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ぐぜいいん|高野山真言宗

弘誓院
神奈川県 吉野町駅

御朱印受付時間:8時~17時

御朱印について御朱印
あり

御朱印中央には、ご本尊「聖観世音菩薩」の文字が書かれています。右上には、弘法大師二十一ヶ所の第十番…

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巡礼

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横浜市内観音三十三ヶ所の第三十番
弘法大師二十一ヶ所の第十番
東国八十八ヶ所の第五十四番の札所
磯子七福神祭詣の福禄寿尊

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こばけん
こばけん
2021年11月20日(土)1356投稿

21.11.19。横浜市営地下鉄(ブルーライン)吉野町駅下車、徒歩15分。横浜市南区睦町2丁目の住宅街にある高野山真言宗寺院。(ぐぜいん)
《新四国東国八十ハヶ所霊場第54番札所》
《横浜市内三十三ヶ所観音霊場第30番札所》
《弘法大師横浜市内二十一ヶ所霊場第10番札所》
《横浜磯子七福神・福禄壽尊》

正式名:妙法山観世音寺弘誓院
創 建:天文五年(1536年)
開 基:石川帯刀源家重
開 山:順清法印
本 尊:聖観世音菩薩

 寛永10年(1633年)議定の古義真言宗の本末帳に「石川寶生寺、御除」と載せている。延宝元年(1673年)京都仁和寺第二十世から「妙法山観世音寺」の山号寺号を賜った。
 
 元禄16年(1703年)の大震災、大正12年(1923年)の大震災、昭和20年(1945年)戦火による焼失を経ながらその都度再建を果たし、現在の本堂は昭和49年(1974年)竣工です。
 〜当寺リーフレットより〜

 「ホトカミ横浜御朱印めぐり」⑨ 住宅地域の中に神奈川県指定天然記念物の寺林を背に、行き届いた境内の清掃と相まって、落ち着いた雰囲気のある、爽やかな参詣でした。
 御住職ご在宅でしたので直書きの御朱印を3体も(ごめんなさい)拝受してしまいました。ご夫妻の心温まるご対応に感謝です。
 

弘誓院の御朱印

横浜市内三十三ヶ所観音霊場第30番

弘誓院の御朱印

新四国東国八十ハヶ所霊場第54番

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歴史

天文五丙申年(一五三六年)石川帯刀源家重の開基、家重は伯父に当る順清法印を京都より迎え開山とされたと伝える。法印は此の地に下向きの時、聖徳太子・南無佛の像を背負い来り、当寺に安置されたと言い伝えている。
延宝元年(一六七三年)十一月二十四日京都仁和寺総法務官(仁和寺二十二世、後大御室承法法親王)から「妙法山観世音寺」の山号寺号を賜った。元禄三年(一六九〇年)の宝生寺文書「定」に役寺とあり、宝生寺門徒の中、上通りの格式をそなえ、本寺宝生寺の法務を執行し、同寺末寺四十六ヶ寺の触頭であった。
明治七年(一八七四年)本寺の格、宝生寺より増徳院に移るにしたがって増徳院の末寺となる。大正十二年(一九二三年)九月一日関東大震災によって本堂・庫裡全潰す。大正十五年(一九二六年)三月十五日工学博士伊東忠太先生設計の印度風の本堂(七間四方、銅板葺)附属位牌堂(間口五間、奥行三間)の再建成る。同年六月二十九日大本山金剛峯寺の直末となる。昭和四年(一九二九年)庫裡の完成をみる。

昭和二十年(一九四五年)四月十五日の戦災により一切の建物・什物等灰塵に帰す。
大戦後の復興として昭和二十六年(一九五一年)六月本堂(二十坪余)建築、次で同二十九年(一九五四年)庫裡を建築す。

宗祖弘法大師誕生千二百年を記念し、昭和四十四年(一九六九年)新本堂の再建を企て、同四十七年(一九七二年)旧本堂を移築 ー新本堂完成後、釋迦堂とす。ー
同四十九年(一九七四年)八月宝形造新本堂(間口六間、奥行六間)竣工す。翌年庫裡増改築をなし、同五十一年(一九六九年)秋、落慶法要を厳修す。
平成二十四年(二〇一二年)庫裡竣工。同二十六年(二〇一四年)客殿竣工、同五月落慶法要を厳修す。

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弘誓院の基本情報

名称弘誓院
読み方ぐぜいいん
参拝時間

御朱印受付時間:8時~17時

御朱印あり

御朱印中央には、ご本尊「聖観世音菩薩」の文字が書かれています。右上には、弘法大師二十一ヶ所の第十番の印が押されています。

限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
電話番号045-731-2825

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

メールアドレスguzeiin@yk9.so-net.ne.jp
ホームページhttps://www.guzeiin.com/
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巡礼の詳細情報

詳細情報

ご本尊聖観世音菩薩
宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代1536年(天文五丙申年)
開山・開基石川帯刀源家重
ご由緒

天文五丙申年(一五三六年)石川帯刀源家重の開基、家重は伯父に当る順清法印を京都より迎え開山とされたと伝える。法印は此の地に下向きの時、聖徳太子・南無佛の像を背負い来り、当寺に安置されたと言い伝えている。
延宝元年(一六七三年)十一月二十四日京都仁和寺総法務官(仁和寺二十二世、後大御室承法法親王)から「妙法山観世音寺」の山号寺号を賜った。元禄三年(一六九〇年)の宝生寺文書「定」に役寺とあり、宝生寺門徒の中、上通りの格式をそなえ、本寺宝生寺の法務を執行し、同寺末寺四十六ヶ寺の触頭であった。
明治七年(一八七四年)本寺の格、宝生寺より増徳院に移るにしたがって増徳院の末寺となる。大正十二年(一九二三年)九月一日関東大震災によって本堂・庫裡全潰す。大正十五年(一九二六年)三月十五日工学博士伊東忠太先生設計の印度風の本堂(七間四方、銅板葺)附属位牌堂(間口五間、奥行三間)の再建成る。同年六月二十九日大本山金剛峯寺の直末となる。昭和四年(一九二九年)庫裡の完成をみる。

昭和二十年(一九四五年)四月十五日の戦災により一切の建物・什物等灰塵に帰す。
大戦後の復興として昭和二十六年(一九五一年)六月本堂(二十坪余)建築、次で同二十九年(一九五四年)庫裡を建築す。

宗祖弘法大師誕生千二百年を記念し、昭和四十四年(一九六九年)新本堂の再建を企て、同四十七年(一九七二年)旧本堂を移築 ー新本堂完成後、釋迦堂とす。ー
同四十九年(一九七四年)八月宝形造新本堂(間口六間、奥行六間)竣工す。翌年庫裡増改築をなし、同五十一年(一九六九年)秋、落慶法要を厳修す。
平成二十四年(二〇一二年)庫裡竣工。同二十六年(二〇一四年)客殿竣工、同五月落慶法要を厳修す。

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