らいこうじ|時宗|随我山
来迎寺(材木座)のお参りの記録一覧
23.05.18。先の向福寺さんより徒歩4分。鎌倉市材木座2丁目の閑静な住宅地にある時宗の寺院。
山号 随我山
創建 建久5年(1194年)
開基 源頼朝
開山 音阿上人
本尊 阿弥陀如来
札所 鎌倉三十三観音霊場
第十四番
1194年、源頼朝が鎌倉幕府の礎石となった三浦大介義明の霊を弔うため、真言宗能蔵寺を建立したのが始まり。当時、能蔵寺の名前は、この付近の地名として使われていた。頼朝亡き後、音阿上人が時宗に改宗し、来迎寺に改名した。
三浦大介義明の武功を讃える境内には義明の木造と五輪墓があり、本堂裏手には三浦一族の墓、100基あまりの五輪塔が並んでいます。
~当寺HPより~
こちらも鎌倉33観音巡礼として参詣。昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を思い出される感のある場所です。
寺号標
参道
↓
境内右側
↓
三界萬霊塔
境内左側
↓
↓
本堂
本堂前の銅像
↓
當山四十四世 灸僧 藤澤察静と書かれている模様です?
三浦大介義明公之墓
多々良三郎重春公之墓
歴代御住職の墓
庫裡
こちらで直書きの御朱印を拝受しました。
鎌倉三十三観音霊場第14番。
かまくらの観音様の巡礼を始めました。
特別イミはないけど、まずはこちらの時宗のお寺さんから。
材木座の住宅街の奥、五所神社さんからスグの所です。
明るいきれいなお寺さん。
三浦大介義明公のお墓
御朱印。
御本堂隣のインターフォンを鳴らしてお願いしました。
22.03.16 鎌倉「来迎寺」ミモザの花が咲く頃 _ 鎌倉市材木座
01-1) 時宗「 随我山能蔵院来迎寺(ずいがざんのうぞういんらいこうじ)」
寺号標 ” 子育観音 鎌倉十四番 時宗 来迎寺 ”
石柱 ” 三浦大介義明公之墓 ”
_ 第14番札所 聖観音
1194年(建久5年)、源頼朝の開基。
衣笠城合戦で戦死した三浦義明の菩提を弔うため、
当初は真言宗の寺院で ’ 能蔵寺(のうぞうじ) ’ として創建。
頼朝の死後、音阿 が時宗に改宗し ’ 隋我山来迎寺 ’ と改めた。
近代に、創建時の名前を院号に残し「隋我山能蔵院来迎寺」とし
創建から八百年余りの歴史がある。 _ 鎌倉市材木座
公式HP: https://raikouji.com/index.html
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(鎌倉市西御門「来迎寺」とは別の寺。
ホトカミページ:https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkyty/Hkytytm/Dmspz/148438/
Webサイト上で、例えば両者の本尊や霊場札所の混同誤記が散見する。)
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01-2)写真01-1)背後の梅と早咲種の桜のうち、梅の開花をズームアップ。
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01-31) 写真01-1)背後の早咲種の桜
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01-32) 写真01-1)背後の早咲種の桜開花をズームアップ。
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02) 駐車場から本堂方向の遠景
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03-1)幟旗 ” 鎌倉殿の13人 三浦義澄ゆかりの地 鎌倉市 ” と ミモザの木。
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03-2) 私がイメージしてきた ’ ミモザの寺 ’ が復活した。
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嘗ては一株ながらも太い幹で背が高く大きく枝を広げて存在感あるミモザの木が立っていたが、
数年前か? 10年も経つのだろうか?台風で倒木した。
折れた幹から、ここまで成長したのだろうか?このミモザは新たに植えられのだろうか?
民家にかこまれていないので、
枝打ちされずに 伸び伸びと枝を伸ばした 更に こんもりした木に育って欲しい。
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03-3) ミモザの花をズームアップ
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04-1) 境内入り口周辺から
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04-2) 境内のモクレン
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04-3) モクレンの開花をズームアップ
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05) 本堂
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06) 向かって本堂右方境内墓地の、
右:三浦大介義明公之墓 <三浦義明公供養塔/五輪塔>
左:多々良三郎重春公之墓<多々良重春公/五輪塔>
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(三浦義明の墓とされているのは他に横須賀市の滿昌寺がある)
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07-1) 三浦義明家臣の供養塔群を鄭重に供養する寺院。
” 三浦大介公 家来の墓 ”<供養塔群>
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07-2) ” 三浦大介公 家来の墓 ”<供養塔群>
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08-1) 本堂裏側地区墓所の、梅の木
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08-2) 本堂裏側地区墓所の、梅の開花をズームアップ。
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22.03.16B #鎌倉 「 #来迎寺 」 #ミモザ の花が咲く頃 _ #鎌倉市材木座
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2022-03-17-2#more
/ #2022梅 #梅 #鎌倉三十三所観音霊場 #三浦義明 #鎌倉殿の13人
21.10.18。先の向福寺さんより徒歩3分。
鎌倉市材木座2丁目にある時宗の寺院。
山号 随我山
創建 建久5年(1194年)
開基 源頼朝
開山 音阿上人
本尊 阿弥陀如来
札所 鎌倉三十三観音霊場
第十四番
1194年、源頼朝が鎌倉幕府の礎石となった三浦大介義明の霊を弔うため、真言宗能蔵寺を建立したのが始まり。当時、能蔵寺の名前は、この付近の地名として使われていた。頼朝が亡くなった後、音阿上人が時宗に改宗し、来迎寺に改名した。(後略)〜当寺HPより〜
付近には実相寺・五所神社がある閑静な住宅街にこじんまりと佇むお寺さんです。最近は鎌倉三十三観音霊場の札所として、訪れる参詣者も多くあるようです。札所の御朱印は庫裡玄関前の小箱に置かれていて300円を入れて頂く方式。自分は直書きで拝受したのですが、何故か日付が11日でした(参拝日18日)。😭
参拝日誤って記載でした。
18日正当。
入り口
↓
寺号標
参道右手に《来迎寺会館》
参道
動物供養塔
本堂
御詠歌
百日紅
庫裡方向
直書きの御朱印を拝受しました。
21.03.19 鎌倉「来迎寺」 ミモザが満開の頃 _ 鎌倉市材木座
01-1) 時宗「 随我山能蔵院来迎寺」_ 鎌倉市材木座
三浦氏菩提寺 / 鎌倉三十三観音霊場 第十四番札所
先代のミモザ大木が台風で倒れて以来、
当代のミモザが こんなにも背が高くなっていることに気づかなかった。
来年以降もまたミモザを楽しみに、三浦氏と三浦義明家臣の供養塔を参拝しよう。
(鎌倉市西御門「来迎寺」とは別の寺)
01-2) これまで私がいイメージしてきた ’ ミモザの寺 ’ が復活
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02-1) 本堂と、早咲き種の桜のつもりで撮った。
しかし、もしかしたら 桃か?スモモか? と自信がない。
02-2) (見えない参道と)駐車場方向を振り返る。
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03-1) 石造の観音像
03-2) シャクナゲなどの植栽
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21.03.19A #鎌倉 「 #来迎寺 」 #ミモザ が満開の頃 _ #鎌倉市材木座
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2021-03-19-2
時宗のお寺です。本堂の周りや駐車場は割と新しいようでした。境内は玉砂利が敷かれてきれいでした。
優し気な表情でした。
シャクナゲの花がもう咲いていました。
鎌倉三十三観音14番札所の来迎寺様に伺いました。
鎌倉三十三観音には来迎寺の名前のお寺が二つありますが、こちらの場所は材木座。
ご本尊は阿弥陀如来様。
小さなお寺ですが、源頼朝が鎌倉幕府の基礎をつくった三浦大介義明の霊を弔うために建てられたお寺とのこと。
春に伺ったときは法要中でしたので、お参りだけして退散しております。
コロナで、御朱印は箱に入っているものをとの記載がありますが、箱が見当たりません。
やむなくインターホンを押し来意を伝えると、御朱印帳に書き入れて頂けました。
材木座・来迎寺様、ご本尊「阿弥陀如来」様の御朱印です。
材木座・来迎寺様、鎌倉三十三観音14番札所「子育観音」様の御朱印です。
20.04.03 鎌倉、材木座「来迎寺」武将の墓所と家来の供養塔群を参拝
鎌倉三十三観音霊場 第十四番札所 _ 鎌倉市材木座
2020年現在、世界規模危機の一日でも早い脱出と危機の収束を真摯に祈願いたしました。
時宗「随我山来迎寺」 三浦氏菩提寺
鎌倉三十三観音霊場 第十四番札所 _ 鎌倉市材木座
2020年現在、世界規模危機の一日でも早い脱出と危機の収束を真摯に祈願いたしました。
公式HP: http://raikouji.com
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本堂
鎌倉三十三観音霊場 第十四番札所 時宗「来迎寺 」
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右:三浦大介義明公之墓 (三浦義明公供養塔)
左:多々良三郎重春公之墓(多々良重春公供養塔)
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三浦大介公家来之墓(三浦義明家臣の供養塔)
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20.04.03 #鎌倉 「 #時宗随我山来迎寺 」 #三浦氏 菩提寺。武将と家臣家来の #供養塔 群を参拝
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2020-04-07
/ #随我山来迎寺 #来迎寺 #鎌倉市材木座 #三浦義明
来迎寺(らいこうじ)は、鎌倉市材木座にある時宗の寺院。山号は随我山。本尊は阿弥陀如来。鎌倉三十三観音14番札所。札所本尊は子育観世音。
鎌倉初期の1194年に源頼朝が、頼朝のために戦死した三浦荘の豪族・三浦大介義明の霊を弔うために、三浦大介の念持仏・阿弥陀如来と観世音菩薩を奉安して真言宗能蔵寺を創建した。その後三浦一族の庇護により栄えたが、一遍上人の影響で音阿上人が中興開山となって時宗に改め、寺名も来迎寺と称した。当時より堂宇は現在地裏の山頂にあったが、見晴しが良い代わりに空上から目立つため、太平洋戦争中に軍に指示により取り壊された。
当寺は、鎌倉駅の南南東1kmほどの場所にあり、南北に走る小町大路から東に数百m入った静かな住宅街にある。境内はそこそこ広いがほとんどが墓地なので、参拝者が見て廻れるエリアは広くない。
参拝時は週末の午前中で、鎌倉観音巡りをしていると思しき人が数人いた。
※鎌倉強化合宿2日目午前中、延命寺(鎌倉11番)、教恩寺(鎌倉12番)、別願寺(鎌倉13番)、安養院(鎌倉3番)、八雲神社に続く6寺社目。
寺院入口。古い寺号標と<三浦大介義明之墓>という石碑が立っている。
(境内入口?)
前に進むと、再び寺院入口。
本堂。
本堂には扁額はなし。代わりに<関東三十三観音のお詠歌>が掲げられている。
ふたたび本堂。左側が事務所兼住宅で、御朱印はこちら。
17.01.02 鎌倉 材木座の 「来迎寺」 参道手前から遥拝
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17.01.02 #鎌倉 #材木座 の 「 #来迎寺 」 参道手前から遥拝
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2017-01-09-4#more
/ #隋我山能蔵院来迎寺 #三浦大介義明 #三浦大介
神奈川県のおすすめ2選🍁
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