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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月22日
八幡社ではいただけません
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名称八幡社
通称街山八幡宮
参拝にかかる時間

5分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印なし
ホームページhttps://www.yatoyabe-higashi.com/%E7%94%BA%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-1/

詳細情報

ご祭神《主》誉田別命祭神:誉田別名(ほんだわけのみこと)別称:15代天皇 応神天皇(八幡大菩薩/八幡様として神格化)
ご由緒

街山(つじやま)八幡社は、江戸時代に編さんされた地誌である『新編相模国風土記稿』(天保12年/1841年)や『神奈川県神社誌』(神奈川県神社庁発行・昭和56年/1981年)の由緒によると、鎌倉・南北朝時代の武将 新田義貞三男の義宗(?-1368)が護持していた八幡大菩薩の神像(伝・平安時代末期~鎌倉時代初期/大治5年(1130年) ~承元2年(1208年)の僧侶・延朗/松尾上人の作)を、地頭の竹ノ下小次郎が室町時代の応永年間(1394 年~1428 年)に、霊水池のほとりに奉祀(ほうし)して創建したのが始まりといわれます。戦国時代後期の天正5年(1577年)の記録には「矢部鎮守街山八幡宮」とあります。

後、江戸時代中期の享保2年(1712年)4月に社殿を新築、安永3年(1774年)9月には内外両殿を修理しました。江戸時代後期の天保14年(1843年)9月、現在地に社殿を建てて山上から遷座し、旧社地には神明社をおいて末社としました。当時は本覚院が当社の別当を務めていましたが、明治初期の神仏分離令により本覚院を廃寺とし神社に転じました。社殿には安永3年及び天保14年の棟札があるとされています。

戦前は境内に老松の大木が生い茂っていましたが、戦後、松喰虫の害にあって切り倒されました。鳥居をくぐると、左側に筆塚と堅牢地神(けんろうじしん。大地の神として五穀豊穣を春分・秋分の日の頃に祈願)の碑があります。筆塚の碑は3枚に折れていますが、碑文には「龍精堂 小倉麟谷(おぐら りんこく)」(本名:小倉重兵衛/明治維新の際に浪人となり江戸より矢部に来往)について学んだ人が謝恩のために元治2(1865)年(江戸時代末期・慶應元年)に建立したと刻まれています。石段を登った左側には「力石」があります。言い伝えでは、明治時代に力比べが行われた際の記念として置かれたものだそうで、石の下には「神奈川 由五郎、同佐助」という2名の名前が刻まれています。また、女坂の登り口に庚申塔、青面金剛(しょうめんこんごう。庚申講の本尊)等があり、猿田彦大神の碑には「東方柏尾道、西方大山道」と記されています。

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