えのしまじんじゃ
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楽しみ方江島神社のお参りの記録一覧
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~江島神社~
巳の日に、弁天様を祀っている日本三大弁財天の1つ、江島神社にあがることができました。
江島三社に祀られているのは、天照大神と須佐乃男尊 (すさのおのみこと)との誓約時に
須佐乃男尊の剣から生まれた三女神さま、別名を宗像三女神(むなかたさんじょしん)。
~~辺津宮 へつみや~~
【御祭神】田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
瑞心門を過ぎてすぐ、アクセスもいいので、ここが一番賑やかです。
御朱印もお守りもすべてこちらにあります。
奉安殿・・・八臂弁財天(はっぴべんざいてん)と
琵琶を抱えた妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)がいらっしゃいます。
こちらの弁財天は、源頼朝が鎌倉幕府を開く際に作らせたそうです。
八坂神社・・・【御祭神】建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
御祭神は、宗像三女神さまのお父上。
ある漁師が江の島の岩屋沖で引き揚げたのが須佐之男命の御神像。
この御神像は、対岸の腰越の小動岬にある小動神社(こゆるぎじんじゃ)で祀られていたものと判明したものの、こちらの江島に祀られるようになったそうです。
~~中津宮 なかつみや~~
【御祭神】市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
芸事の神様なので、歌舞伎役者の手形がありました。
水を流すときれいな音が鳴る「水琴窟(すいきんくつ)」もここ。
~~奥津宮 おくつのみや~~
【御祭神】多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
三女神の長女様。
江ノ島神社には「岩屋」という洞窟があって、そこに江ノ島発祥の本宮があります。
その洞窟に海水が入りこんでしまう四月~十月まで、岩屋のご本尊がこちらに遷座されたと言われるだけあって、ここの雰囲気は、もう、とてもとても厳かでした。
天井には八方睨みの亀さま。
確かに、どこから見ても睨んでいるように見えました!
~~龍宮 わだつみのみや~~
【御祭神】龍王大神
昔、鎌倉の深沢という底なし沼に住んでいた5つの頭を持つ龍(=五頭龍(ごずりゅう))が悪さをするので住民が困っていたところ、天女が降り立って、この江ノ島が誕生。
この天女と結婚したかった龍が、龍の行動をいさめる天女の言葉で改心、無事結婚。
この天女が江ノ島の弁財天さまだそうで、江ノ島神社発祥の本宮は岩屋洞窟の中にあります。
そして、その岩屋洞窟の真上にあるのがこちらの龍宮。
歴史を聞けば、なるほど、さすが。このあたり、確かに江島最強パワースポットでした。
ちなみにその後、五頭龍は五頭龍大神から江島対岸にある龍口山(たつのくちやま)となり、この神を祀るために建てた社が、龍口明神社(りゅうこうみょうじんじゃ)になったらしく、それがこの江島神社と龍口明神社が夫婦神社と呼ばれる所以。
だから両社を同日に参拝すると良いらしいです。
(私、同じ日に龍口明神社へも参拝できました)
平日とはいえ巳の日で、さらにインバウンド観光客もけっこういたのですが、見事なまでの人払いが起きて、いろんな宮で、ほぼ人のいない写真が撮れたのが嬉しいポイントです。
江島神社は、奥津宮、龍宮、岩屋を含めたご参拝をお勧めします!
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鎌倉 江の島七福神めぐり_2025
今回、記録するのは【姪っ子の合格祈願】を行ったときの御朱印。
色紙と帳が選べるけど、我が家ルールで合格祈願の時は「帳」で…と決めている。理由は、一緒に会場に行けるから。
本日は、結願するため、江の島へ。
1st 八幡宮→宝戒寺→妙隆寺→本覚寺
2nd phase、自宅〜御霊神社→長谷寺から、葛原岡・大仏ハイキングコースを通り、浄智寺
夜、息子の中学高校時代のPTAの皆さんと夜集合し、成人式お祝いだったので、江ノ電にて普通格好の観光客な感じで参拝市、無事に結願。本日の直会は、横浜で宴会ということで笑。
先日、姪っ子の受験前に無事にお渡しすることができました。
サクラサクの吉報を待ってます!









06.12.03
江島神社
鎌倉江の島七福神巡り2日目 ⑥
◇江島神社【弁財天】「鎌倉・江ノ島七福神とする場合に加えられます。
近江の竹生島、安芸の宮島とともに日本三大弁財天の一つに教えられ、辺津宮横の泰安殿に安置されています。
日本三大弁財天を奉る江島神社は、田寸津比賣命を祀る「辺津宮」、 市寸島比賣命を祀る「中津宮」、多紀理比賣命を祀る「奥津宮」の 三社からなる御社です。
初めての江の島。仕事で近くまでは行ってたのですが、なかなかハードルが高く行けてなかったところです。
駐車場は無いので江ノ電駐車センターに停めました。
天気が良かったので江の島弁天橋を富士山を眺めながらゆっくり散策しました。

神奈川県 藤沢市 江の島に鎮座する、江島神社(えのしまじんじゃ)当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024に鎌倉江ノ島七福神にて参拝致しました、辺津宮 中津宮 奥津宮と構成されてる神社、境内に鎮座する弁財天は日本三大弁天の一つに数えられ、景色も素晴らしい場所に在る神社、観光としても訪れる参拝者で絶えません、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれた。
現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたもので、主祭神は 宗像三女神、北方の 辺津宮(へつみや)に田寸津比賣命、中央の 中津宮(なかつみや)に市寸島比賣命、島の西方の 奥津宮(おくつみや)に多紀理比賣命をそれぞれ祀り、江島大神 と称する、社格等は 旧県社・別表神社、創建は(伝)欽明天皇13年(552年)鎌倉江の島七福神(弁財天)社伝によれば、欽明天皇13年(552年?)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。神仏習合により当社は金亀山 与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった、当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となってからは、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。三坊は競って当社の縁起を説いて回り、参詣者を集めた。そのうちに利権争いが起こり、寛永17年(1640年)、岩本院は幕府からの朱印状を得て上ノ坊を吸収した。後に下ノ坊も支配するようになり、岩本院が全島の権益を握ることとなった。
明治元年(1868年)の廃仏毀釈により三重塔の他多くの仏教施設や仏像などが破壊された。明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり「江島神社」へ改称、県社に列せられた。同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、旅館となり「岩本楼」へ改称した
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