琴瑟の如し、天女遊戯の霊木なり。」とあり、この霊地を神域として八王子宮を勧請したのが当社の期限である。
元弘三年五月(一三三三)、新田義貞は北条氏討伐のため鎌倉攻めの際、当社に戦勝祈願をされ、後に報賽として剣一振に黄金を添えて寄進され社殿が新たに再興された。
八王子宮縁起によれば、新田義貞を中興の祖と称している。
江戸時代、小田原城主大久保忠真公(十一万三千石)は「三神社」の扁額を揮毫し奉納された。三神社とは三柱の祭神を尊称したものである。
明治維新にあたり社名を小動神社と改称し、明治六年十二月、村社に列格された。明治四十二年、当所字神戸の鎮守であった諏訪社を合祀し、昭和十三年七月、神饌幣帛料供進神社に昇格した。昭和二十八年十一月、宗教法人に登録され神社本庁に所属し現在に及んでいる。
境内地六百三十坪。

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