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はせでら|浄土宗系単立海光山 (海光山慈照院長谷寺)

長谷寺のお参りの記録一覧
神奈川県 長谷駅

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2025年12月19日(金)511投稿

神奈川県 鎌倉市 長谷 に境内を構える、海光山 慈照院 長谷寺(はせでら)当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、坂東三十三観音霊場、鎌倉三十三ヶ所観音霊場 にて参拝致しました、寺院対応は観光でも参拝者が多く手慣れていて親切丁寧で有り難い寺院様でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 海光山、院号は 慈照院、寺号は 長谷寺、宗旨 宗派は 浄土宗 系統の単立寺院、ご本尊は十一面観世音菩薩 奈良の長谷寺の像と同じクスノキから彫られたといわれ一木二体の像と伝えられます。高さ9.18mある像高は日本最大級の木造仏像である十一面観世音菩薩像、坂東三十三観音霊場、鎌倉三十三ヶ所霊場 共に第四番札所 長谷観音 日本百観音 の一つ、鎌倉江の島七福神(大黒天)鎌倉では杉本寺に次いで古い寺とされ、736(天平8)年に創建した、と伝えられている長谷寺。もともとは新長谷寺といい、奈良の長谷寺を本とし創建年も奈良の長谷寺にならったといわれます。
実際の創建年次は不詳ですが、現存資料中に
1264(文永元)年の梵鐘銘があることから
13世紀には創立されていたことがわかります。寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基である徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山した。養老5年(721年)に徳道は大和国の山中で見つけた楠の大木から二体の十一面観音を造り、その一体(本)が大和長谷寺の観音像となり、もう一体(末)を祈請の上で海に流した。その15年後に三浦半島の長井浦に流れ着いた観音像を鎌倉に安置して開いたのが、長谷寺であるとされる。
当寺の梵鐘には文永元年(1264年)、当時の住職真光の勧進により鋳物師物部季重が造った旨の銘文があり、この頃には長谷寺が存在していたことと、当時は「新長谷寺」と呼ばれていたことがわかる。鎌倉時代にさかのぼる遺物としては他に弘長2年(1262年)および徳治3年(1308年)銘の板碑、嘉暦元年(1326年)銘の懸仏(かけぼとけ)などがある。
近世の地誌『新編鎌倉志』や、寺に伝わる『相州鎌倉海光山長谷寺事実』などによると、歴代の権力者が長谷寺の伽藍や本尊の修造を行っている。康永元年(1342年)には足利尊氏が伽藍と諸像の修復を行った。明徳3年(1392年)には、足利義満が観音像の光背を修復し、行基の作という伝承のある像を前立(まえだち)として安置した。天文16年(1547年)に、北条氏康の寄進を受け、天正19年(1591年)、徳川家康から朱印状を受ける。慶長12年(1607年)、堂塔伽藍を改修し、正保2年(1645年)にも、酒井忠勝が堂宇を改修している。
長谷寺は江戸時代の初め、慶長12年(1607年)の徳川家康による伽藍修復を期に浄土宗に改宗した。当時の住持玉誉春宗を中興開山としている。太平洋戦争終戦直後に、金戒光明寺、知恩院という浄土宗の二大本山が浄土宗から独立した混乱期に、浄土宗から独立し単立となった

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