わかみやはちまんぐう
若宮八幡宮のお参りの記録一覧
横浜南区神社巡り① 今まで駐車場が無かったりして、参拝が困難だったので後回しにしていました。GW初日で渋滞が心配していましたが、いつもより若干空いてました。近くのコインパーキングに停めての参拝。
一の鳥居
参道
注連柱
二の鳥居
石段
境内社 若宮招魂社由緒書
境内社 若宮招魂由社
手水舎
弘化二年奉納の灯籠
神楽殿
狛犬
拝殿
扁額
本殿
境内社鳥居
境内社
境内社
境内からの眺望
由緒書
石段上から
【横浜御朱印めぐり③】
地下鉄弘明寺(ぐみょうじ)駅1番出口から徒歩7〜8分の住宅街の中に鎮座しています。
車1台分くらいの道幅しかない道沿いに鳥居が鎮座しているのでうまく撮影できませんでした…
手水舎は蓋かされていて使用できません。
拝殿
稲荷神社と天満宮が
鎮座しています。
社務所に人の気配がなかったので御朱印はいただきませんでした。
21.10.30。先の無量寺さんより「蒔田駅」に戻り、地下鉄で「弘明寺駅」下車、徒歩10分。
横浜市南区大岡1丁目の住宅街に鎮座。
御祭神
大雀命、誉田別命
武甕槌命、道志留辺命
猿田彦命、市杵島姫命
事解男命、伊邪那美命
天照皇大神
創建年 建久4年(1193年)
社格等 旧村社
例大祭 8月第四土曜・日曜日
当宮は、源頼朝が鶴岡八幡宮境内の若宮八幡宮の別宮として建久4年に創建、下大岡村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治41年、鹿島神社・伊勢神社・神明神社・熊野神社・猿田彦社・道祖神社・辨天社の八社を合祀したといいます。
Webサイト「猫の足あと」より
「ホトカミ横浜御朱印めぐリ」⑦ 横浜の幹線道路である鎌倉街道から路地を入り、住宅街を数分進んだ奥に鎮座しており、急な石段を登り社殿に着くと静寂感に包まれた神域で気が引き締められました。
鎌倉街道沿いに《社号標》
こちらを数分進みます。
やっと《一の鳥居》
二の鳥居手前に
今上陛下のご生誕記念石碑。
二の鳥居
明治14年4月建立。
参道
手水舎
停止中でした。
若宮招魂社由緒碑
若宮招魂社
狛犬(阿形)
(吽形)
拝殿
社殿左サイドより
神楽殿
境内社
稲荷社(左)と天神社(右)
御由緒碑
社務所・宮司様自宅。
左側の社務所は閉まってましたが、呼び鈴を押すと自宅側から奥様(たぶん)が出てこられ、直書きで御朱印を拝受できました。
ホトカミ・横浜御朱印巡り その8
地下鉄弘明寺駅下車。
鎌倉街道からは、一本中に入った住宅地の中に鎮座しています。
近いゆえか、なかなか足が遠のいてしまい、初めて参拝いたしました。
住宅地の中を歩いていると突如鳥居が現れます。
ここから階段を上がります。
上がり切ると小高い丘に鎮座しています。
本殿です。この右手が社務所になっています。
いただいた御朱印です。
横浜御朱印巡り ⑧ 若宮八幡宮
源頼朝が鎌倉に幕府を開くにあたり、久良岐郡の今の横浜の地は鎌倉の鬼門にあたるので、鎮護のため頼朝は数カ所に社寺を創建、報賽所としました。若宮八幡宮はこうした由縁の地に源頼朝が建久4年9月7日鶴岡八幡宮の境内社なる若宮八幡宮の別宮として創建されたと伝えられております。
当初は若宮八幡大神と号し、神仏習合の社でその後永く久良岐郡大岡川村下大岡の鎮守として諸人の崇敬が大変厚かった。
建立以来今日に至るまで凡そ八百余年の永い間、この宮は平和と豊かなる生活即ち天下泰平、五穀豊穣の祈りの庭であり、氏子即ち神の子としての魂の尊厳を自覚する聖域として世の人々によって護持せられてまいりました。
永禄七年北条氏康の命によって権大僧正源秀天(みなもとのしゅうてん)が当若宮八幡宮の別当となり、寶積(ほうしゃく)院と称し、以来現在に至っております。
明治6年村社に列せられ、ついで明治39年内務省令による神社統合の趣旨に基づき、近隣8社の氏子信徒が協議の上、明治41年11月25日若宮八幡宮に合祀され、20ヶ町の総鎮守となりました。
住宅街に鎮座しています
若宮招魂社
手水舎
狛犬
稲荷大明神
拝殿
学業成就祈願所
神奈川県のおすすめ2選🎌
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