えのしまじんじゃ
江島神社のお参りの記録一覧(10ページ目)
江ノ島にある辺津宮、中津宮、奥津宮の総称。江ノ島に渡り、有料駐車場に車を停め(1時間400円)江ノ島の奥へ進む。お土産屋さんを通り抜けると大きな鳥居。そこから石段が続く。脚に自信の無い方は有料のエスカレーターが有ります。最初に辺津宮。立派な社殿。こちらには社務所があり、御朱印が戴けます。今回は江島神社と辺津宮、中津宮、奥津宮の御朱印を戴きました。大判の御朱印帳も合わせて戴きました。ここから更に岩屋道を進み中津宮、社殿脇奥に水琴窟が有りますのでぜひ耳を傾けて下さい。更に奥へ進み奥津宮、龍宮に突き当たります。平日の午前中にもかかわらず参拝者は多く、列を作り時間を要しました。折角なので、江ノ島の最奥の岩屋洞へ。絶景が待ち受けてました。帰りは近道を通り戻りましたが、2時間かかりました。
一の鳥居
二の鳥居
狛犬
瑞心門
由緒書
瑞心門裏からの眺望
手水舎
辺津宮拝殿
扁額
拝殿の彫刻
本殿
江島弁財天
茅の輪
御朱印の種類
境内社 八坂神社
狛犬
境内社 稲荷社 秋葉社
むすびの樹
鳥居
中津宮へと続く石段
石段途中からの眺望
歌舞伎界から多く奉納されてました
中津宮拝殿
扁額
本殿
狛犬
水琴窟
中津宮由緒書
中津宮から奥津宮への途中の眺望
伝頼朝寄進の鳥居
奥津宮拝殿
拝殿の天井絵
狛犬
龍宮鳥居
龍宮
狛犬
岩屋洞へと続く
入場料500円
江島神社発祥の場所
神奈川県藤沢市江の島に鎮座する神社であり、日本三大弁天の一つに数えられる。
欽明天皇13年(552年)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。
神仏習合により当社は「金亀山与願寺」と称する寺となった。
『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。
当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。
慶安2年(1649)に京都・仁和寺の末寺となってからは岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。
三坊は競って当社の縁起を説いて回り参詣者を集めたが、そのうちに利権争いが起こり、寛永17年(1640)に岩本院は幕府からの朱印状を得て上ノ坊を吸収した。後に下ノ坊も支配するようになり、岩本院が全島の権益を握ることとなった。
明治元年(1868)の廃仏毀釈により、三重塔の他、多くの仏教施設や仏像などが破壊された。
明治6年(1872)には、仏式を廃して神社となり「江島神社」へ改称、県社に列せられた。同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、旅館となり「岩本楼」へ改称した。
書置きと直書きで御朱印頂きました。
直書きで初穂料三百円です。
直書きで初穂料三百円です。
書置きのみで初穂料三百円です。
書置きのみで初穂料三百円です。
書置きのみで初穂料三百円です。
書置きのみで初穂料三百円です。
書置きのみで初穂料三百円です。
書置きのみで初穂料三百円です。
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